南アルプス市には北岳、間ノ岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山と3000メートル級の山々があります。当市からは鳳凰山・櫛形山・夜叉神峠など前衛の山々にさえぎられて全貌を見ることはできません。場所によりわずかに北岳や間ノ岳、農鳥岳の頂上付近を見ることができます。
ここには、平地にはない花々が咲き乱れ、山を彩ります。今回は日本で二番目に高い山・北岳(3,193m)とそこに咲くキタダケソウについて探ってみます。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・。中学校の古典の授業で必ずといっていいほど暗記をする『平家物語』の冒頭部分です。その『平家物語』の中に、甲斐の白根が登場します。一ノ谷の戦いで捕虜となった平清盛の三男重衡は、鎌倉へ護送される途中、駿河国(今の静岡県岡部町、静岡市周辺)まで来たとき北に白い雪山を見ます。「宇津の山邊の蔦の道、心細くも打越えて、手越しを過ぎて行けば、北に遠ざかつて、雪白き山あり。問へば甲斐の白根といふ。その時三位の中将、落つる涙を抑えつゝ」と書き、次の短歌を添えています。
惜しからぬ命なれどもけふまでに、つれなきかひの白根をもみつ
残念ながら、東海道から北岳を見ることはできません。しかし、甲斐の白根という存在が都まで知られていたことを示しています。
江戸時代の『甲斐国志』にも北岳の描写があります。「此ノ山ハ本州第一ノ高山ニシテ西方ノ鎮メタリ」で始まり、大加牟婆池(白根御池)の伝説や山頂の様子も記述されています。
近年の登山ブームの火付け役になった深田久弥は、『日本百名山』の中で「富士山の大通俗に対して、こちらは哲人的である」と北岳を紹介しています。
日本の近代登山の先駆者として知られる小島烏水や木暮理太郎らによって、日本の名山が世に紹介されました。それまで信仰が目的であった登山からスポーツとしての登山を楽しんだ外国人宣教師、W・ウェストンの功績も大きいものがあります。ウェストンは明治35年、当時旧芦安村長であった名取運一らの協力を得て、外国人として初めて北岳の登頂に成功しました。『日本アルプス再訪』に、「有名な諏訪湖の南岸から始まり~中略~富士山の西の太平洋の近くまで至る三角形の大山塊を指して、私は《南アルプス》と呼んだ」と書いています。
【写真・左】=二俣よりバットレスを望む
【写真・右】=北岳山荘より富士山と櫛形山
この高峰北岳には、固有の高山植物がいくつか生育しています。キタダケトリカブト、キタダケヨモギ、キタダケデンダなどがありますが、何といっても代表は、世界にここにしか咲かないキタダケソウです。キタダケソウは、登山シーズン前の梅雨時、残雪の残っているとき花を咲かせるので、なかなか見ることが出来ません。発見されたのは、僅か70年ほど前のことです。
富士山や櫛形山のように、高い山は県や市町村の境になっている場合がほとんどです。しかし北岳はどの市町村とも接していません。日本第二の高峰北岳が南アルプス市の中にドンと構えているのです。
北岳はこのように日本、世界に誇りうる山です。