4月も中旬に入り、安藤家住宅の草花も芽吹きはじめ、季節の移り変わりが感じられます。
重要文化財安藤家住宅では、5月5日の端午の節句に合わせ、5月28日まで端午の節句飾りの展示を行っています。
端午の節句飾りと言えば、こいのぼりや五月人形、鎧兜(よろいかぶと)を思い浮かべる方が多いと思いますが、今から約100年前に絶えてしまったといわれる「おかぶと」をご存知でしょうか?
「おかぶと」とは、江戸時代後期から明治時代中期に流行した甲州独自の節句人形で、別名「カナカンブツ」とも呼ばれて親しまれてきました。
その姿は、紙で作られた張子面と兜をかたどった前立を棒で支え、鎧の垂れを付けた簡素な武者人形で、棒なしでつるすものもあったそうです。現在のように男の子の産まれた家で用意するのではなく、親戚や知人から贈られることが一般的で、贈り主など多くの人の目に触れられる縁側や玄関などに飾られました。
「人形は顔が命」とよく言われるように、一番個性が出るのは張子面で、その種類はとても多いことが郷土史家の上野晴朗氏の調査で分かっています。最も人気があったのは、やはり武田信玄や勝頼で、豊臣秀吉や上杉謙信などの戦国武将や源頼朝や義家などの源氏の武将のほか、昔話に登場する天狗(てんぐ)や桃太郎などの「おかぶと」も作られました。
「おかぶと」は、露店でも手に入りましたが、専用のつづらに入れて歩く売り子から買い求めるのが主流でした。最後までよく売れた地域は、現在の南アルプス市にあたる釜無川以西の地域だったそうです。甲州街道に沿って歩き、富士北麓地方には足を延ばさなかったと伝えられていることから、山梨県の中でも限定された地域に根付いていたと考えられます。
そんな「おかぶと」は、どうして絶えてしまったのでしょうか?諸説ありますが、明治時代の文明開化政策により民俗行事の簡素化が行われた結果、「おかぶと」を贈る習慣が少なくなったことや、明治中期の中央線開通で、先述した鯉のぼりや五月人形、鎧兜に代表される都市部の節句飾りの習慣に押される形で「おかぶと」が絶えてしまったとも考えられています。
安藤家住宅では、「おかぶと」のうち、張子面を二つと張子面の下につり下げる垂れを展示しています。時代の移り変わりとともに姿を消した「おかぶと」に思いをはせてみませんか。
【写真左】「おかぶと」張子面、【写真中】「おかぶと」張子面、【写真左】「おかぶと」垂れ
【南アルプス市教育委員会文化財課】