今回のふるさとメールでは大師東丹保遺跡から出土した祭祀の道具を紹介しながら、遺跡の性格をまとめてみます。
東西約30×南北450mの調査範囲に広がる大師東丹保遺跡は、南からⅠ~Ⅳ区まで調査区域が分けられています。その内Ⅱ区の北側に掘立柱建物跡が4棟立ち並び、その南北に水路で区画された水田が広がっていました。
【写真・左】=五芒星が記された呪符木簡
【写真・右】=五芒星が記された呪符木簡(実測図)
Ⅱ区北側に立ち並ぶ建物跡周辺の特に南側では、まじないや祭祀に使うさまざまな道具が見つかっています。ここ数年来世間である種のブームとなっている陰陽師(おんみょうじ)、とりわけ安倍晴明(あべのせいめい)が有名ですが、その陰陽道で魔よけの呪符として使われる五芒星(ごぼうせい)を記した木簡がここで出土しました。残念ながら記されている墨書を解読することはできませんが、この地に暮らした人々の切実な願いが込められているものと思われます。ちなみに五芒星は安倍晴明を祀る京都の清明神社の神紋にも使われています。
【写真・左】=出土した斎串(実測図)
【写真・右】=土坑から出土した渡来銭
そのほかの祭祀の道具としては、細い木を削り先端を尖らせ、切れ込みを入れた形で祭祀具として利用された斎串(いぐし)や病気の治療などに使われた祭祀具の人形なども発見されています。また、建物跡南側の土坑から28枚の渡来銭が見つかっている他、古来中国や日本で邪気を祓うと考えられていたモモのタネ部分も溝跡から大量に出土しました。こうした出土遺物を眺めてみると、建物跡南の区画は水辺でお祭りを行う特別な場所だったのかもしれません。遺物をじっと見つめると、呪符木簡や斎串に願いを込め、祈りを結んだ当時の人々の姿が浮かんでくるようです。
こうしたさまざまな祭祀具や前回ご紹介した漆器や舶来の青磁・白磁などの出土遺物から、発掘された建物跡が一般庶民の住宅ではなく、ある程度の財力を持ち低地開発を主導した階層の屋敷跡と推測されます。水路を掘り、畦を盛り上げ、床土を整えて苦労の末開発したこの水田も、14世紀中ごろに起こった洪水によって埋没し、集落は放棄されます。今よりもずっと自然の猛威に生活が左右された鎌倉時代、だからこそ人々は祭祀を行い、自然と言葉をかわそうとしてきたのでしょう。
現在、遺跡周辺は洪水による被害もほとんどなくなり、稲作が営まれ、たくさんの稲穂が頭を垂れています。
(写真出典)
山梨県教育委員会 1997「大師東丹保遺跡Ⅱ・Ⅲ区」
【南アルプス市教育委員会文化財課】