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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2007年9月

【季節の便り】

フルーツ狩りを楽しんでみませんか!

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 吹く風にも冷たさが感じられ、ひと雨ごとに秋が深まってきています。

 市内にある塚原山のフルーツ農場には、今が盛りとばかりに秋の味覚がいっぱい。11月の末までは常に3種類ほどのフルーツ狩りができるようにと配慮され、何種類もの梨や洋ナシ、りんご、ぶどうなどさまざまな果物が山を切り開いた見晴らしの素晴らしい場所にたくさん実を付けていました。

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 この農場では、前もって自分の名前を書いた文字をリンゴに貼り、リンゴが収穫できる頃には文字の部分がはっきり残るという「マイネームリンゴ」が人気を集めています。

大きなカボチャにびっくり!

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 保育園の子どもたちに見せてあげたいという気持ちから、地域の大人たちが育てたというカボチャです。実際には、もっと大きくなるはずだったようですが、育て方を失敗したそうです。でも、携帯電話と比較しても、かなり大きなものだということを感じていただけるでしょうか。
 地域の大人たちがいろいろ考え、アイデアを出し合いながら、みんなで子どもたちを育てていこうという気持ちから育てられたカボチャは、たくさんの優しさが詰め込まれた重たいカボチャでした。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

古代寺院 善応寺と雨乞い伝承の地、大笹池

 前回ご紹介した大嵐の須沢城と同じ段丘上に、平安時代から続く古寺、善応寺があります。そのさらに奥、山深く分け入ったところに、幽玄な雰囲気に包まれた大笹池があります。今回のふるさとメールでは、歴史的に深い繋がりのある善応寺と大笹池に立ち寄ってみます。

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【写真・左】=善応寺石段
【写真・右】=善応寺観音堂

 静寂な参道を歩き、苔むした階段を上ると、臨済宗の古寺 城守山善応寺が現れます。寺記によれば、善応寺は鎌倉円覚寺2世の大休正念(だいきゅうじょうねん)が開山しました。その年代ははっきりとしませんが13世紀中ごろと推測されています。しかし、善応寺周辺からは平安時代の遺物や経筒が発見されており、平安時代にはすでに古代寺院があったものと推定されています。

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【写真・左】=千手観音像
【写真・右】=本堂西側に安置されている宝篋印塔(ほうきょういんとう)(鎌倉時代:県指定文化財)

 善応寺の本尊は寺記によると釈迦如来ですが、現在の本堂には、平安時代に作られた千手観音像が安置されています。著しい腐食に見舞われ、部分的に焼けた跡を残しながら、千年あまりもの年月をその身に経た風格を漂わせています。

 この千手観音像はカツラ材による一木造で、原木となったのは、大笹池周辺のカツラの木と言い伝えられています。大笹池は御庵沢(ごあんざわ)の水源であり、善応寺とは上道(うわみち)と呼ばれる古道で結ばれています。地元の伝承では、千手観音像は最初、池の西側に安置されていましたが、ある日のこと、野火に焼かれて火傷を負い、そのとき、甘利山のサワラ池から赤牛に化けて逃げてきた下条婆々(げじょばんば)に背負われて善応寺まで運ばれたとされています。

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【写真・左】=大笹池
【写真・右】=大笹池から流れ出る御庵沢

 千手観音が祀られていた大笹池は、かつて近隣集落の人々が雨を祈願する特別な場所でした。笹や竜の飾りを手にした人々が行列を作りながら池に向かい、池の周りで「そーれ降ってござった、天つくばった」と大声をあげて踊り、池の水を濁らせ、雨乞いの儀礼を行いました。さらに、善応寺にもいくつか湧水があり、境内で雨乞いの儀礼が行われたとの証言があります。

 このほかにも善応寺周辺と大笹池には雨乞いと水にまつわる伝承が数多く伝えられています。豊かな水をたたえる大笹池や枯れることのない善応寺の湧水が、水を願う人々を引きつけたのでしょう。水に苦労し水を求め続けた先人達の姿が、今に伝わる昔話や雨乞いの儀礼に映し出されています。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

秋を見つけた!

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 天気予報では、この一週間は秋雨が続くとのことでしたが、夜は雨でも日中は太陽がのぞき、まだまだ蒸し暑さが残っています。雨が止むと一斉にセミの鳴き声が響き、夜には競い合うように鈴虫の声が聞こえます。
 9月に入り、一段と空が青く澄みわたってきたように感じます。周りの景色も黄金色に輝きはじめ、稲刈りの時期が近づいてきています。

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 民家の庭先に、ざくろと栗の木を見つけました。ざくろは100年も経っている老木とのこと。ざくろも栗も実がしっかりと入っていて、こんなところにも秋を感じることができました。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)の舞台 須沢城(すさわじょう)

 甲斐源氏の活躍により成立した鎌倉幕府も終わりを迎え、後醍醐天皇による建武の新政を経て、時代は南北朝時代となります。南北朝の争いは京都や鎌倉だけの話でなく、南アルプス市に及んでいました。今回のふるさとメールではその舞台のひとつとなった南北朝時代の山城、須沢城をご紹介します。

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【写真】=須沢城跡

 1990年に放送された大河ドラマ「太平記」をご記憶の方はいらっしゃるでしょうか。鎌倉幕府を倒し、室町幕府を開いた主役の足利尊氏役に真田広之、弟の足利直義(あしかがただよし)役を高嶋政伸が演じました。ドラマは尊氏と直義兄弟の絆と対立を縦糸として紡がれていました。

 兄弟の対立は史実であり、この幕府内での内紛は観応の擾乱と呼ばれています。その引き金は、将軍である尊氏と、弟の直義とが政治的権限を分割して統治したことによって、幕府内に二つの派閥が生まれたことにありました。

 まず、尊氏に仕える執事高師直(こうのもろなお)と直義が幕府の実権をめぐり激しく対立しました。ちなみに以前、古長禅寺(南アルプス市鮎沢)でご紹介した名僧夢窓国師(むそうこくし)が高師直と直義をとりなし、一時対立が緩和されたエピソードも伝えられています。両者の争いは各地で2派の代理戦争を引き起こします。尊氏が京都とともに重視した鎌倉では、鎌倉公方(鎌倉府の長官)を補佐する2名の執事、高師直の養子の高師冬(こうのもろふゆ)と直義派の上杉憲顕(うえすぎのりあき)の間で争いが起こります。高師冬は鎌倉公方を擁立して上杉憲顕を攻めましたが、逆に公方を奪われてしまい戦況が不利となってしまいました。そして、追われた高師冬の向かった場所が、現在の南アルプス市大嵐の須沢城です。しかし須沢城に入った高師冬は上杉軍と諏訪軍に攻められ、観応2年(1351年)に自刃しました。

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【写真・左】=南東に見られる土盛り
【写真・右】=土盛り上の石造物

 須沢城の推定地は南アルプス市大嵐の小高い段丘上にあります。南東へとゆるやかに傾斜する斜面が広がり、その南東に五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが置かれた土盛りがありますが、現在では城の痕跡を見つけることができません。1989年には発掘調査と地中レーダー探査が行われ溝跡が発見されました。しかし、具体的な城の姿を描くことができるまでの遺構はこれまでのところ発見されていません。

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【写真】=的場

 その一方で、諏訪軍が須沢城をのぞき見た地点「のぞきの森」や「駒場」「的場」、「塩の前(城前)」など城の存在を暗示する地名が今も須沢周辺に言い伝えられています。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】