はじめに
前回に引き続き、鋳物師屋遺跡の土偶「子宝の女神 ラヴィ」(以下ラヴィ)について少し掘り下げて観察をしていき、その意味合いなどについても考えていきたいと思います。第1回目では鋳物師屋遺跡のことを。前回は「円錐形をした土偶」という、形態的な特徴についてみてみました。
今回はもう少し踏み込んで細かな「部分」を観ていきたいと思います。その時に第1回でご紹介した細かい「時期」についての表現も出てきますので、今一度、土器から見た山梨県の土器「型式」についても確認しておきましょう。ちなみにラヴィが出土した57号住居の出土土器は「藤内式」の前半の様子を示していました。
【図】山梨県における縄文時代中期の土器型式による区分け
ラヴィのお顔
まず、顔の特徴から見ていきます。顔の輪郭は、南アルプス市にある櫛形山のような形で、おでこの上部に広がりは少ないです。下のあごのラインはほぼ水平、丸いおちょぼ口が若干下がっているので少しだけあごの表現があるように見えます。縄文時代中期でも、後の時代になるほど顎が下がってくる傾向があります。平面的な顔面に立体的なパーツが乗っかっている印象です。
後頭部は割れていますが、環状に粘土紐がめぐって、前回ご紹介した「玉抱き三叉文」の装飾をした後頭部になっています。この後頭部の表現も縄文時代中期の前半に見られる特徴と言え、この後、ヘビのような装飾がついたり、髪を結ったようなリアルな表現になるなど、複雑な後頭部が目立ってくる傾向があります。
同じ鋳物師屋遺跡に、土偶が装飾された土器がありますが、この土偶部分の頭部も玉抱き三叉文になっており、ラヴィよりもよりはっきりした典型的な玉抱き三叉文といえ、他の文様の特徴から考えても、ラヴィが出土した57号住居の土器よりも一段階古い「新道式」のものと考えられています。
ラヴィの後頭部は、やはり3本指で有名な笛吹市の中丸遺跡の土偶の後頭部(東京国立博物館蔵)にも類似しています。この土偶は通称「ヤマネコ土偶」などと呼ばれるように、正面から見ると三叉文部分の粘土紐がネコ耳がついているように見えるのです。もしかしたらラヴィも後頭部が割れていなければ、ネコ耳のように見えた可能性もあり、そうすると大分印象が変わってきますよね。
【図】ラヴィの後頭部と類似資料
【写真】土偶装飾付き土器
【写真】土偶装飾付き土器
顔のパーツをみてみますと、吊り上がったアーモンド形の目や高い眉といずれも立体的に作られ、頬には弧状の刻み目が2列並んでいます。刺青や化粧を表現していると考えられ、これらは中部高地、特に八ヶ岳周辺地域で多くみられる顔立ちと言えます。ただ、口も立体的に丸く突き出している例はそれほど多くはありません。
頬の刺青の表現とみられるラインは、似たような文様が同じ鋳物師屋遺跡の「人体文様付有孔鍔付土器」のかわいらしいお顔にも見てとれます。ただし違う点は、有孔鍔付土器の方は線で描かれていますが、ラヴィの方は先のとがったような工具で細かく突き刺したような痕が連続して線のように並んでいることがわかります。このような文様の付け方は「新道式」という時代の特徴と言え、有孔鍔付土器(「藤内式」)よりも一段階古い文様の特徴です。その反面胴体部分にある幅広な工具による文様は「藤内」式の特徴と言え、古い要素と新しい要素が混在していることがわかります。
【写真】ラヴィのお顔
【写真】人体文様付有孔鍔付土器のお顔
細かいところを観察していくと、耳には耳飾り(ピアス)をしていたことがわかります。縄文時代中期の土偶には耳飾りが表現されたものもみられ、例えば先ほどご紹介した土偶装飾付土器の土偶にも左耳に耳飾りを模した表現がみとめられます。ただ、ラヴィには実際に孔があけられており、耳飾りがあったことを暗示した表現なのか、実際になにか別の部品が付けられていた可能性もあります。左耳は欠けていますが、ちょうど孔の部分で割れているので貫通している孔の様子を見ることができます。
【写真】ラヴィの耳の孔
【写真】土偶装飾付き土器の左耳
そして目をよく観察すると赤く塗られていることがわかります。目のくぼんだ所が顕著で、赤色顔料は、分析の状況からは酸化鉄の類であることは言えます。しかし、全身に見られる赤い色味は上から塗られた物ではなく、粘土中の成分が赤く見えていることが分かっています。塗られていたわけではありませんが、赤くなる効果を狙って粘土が調合されていた可能性は残されています。よって、赤く塗られていたのは目だけといえます。このことについても、たまに全身が塗られていた可能性があるとする書籍もございますので、ここでお伝えしておきます。
これまでラヴィの特徴を観察してきましたが、この特徴はいずれも、中部高地の縄文時代中期の特徴であることは確かで、さらに言うと、新道式という時代の特徴が多く残っていることから、新道式から藤内式への移行期に作られた土偶であると想像できます。
【写真】目の中の赤色の様子
しぐさのある土偶
顔だけでなく体の表面もよくご覧いただくと、何度も丁寧に磨いた痕や、胴体にも細かい文様などが施され、精緻に作り上げられていることがわかります。この土偶に対して強い思いが込められた様子がうかがえます。
では、どのような思いが込められたのでしょう?
この土偶「ラヴィ」の表面的な特徴ではなく、縄文人の内面を探ることは大変なことです。ただ、ラヴィは、そのしぐさが特徴的で、そこにヒントがありそうです。
ほとんどの土偶が「手が短いやじろべえ」のような恰好をしていますが、中部高地周辺の縄文時代中期中頃を中心に、「しぐさ」や「動き」のある土偶が見られます。これらを「ポーズ土偶」と呼ぶことがありますが、これは「しぐさ」がある土偶のことです。以前東京国立博物館の「縄文展」では、解説は少なく「ポーズ土偶」とだけ表示されていたもので、ラヴィをご覧になった若いお客さんが「ほんとだ!モデル立ちしてポーズとっている」と感想を漏らしていました。決してそういうことではないのですが、誤解を与えてしまう表現ですよね。ですので、ここでは「しぐさ」のある土偶としておきます。
左手は大きくふくらんだおなかに添えられ、右手は反り返った腰を押さえています。このような恰好がどのような姿を表しているのか、簡単に想像できるのは二通りでしょうか。一つは食べ過ぎておなか一杯の様子であり、もう一つはおなかの中に赤ちゃんがいる妊婦さんの様子です。
この土偶だけでは判断はできませんし、してもいけませんので、他の土偶と比較検討してみましょう。
実は時代も時期も限定されたこの「しぐさ」のある土偶、それほど多く出土していませんが、これらには共通点がみられます。
釈迦堂遺跡(山梨県)にはまさに出産の瞬間(座産)の姿の土偶があり、宮田遺跡(東京都八王子市)には赤ちゃんを抱いて母乳を飲ませている姿、上山田貝塚(石川県)には赤ちゃんをおんぶして(あるいは抱っこして)左手で支えている姿などがあり、「しぐさ」のほとんどが「出産」や「子育て」、「命」などに共通していることがわかります。
【図】上山田貝塚の土偶の実測図(2016『徳万頼成遺跡報告書』より)
そのような目線であらためて観察してみると、乳房があり、その中央にはへそ(出臍)へとつながる正中線、そして大きく膨らんだおなかが垂れ下がったかのような表現があります。これは「対象弧刻文」と呼ばれ、土器には用いられない中部高地の中期の土偶特有の表現です。棚畑遺跡の縄文のヴィーナスのおなかの表現と同じで、ヴィーナスはおなかのふくらみを立体的に描いていますが、その後徐々に平面的に表現されていきます。ラヴィもだいぶ平面的になっていますが、後の時代の土偶になるとさらに平面的になり対象弧刻文も正中線もただの線で描くだけとなります。
【図】縄文のヴィーナスとラヴィの対象弧刻文(1990『棚畑』 茅野市教育委員会より)
ラヴィのおなかは空洞であることが分かっており、本来は中に鳴子が入っていたのかもしれないことは前回ご紹介した通りです。円錐形をした土偶では突出して大きく精緻に作られた土偶ですが、他の円錐形土偶と同じように、底面の中央部に孔が開いています。これはただの空気抜けの孔というよりも、赤ちゃんが顔を出す場所を表現しているように思えます。やはりおなかの空間は胎内を表しているのでしょう。
【写真】ラヴィの底部
ということは、ラヴィのしぐさは、お腹の中に新たな命を宿したお母さんの姿であり、まるで臨月を迎えた妊婦さんが腰を押さえながらおなかの赤ちゃんを慈しんでいる姿に思えるのです。現在の妊婦さんとまったく同じ姿に、縄文人へ親近感を抱きます。
ただ、指が3本なのは親近感はわきません。我々と同じように見えても、これは人間ではなくあくまでも「偶像」ということを強調しているのかもしれません。同じ鋳物師屋遺跡の「人体文様付有孔鍔付土器」も3本指で、「ヤマネコ土偶」も3本指なのです。
中部高地周辺では割とみられ、特に土器に描かれる場合、「カエル」を描いた土器に3本指が多く用いられることからカエルとみたてた時に3本指にするのではないかという研究もあります。カエルは沢山の卵から沢山の命が誕生し、そしてオタマジャクシから姿を変えて成長してゆくなど、縄文人はその姿に発展や成長、繁栄などを重ね合わせたのでしょうか。もしかしたら、鋳物師屋遺跡の縄文人もそのような考えで3本指にしたのかもしれません。妊婦姿の土偶という点からすると、願う先は同じように思えます。
しぐさは愛情にあふれたような微笑ましいもののように見えますが、その反面、「命」に対して必死に繋いできた姿が見えてくるようです。
ラヴィの位置づけ
中部高地周辺地域は土偶が最も多く出土している地域の一つです。前回お伝えしたように、特に縄文時代中期には、板状の土偶から立像土偶、または立体的な土偶への変遷がみてとれます。さらにしぐさや動作がある土偶、円錐形の土偶の展開などはまさに中部高地の特徴といえます。ラヴィも、円錐形の立体的な胴体に立体的な頭部がつき、さらに、妊婦さんを彷彿させるしぐさがありますよね。まさにこの地域の特徴を良く表している代表的な土偶といえます。
ラヴィは、57号住居址の床面近くから出土し、割れはあるもののほぼ全身の姿がわかる状態を留めていました。これは、ラヴィが住居の中で用いられていたことを示している貴重な事例と言えます。先述したように、ラヴィの特徴からすると、縄文時代中期の藤内式という時代の中でも最初の段階、その前の新道式の特徴が色濃く見えますので、ちょうど新道式から藤内式へ移行する段階の土偶だと考えられます。そうすると、57号住居址の土器が藤内式の前半とみられますので、住居にあった土器よりも土偶の方が若干古い様相を示しているのです。この点はもう少し精査が必要ですが、もしかしたら、土偶がある程度長い時間「使われていた」可能性があるのです。これは、底の部分に擦れたような痕があることもそれを裏付けているように思えます。たとえば代々受け継がれたり、村の中で受け継いだりしたものなのかもしれません。そう考えるとますますラヴィへ込められた想いの強さが伝わってきますね。
土偶も多様であって、必ずしも一つの目的のものではないと考えます。妊婦さんの姿や赤ちゃんの顔、動物の特徴などを借りながら、「何か」を表している「偶像」なのでしょう。例えばラヴィが「出産」を表しているのか、「豊穣」を表しているか、その両方かもしれないし、実は両方とも違うかもしれません。しかし、「しぐさ」のある土偶に見られるテーマがいずれも「出産」や「子育て」と言えますから、いずれにしても大きくくくれば「命」を象徴しているように思えます。おそらく現代人が考える一つの言葉では表せないのでしょうね。ラヴィを通して縄文人の思いを想像する楽しみが尽きません。
ラヴィの活躍
ラヴィは、多くの書籍や、全国そして海外の博物館で紹介されるなど、まさに縄文文化を代表する存在として活躍しています。当然南アルプス市の歴史を語る上で欠かせないものですが、歴史に興味のない方にはまだまだ浸透できていません。そこで、歴史に興味がない方や様々な世代の方にも知っていただけ、誇りを持っていただけるよう市の文化財課では、市民のみなさんと連携しながら様々な工夫に取り組んでいます。
土偶に囲まれベビーマッサージ
そのひとつとして、平成26年度よりふるさと文化伝承館の縄文展示室で「HONDAベイビーくらぶ」という取り組みを実施しています。子育て支援を推進する市内の企業さんと、子育て支援NPO法人さんとの協働で隔月で開催しているもので、ベイビーマッサージや縄文のお話しなど、命の象徴であるラヴィに見守られて親子で命を育む集いです。毎回受付開始後すぐに定員が埋まるほどの人気で、これまで200組以上が参加されています。ラヴィは子育て世代にはとても共感を得られやすいようです。
【写真】ラヴィ越しに望むベイビーマッサージの様子
愛称の決定とキャラ展開
「子宝の女神 ラヴィ」という愛称は、ふるさと文化伝承館で実物を見学された方を対象に平成25年26年と募集し、平成27年に決戦投票で決定したものです。「ラヴィ」はフランス語で「命」の意味です。同じ名前でキャラクターとしても展開をしていて、同年には土偶キャラ界の頂点を決める「全国どぐキャラ総選挙」で見事優勝、翌年には「ミュージアムキャラクターアワード2016」で全国2位に輝きました。これらはインターネット上での投票であり、SNSを利用する世代への周知に効果的でした。
ラヴィの胎内体験
また、ラヴィの姿をしたエアードーム型の胎内体験ドームは、妊婦さんの姿をした土偶ですからということで、ラヴィのおなかの中に入って子供たちが笑顔で遊んでいるというシチュエーションがポイントです。子供たちがドームの壁にぶつかり壁が飛び出す様子が、お腹の中で赤ちゃんに蹴られた時のことを思い出すと話すお母さんもおり、思いがけない共感も生まれています。
これらは、普段、歴史に触れる機会の少ない子育て世代や、小さなうちから知らず知らずのうちに地域の歴史に触れているという仕掛けで、興味の入り口として機会を作っています。楽しみながら縄文文化や歴史に触れられれば良いと考えています。
【写真】ラヴィの着ぐるみ(左)と胎内体験ドーム
地域住民と縄文のコラボ
地元南アルプス市小笠原にあるベーカリールーブルさんでは、ラヴィの顔をあしらっただけでなく、鋳物師屋遺跡の土器片の圧痕調査から判明した「ダイズ」「アズキ」「エゴマ」を具材にしたパンを販売しています。他のまちにはないオリジナルな資源として活用してくださっています。同じように、鹿皮に漆を用いている山梨の伝統工芸「甲州印伝」ともコラボしてラヴィ名刺入れを作りました。まさに縄文の組み合わせですからね。名刺交換の時からまちのPRを全開で行えます。
行政の中でも活用されはじめ、住民票等をお渡しする際の封筒にも登場したり、健康増進課の少子化対策担当として市長から辞令ももらい、おむつ引換券や妊婦さんへの検診の通知にも登場しています。
その他、遺跡の存在する下市之瀬区の高齢者サロンのボランティアグループが「ラヴィの会」と名付け、揃いのTシャツで活動したり、地元小学生が自ら鋳物師屋遺跡のことを調べ、動画で配信するなど、地域の誇りとして定着しつつあります。
【写真】店頭に並ぶラヴィちゃんパン
メッセージ~まとめにかえて
海外展に7回、縄文を扱う書籍には必ずと言ってよいほど登場する「子宝の女神ラヴィ」は中部高地地域の土偶の特徴を兼ね備え、明らかに縄文文化を代表する土偶の一つです。その造形や精緻さだけでなく、縄文人の精神分野を垣間見ることができる独特の姿やしぐさで注目されています。何よりも、その姿が命の根源に関わる姿をイメージさせることが、観た方の心を掴んで離さないのではないでしょうか。愛情に溢れているようなしぐさにも見え、親近感のわく存在と言えますが、実は必死に命を繋いできた縄文人の思いが込められた姿なのかもしれません。
同じ鋳物師屋遺跡には表面に土偶レリーフが貼り付いた有孔鍔付土器(重文)など、日本を代表する優品が揃っています。コロナ禍にありなかなか移動のできない昨今ですが、移動できるようになりましたら、ふるさと文化伝承館にぜひお越しいただき、「命」のメッセージを受け取ってください。素敵な未来を紡げますように。
【写真】鋳物師屋遺跡出土 円錐形土偶「子宝の女神 ラヴィ」
【南アルプス市教育委員会文化財課】