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南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

市内に広がる祇園信仰

 7月、京都では約1ヶ月間にわたる祇園祭が行われ、山鉾巡行だけでも毎年15万人以上の観光客が訪れます。この京都の祇園祭は平安時代の旧暦の6月、京都東山の祇園社(明治時代の廃仏毀釈によって現在の「八坂神社」に改称)で疫病を防ぐため始められた祇園会(ぎおんえ)がルーツです。祇園社には疫病を司る牛頭天王が祀られ、その後日本の神様であるスサノオと同一視されました。祇園信仰は時を経て全国に広まり、かつて市内でも多くの地域で行われていたようです。今月のふるさとメールでは、市内に伝わる祇園祭を巡ってみましょう。

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【写真】京都 祇園祭 山鉾巡行 長刀鉾(なぎなたほこ)

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【写真】京都 祇園祭 山鉾巡行 月鉾(つきほこ)

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 【図】牛頭天王 祇園大明神とも呼ばれ、素戔嗚(スサノオ)であるとも書かれている(『諸宗仏像図彙 』1783年)国立国会図書館蔵
 

1.芦安地区 小曽利・古屋敷の祇園祭
 2019年7月14日、芦安小曽利で祇園祭が行われました。かつて芦安では、小曽利と古屋敷両地区で祇園祭が盛大に行われていました。明治初期には奉納相撲が行われていた記録があります。平成に入っても数年前まで、それぞれの地区の通りは提灯で飾られ、その道辻には「ヤグラ」と呼ばれる仮設の門が建てられました。ヤグラには鮮やかに彩色された灯籠が飾りつけられ、夏の夜を彩りました。

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【写真】古屋敷の道辻に建てられた「ヤグラ(チョウマタギ)」
 
 ヤグラは飯野や百々では「チョウマタギ」と呼ばれ、市文化財課と山梨県立博物館の調査の結果、かつて有野や飯野新田、六科や西野、在家塚など市内で広く見られただけでなく、甲府市や山梨市など県内のさまざまな場所で建てられていたことが分かりました。さらに江戸後期の年中行事を記した『東都歳時記』の中で、日本橋大伝馬町の祇園牛頭天王祭の絵にチョウマタギと同じ作りの門が描かれていることから、そのルーツは少なくとも江戸時代まで遡ることが明らかとなりました。

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【図】『東都歳時記4巻付録1巻』国立国会図書館蔵
 
 古屋敷の祇園祭は鎮目大神社の祭りで、地元では神社を「オミョウジンサン」と呼んでいます。鎮目大神社は牛頭天王と同一視されたスサノオを祀っており、祇園祭本来の形式と言えるでしょう。現在では人手不足から、ヤグラの建立も提灯の献灯も行われなくなり、神社の清掃だけとなっています。 

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【写真】古屋敷の鎮目大神社と清掃作業
 
 一方小曽利は疫病を防ぐ祭りと火事を防ぐ神様を祀る秋葉神社の祭りが習合しています。地区の中央にある道祖神と秋葉社の常夜灯を中心とした道沿いに、生まれた子どもの名前を書いた提灯が飾られ、道祖神前にヤグラが建てられました。夕暮れ時、小曽利集落から御勅使川を挟んで南側の山中に前宮(めえみや)と呼ばれる秋葉神社の社があり、そこにロウソクで献灯したことを合図に、ヤグラの灯篭と提灯、道祖神前の秋葉塔に灯が灯されます。しかし、小曽利でも人手不足から数年前にヤグラが建てられなくなりました。そんななか、かつての賑わいを懐かしみもう一度ヤグラを建てようという住民の声に、地域おこし協力隊や地区外の若者も参加して、約5年ぶりにヤグラが復活し、地域の子供たちが集まるにぎやかな祭となりました。 

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【写真】小曽利 飾られた提灯 子供が生まれるとその子の健やかな成長を願って名前を書いた提灯を奉納する慣習が太平洋戦争後始められ、数世代続く家族の提灯も見られる。

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【写真】小曽利 秋葉神社前宮の献灯

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【写真】小曽利 秋葉神社前宮の石祠 以前は現在地よりさらに高い尾根上の五本松と呼ばれる場所に祀られていた。利便性を考え、昭和初期、現在地に移された。

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【写真】小曽利 秋葉社常夜灯 前宮の献灯を合図に常夜灯にも火が灯される。

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【写真】小曽利 チョウマタギの組み立て

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【写真】小曽利 5年ぶりに復活したチョウマタギと祇園祭 

 

2.八田地区 榎原の八雲神社
 八田地区で祇園祭が行われていた記録はほとんど残されていませんが、その痕跡はたどることができます。榎原の氏神八雲神社は、明治時代の廃仏毀釈を受けて改名されたもので、江戸時代の『社記』によれば「天王宮」とあり、祭神の一柱は牛頭天王と同一視されたスサノオです。祭典も6月16日となっており、疫病除けの祇園祭が行われていたと考えてよいでしょう。天和2年(1682)2月再建の棟札があった記録があることから、少なくとも江戸時代前期まで天王宮の歴史は遡ることができます。八雲神社が立地する小字は「天王」と呼ばれていることからも、榎原には祇園信仰が広がっていたと考えられます。 

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【写真】 榎原 八雲神社(天王宮)

 

3.白根地区 百々の祇園祭・飯野のお灯籠祭
 白根地区では百々の諏訪神社で、4月第一週の日曜日に祇園祭が行われています。百々諏訪神社の祇園祭がいつ始まったかはわかりませんが、幕末の嘉永6年(1853)の「百々村祇園祭礼仕法帳」によれば、2年前に神輿が壊れたため新しく作りなおし、古くからの慣例どおり6月に諏訪神社から若宮社まで神輿の御幸(みゆき)を行うことが記されています。大正時代、養蚕の繁忙期と重なるため祭日が4月に移されました。
 百々の祇園祭で注目されるのは、神輿が各集落内をめぐり、さらに百々の東西南北の境まで行って神事を行う点です。京都の祇園祭は町衆が行う絢爛豪華な山鉾巡行が注目されますが、その祭りの核は八坂神社から神霊を移した神輿がまちを渡御(とぎょ)して穢れを払い、再び神社に帰る「神幸祭(しんこうさい)」と「還幸祭(かんこうさい)」です。百々では同じように百々内の宮内や中村、東新居、林久保、新町、北新居などに神輿が渡御し、百々の四方の村境をも清め、また諏訪神社に戻ってくる御幸が祭の中心です。 

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【図】 百々 祇園祭 御幸地図

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【写真】 百々 祇園祭 神輿の渡御

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【写真】百々 祇園祭 西の境界での神事
 
 途中の山の神や道祖神にはお飾りや幟(のぼり)が建てられ、かつては「チョウマタギ」も建てられました。東新居若宮社前などの御旅所(おたびしょ)に着くと、掛け声とともに御神輿がいっせいに持ち上げられ、青空に舞い上がる「差し上げ」が行われます。次に五穀豊穣の祝詞(のりと)が捧げられます。こうした神事は各御旅所で行われ、昔は新町神明神社では疫病退散の祝詞が捧げられました。一方百々村の北側には明治時代まで前御勅使川が流れていたため、北の境では洪水除けの神事が行われていました 

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【写真】百々 昭和28年の祇園祭。奥に見えるのがチョウマタギ

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【写真】百々 祇園祭 神輿の差し上げ
 
 諏訪神社の祇園祭では、安産も祈願されました。神輿に注目すると、てっぺんに飾られた鳳凰の足に、麻ひもが結わえられます。麻ひもは昔へその緒に結ばれ安産のお守りとされた伝統があり、御幸後、氏子が競ってこの麻ひもを持ち帰りました。また、山の神や道祖神などの祈願場所では、幟とともに安産や子どもの成長のお守りである真っ赤な人形、「さるぼこ」も飾られています。 

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【写真】百々 神輿に結わえられた安産祈願の麻ひも

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【写真】百々 御旅所に建てられた幟とさるぼこ
 
 百々の諏訪神社は京都の祇園社から勧請(かんじょう)されたとの伝承も地域に残されており、京都にルーツを持つ祇園信仰を今に伝えています。
 
 
飯野 お灯籠祭り
 8月下旬に行われる飯野のお灯籠祭も、かつては6月に行われており、その起源の一つは祇園祭だと考えられます。内容は以前ご紹介したふるさとメールをご参照ください。
 
飯野のお灯篭祭り ~道祖神と境界の祭り~

  

4.若草地区
 若草地区では現在祇園祭は行われていません。しかし、『若草町誌』では6月15日祇園会が行われ、田植えの後もっとも必要な水が不足する時期でもあるので、水神を祀る社で祇園祭をすることが多くあったとされていて、水神と習合した祇園祭があったことがわかります。
 

5.櫛形地区
 『櫛形町誌』で「6月15日、京都の祇園祭にあやかって、祇園だから遊ぶといって休養したものだが、今は廃れた」と記されており、現在櫛形地区で祇園祭は行われていません。しかし櫛形町合併前の『豊村誌』では「祇園さんまたは天王さんが、疫神として同時に水神として、農民のもっとも関心をよせる夏季の水稲の守護神として働きをするものであった。(中略)吉田山ノ神さんに津島牛頭天王も祀ってあるといわれている。沢登の権現さんはまた通称天王さんといわれて祇園祭が行われた。」とあり、祇園祭が行われ、牛頭天王の信仰で重要な役割を果たした愛知県津島の天王社の影響もあったことがわかります。
 また、十五所に伝わる甲州囃子は、大山講で京都へ代参した人、あるいは行商で京都を訪れた人が、祇園祭の時に山鉾上で笛・太鼓・鉦(かね)で奏でられた囃子に感じ入り、それを基本に作られたものと伝えられています。 

 

6.甲西地区
 若草・櫛形地区同様に現在行われていませんが、『甲西町誌』では「六月十五日、京都の祇園祭にあやかって日本中の農休みといった恰好で道祖神へ灯明をつけ、部落内でも灯火をつけて皆遊んだものだが今はすたれた。」とあり、道祖神の信仰と習合していたことがうかがえます。さらに同書では「けんかは、・・・(中略)農休みと祇園祭には年中行事のように、部落の男の子が総出で、「戸田のがき共けんかぁこう」と、誘いをかければ「和泉のがき共けんかぁこう」と、応戦して、互いに堤防に陣を敷き石の投げ合いをした。和泉と戸田だけでなく、荊沢と落合、古市場と川上、江原と十日市場、東南湖と今福というように各地で行われたのである。」というように、子どもにとっては集落同士のけんか
の日でもあったようです。
 また、落合の八王子社では6月30日、夏越しの祭りとして禊祭り、現在では「輪くぐり」と呼ばれる禊の祭りが行われています。八王子社の祭神はスサノオの五男三女神ですが、本来の八王子は牛頭天王の8人の王子を祀っていたとも言われ、疫病退散を祈願した祇園祭と関係もしていると言えます。
 
ふるさと〇〇博物館ブログ 落合の八王子社の茅の輪くぐり

 
 このように現在まで続く祭や記録、伝承を見ていくと、京都を起源とする祇園祭が6月15日前後に市内でも広く行われていたことが分かります。そして、病を避ける願いとともに、子どもの誕生を願う、水を求める、火事を封じるなどそれぞれの地域の願いと結びつき、多様な姿をしていたことも明らかとなりました。
 こうした祇園信仰は時とともに忘れられつつあります。しかし、芦安の小曽利地区のように昔の賑やかだった記憶を懐かしみ今に伝え、共に若者たちがその記憶を形にして蘇らせようとする動きも出てきています。
 祇園祭で灯されるあかりは牛頭天王を喜ばせるための灯だと言われています。祇園祭に集う人々を見ると、そのあかりは世代や地域の異なる人々をつなげるあかりでもあるように感じられました。 

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【写真】令和元年7月14日 小曽利 ヤグラ前


2019年の飯野のお灯籠祭は8月18日(日)、若宮八幡神社で開催予定です。

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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