南アルプス市ふるさとメールのお申し込みはこちら

南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

南アルプス市ホームページへ

プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

南アルプス市ふるさとメール閲覧ページのURLアドレスが変わりました。ブックマーク(お気に入り)やリンクのURLアドレスの変更をお願い致します。

http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/

2021年4月

【ふるさとニュース】

輝く「初夏の味」収穫

A202104171

 ハウス栽培のサクランボの収穫が16日、南アルプス市内で始まった。農家が鈴なりになったサクランボを丁寧に摘み取った。
 同市飯野の農家はこの日、高級品種「高砂」を収穫。今年は暖冬の影響でハウスの加温開始が遅れたが、天候の良い日が続き順調に育ったという。東京・大田市場などに出荷され、スーパーや百貨店で1パック(80グラム)が千円前後で販売される見込み。
 農家は「新型コロナウイルスの影響で外出する機会が減っているが、初夏の香りがするサクランボを食べて明るい気持ちになってほしい」と話した。

(写真)収穫が始まったハウス栽培のサクランボ=南アルプス市飯野

【山梨日日新聞 4月17日掲載】

【季節の便り】

南アルプス市消防団入退団式が開催されました

A A_2

 4月4日、令和3年度南アルプス市消防団入退団式が、712人の消防団員と関係者が出席し、若草グラウンドで感染症防止対策を実施するなかで開催されました。
 昨年度は新型コロナウイルス感染症の拡大防止により中止となったため、2年ぶりの開催となった式典では新たに入団する117人に入団辞令が交付され、新人団員代表者が消防団員として地域の安心安全を守ると力強く宣誓をしました。

 

2021年度さくらんぼ狩りのご案内

A_3

 いよいよ5月上旬から、ハウスさくらんぼ狩りが始まります。今年は真っ赤に色付いたさくらんぼを、是非お召し上がりください。
 皆様に安心してさくらんぼ狩りを楽しんでいただくため、新型コロナウイルス感染症拡大防止の取り組みにご協力をお願いします。

A_4

入園時間]9:00~15:30
入園料金
加温ハウス(予約制) 5月上旬~5月下旬 30分(食べ放題)3,000円
露地(9名まで予約不要) 6月上旬~6月下旬 40分(食べ放題)2,200円
詳しくは、こちら(観光協会ホームページ)をご覧ください。

お問い合せ
南アルプス市観光協会
TEL 070-2681-3881(さくらんぼ狩り専用ダイヤル)
TEL 055-284-4204

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【連載 今、南アルプスが面白い】

風来りて土と成る
~綿引健の生涯と西郡の人々~

 「風土」はその土地の自然環境や精神的な環境を意味しています。辞書から離れると、外の土地から来た人が新しく異なった文化を風となって運び、土である地元の人々が受け入れてその土地の風土が生み出されるという考え方もあります。今月のふるさとメールは先月ご紹介した綿引健の生涯を通し、明治・大正時代の西郡(にしごおり)の風土を培った人々とのつながりをたどります。

 

西郡への風 旅立ち
 綿引健は安政5年(1858)8月7日、水戸の武家に生まれました。幕末、水戸学の中心人物の一人栗田寛に師事し、漢学などを修めました。同じ門下であった有野村矢崎貢(みつぐ)の強い勧めで、明治8~9年、17・18歳の時、西郡源村にやってきたと伝えられます。貢の父の保全は長崎で蘭学を学んだ医師で、医業を営みながら明治5年まで私塾を開き漢学も教えていました。そこに20歳前の水戸の青年が招かれたのです。

A0011907

【写真】栗田寛『大日本名家肖像集』経済雑誌社1907年

 

人々との出会い
 甲西町誌によれば綿引健(以下先生)は源村で教えた後、鏡中條、小笠原、荊沢へと移りそれぞれ塾を開いたとありますが、詳しいことはわかっていません。しかし資料には、先生がさまざまな人々の顕彰碑や墓誌などの撰文(記念碑などの文章を作ること)を書いた記録が残されています。このことから先生が多くの人々と出会い、絆を結び、この地において大きな信頼を得ていたことがわかります。
 源村の飯野新田で私塾を開き漢学を教えていた埴原治良吉の墓碑銘も書いています。文の中では娘婿の弁一郎とその子供達にも触れ、長男の正直は外交官で米国公使館書記官、次男弓次郎は早稲田大学生、長女桑喜代は美術学校在学と書かれています。正直は後に外務次官となり日本外交のかじ取りを担い、桑喜代は画家の道を進みました。この文からも埴原家との深いつながりがわかります。

A002

【写真】埴原正直

 鏡中條村での塾の場所や期間は明らかになっていません。しかし同村の巨摩八幡宮の神職を務め、寛政から天保年間塾を開き読書や習字などを教えていた斉藤操の頌徳碑の文章を作成していることから、斉藤家へ招かれたのかもしれません。また、鏡中條で代々医業を営んだ小野家にもその足跡が残されていました。明治32年、小野徹(1875-1971)は同村に「洗心堂」を開業し、医療とともに日本住血吸虫病の病害の研究、解明に尽くしました。徹の息子修が書き留めた『父・祖父を語る』には「十五歳の三月、中巨摩西部高等小学校を卒業し、九月まで今の甲西町荊沢にあった漢学塾に通って、漢学を勉強しながら医者になる決心をした。」とあり、先生から漢学を学んでいたと考えられます。生家には綿引健書の額が現在も飾られ、さらに西南湖の安藤家の中門前で撮影された先生との写真が「綿引匏水先生」の文字とともに残されていました。小野家、そして西南湖の安藤家との親交が写真から伝わってきます。また小野徹は亡くなる直前まで、漢詩を作り書に没頭したと伝えられます。

A007

【写真】斉藤操頌徳碑 巨摩八幡宮

A004

【写真】小野家に掲げられた綿引健の書

A004_2

【写真】綿引先生と小野徹 安藤家中門前

 次に移ったとされる小笠原(当時明穂村)には明治21年私立高等英和学校が設立され、先生が招聘されましたが、1年で廃校となっています。また小笠原の医師桑島尚謙の桑島尚謙の彰徳碑を撰文しています。桑島は和歌山県の生まれで、藤田村の五味家に身を寄せ、後に小笠原の桑島家を継承して医業を営みました。医術に優れ「訪れた患者は門に充ちた」と伝えられています。貧民救済のためにも奔走し県立の施薬院設立を目指しましたが、果たすことなく明治31年66歳で亡くなりました。門人達が遺徳を偲び久成寺に彰徳碑を建立し、先生がその文を作成しました。綿引健40歳の時です。

A007_2

【写真】桑島尚謙彰徳碑 久成寺

A00702

【写真】桑島尚謙彰徳碑 久成寺

 小笠原から次に移り住んだのが江戸時代、駿河と信州を結ぶ駿信往還の宿として栄えた荊沢村です。荊沢村では法泉寺檀家の人たちが寺内に漢学などを学ぶ学術研究会を明治19年に設立し、明治21年塾長であった牛山竜が去った後、当地の大地主市川文蔵が強く懇願し、先生が塾長として招かれました。明治34年に新しい学舎が完成すると、名前を天民義塾と改名し、多くの人々が塾に集ったと伝えられます。

 

水害からの復興と学び
 西郡に来た先生の人生を決定づけたのは、この地の水害と言ってもいいでしょう。明治時代は、殖産興業を掲げた山梨県の政策により養蚕などの燃料として山々の木が切られ、また村々が共同管理していた山が官有林とされたため盗伐が横行し、山が荒れたため洪水が多発した時代でした。
 明治39年(1906)7月16日、甲府で1日に171mmを記録するほどの豪雨と続く7月24〜26日の雨によって、釜無川や市之瀬川、荊沢地内の裏瀬川など多くの河川が氾濫し、完成したばかりの天民義塾の新学舎が流失したと伝えられています(註1)。そのため、天民義塾は南湖村に移されることになります。南湖村は東の釜無川と西の滝沢川の度重なる水害を受けてきた地域で、住民にとって水害からの再興が大きな課題でした。そのため、明治29年には報徳思想を取り入れ、丹沢義吉と入倉善三を中心に報徳講を設立、勤倹貯蓄とともに生涯にわたって学習し、農民の自立を促す運動も行われていました。学ぶことで度重なる水害からの復興を目指したのです。この地に綿引健が招かれたのは必然だったのかもしれません。天民義塾が移された翌年起こったのが先月紹介した明治40年の大水害です。

A009

【写真】入倉善三=左、丹沢義吉=右

 明治40年の大水害後、南湖村水害図の他、洪水によって流路が変わった新笛吹川の石碑の文も先生が書いています(「新笛吹川紀念石之碑文」)。さらに大正4年、御勅使川扇状地全体の水害鎮守として祀られた有野の水宮神社の拝殿が修築され、それを記念した石碑も建立されました。その文を作成したのも先生でした。この地に導いた学友矢崎貢がこの時「治山・治水」と刻んだ石塔を寄進していることから、貢が先生に依頼したと想像できます。御勅使川扇状地の扇頂部に立地する有野にとっても、山を治め、川を治めることは最も重要な課題だったのです。
 このように度重なる水害に翻弄された地域や人々、そして自分自身の経験から、先生は水害の記憶を次世代に伝える言葉をさまざまな場所で残しているのです。

A003

【写真】水宮神社 大正4年矢崎貢寄進 治山・治水灯籠

A00302_2

【写真】水宮神社記念碑

A003_2

【写真】水宮神社記念碑

 

父母のように
 多くの人と交わり、西郡に学問を広めた綿引先生はどのような性格だったのでしょうか。一説には書家で大酒豪であった父がこの地にやってきた時、地元の若者と争いとなり亡くなってしまい、その父の仇を討つためこの地にやってきたという話も伝わります(『甲西町誌』)。しかし地元の人に諭され、仇討ちを捨て、そこから一切人と争うことがなかったとも言われます。また、ナマコを肴に飲む酒が大好きでしたが、度重なる水害を経験したことにより、西南湖の丹沢義吉らとともに「楽地禁酒会」を立ち上げ、酒を断って節約し、復興を目指したそうです。謙虚で思慮深く、温和な性格は人々を惹きつけ、還暦の祝いには100名以上の門下生が集まりました。門下生は後に先生を父でもあり母のようでもあったと記しています。

 

西郡の土と成る
 20歳前に西郡に移り、さまざまな人々やその地の風景と出会い、共鳴し合い、多くの人々を教え導いた綿引先生。大正7年から9年、約100年前に世界中で大流行した流行性感冒、スペイン風邪として知られるインフルエンザによって大正8年2月26日、その命の灯火が消えることになりました。享年63歳、西南湖正福院に門下生が墓を建立し、今もその地に眠っています。

A009_2

【写真】綿引健 墓 正福院

 綿引健は亡くなりましたが、その言葉と想いは受け継がれ現在につながっています。先生に学んだ西南湖の入倉善三は仲間とともに報徳社を発展させました。西南湖報徳社は県内で唯一現在でも活動を続けています。小笠原で生まれ天民義塾で学んだ石川幸男は韮崎の杉山家に入り、運送会社を営んだ後初代韮崎町長となり、韮崎市の礎を築きました。幸男は文化への関心も高く、藤井町の坂井遺跡保存会初代会長ともなっています。南湖村で生まれた深沢吉平は明治36年、北海道音江村に入植し、同村長を経てデンマークに酪農を学び、北海道における酪農推進の先駆者の一人となりました。
 風であった先生はまさに西郡の土となり、様々な人々と新しい風土を培い、他の地域へ吹く新たな風を生み出していったのです。

A008_2

【写真】入倉善三先生頌徳碑

A008_3

【写真】入倉善三先生頌徳碑 背面


註1:『甲西町誌』による。一方で『深澤吉平の生涯』(岡本昌訓 1964)では、「初め鰍沢の高月にあったが、類焼の厄にあって、今の南湖報徳社の建物がある場所に移転した。」とある。

参考
「南アルプス市立図書館ふるさと人物室」
https://m-alps-lib.e-tosho.jp/kakukan/furusato.html
「山梨デジタルアーカイブ『匏水子集』」
http://digi.lib.pref.yamanashi.jp/da/detail?tilcod=0000000016-YMNS0200025

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【ふるさとニュース】

櫛形山のタヌキケーキに レストハウス伊奈ケ湖

A202104151

 南アルプス市上市之瀬のエコパ伊奈ケ湖にある「レストハウス伊奈ケ湖」は、櫛形山に生息するタヌキをモチーフにしたデザート「櫛形山のたぬきケーキ」を作った。エコパ伊奈ケ湖のリニューアルオープン3周年となる24日から提供する。
 たぬきケーキは、生クリームが貴重だった1960年代に流行したバタークリームのケーキ。現在は販売する店が減ったことで、会員制交流サイト(SNS)を中心に“絶滅危惧種のケーキ”として話題となっている。
 同施設の料理長は「昔懐かしい味を再現したい」と、かつて販売していた甲府市内の洋菓子店の店主らにアドバイスをもらいながら考案。ココア味のスポンジとバタークリームを重ね、チョコレートでコーティングした土台を櫛形山に見立て、バタークリームとアーモンドスライスでタヌキの顔を表現している。
 ケーキは500円で、テークアウトも可能。料理長は「たぬきケーキをきっかけに伊奈ケ湖周辺の自然や生き物に親しみを持ってほしい」と話している。

(写真)レストハウス伊奈ケ湖が提供する「櫛形山のたぬきケーキ」=南アルプス市上市之瀬

【山梨日日新聞 4月15日掲載】

【市役所便り・イベント情報】

はしご車、共同運営へ 南アルプス市と峡南行政組合

A202104142

 南アルプス市と峡南広域行政組合は、はしご車の共同運用を始める。1台ずつを運用していたが、出動回数が少なく維持費の負担が膨らんでいた。来年4月に新たなはしご車1台を導入する。はしご車の共同運用は、大月市と上野原市に続き県内2例目。
 南アルプス市消防本部と峡南消防本部ははしご車を1台ずつ所有し、3階以上の中高層火災などに対応。維持費が高額な一方で、1994年~2021年3月の出動は両消防本部合わせて14件にとどまっていた。
 市と組合は新たにはしご車1台を購入し、共同で運用することで広域連携を強化、費用負担の軽減にもつなげる。購入費は約1億5千万円で、市が6割、組合が4割を負担する。新たなはしご車は市消防本部に配備する。
 2日に南アルプス市地域防災交流センターで、共同運用に関する連携協約の調印式を行い、金丸一元市長と同組合の久保真一代表理事が連携協約書に署名した=写真。金丸市長は「災害に備えて連携を強化することで、市民の生活を守ることができる」とあいさつ。久保代表理事は「はしご車の共有は両消防本部連携の大きな一歩だ」と話していた。

【山梨日日新聞 4月14日掲載】

【山梨県内のニュース】

信玄公の命日に生誕500年の横断幕

A202104131

 武田信玄の命日に当たる12日、甲府市役所の正面玄関に、今年の信玄公生誕500年をアピールする横断幕が登場した=写真。
 こうふ開府500年記念事業実行委員会が、11月3日の生誕500年をPRしようと企画。事務局の市記念事業課によると、横断幕は縦90センチ、横4メートル。信玄の絵や武田菱が描かれている。
 新型コロナウイルスの影響で、信玄公祭りが秋に延期されるなどしたが、同課の担当者は「節目を市としても盛り上げたい」と強調。信玄公への思いが衰えることはないよう。

【山梨日日新聞 4月13日掲載】

【山梨県内のニュース】

須走・御殿場バイパス開通、週末の混雑解消期待

A202104112_2

 山梨県内の中央自動車道・東富士五湖道路と新東名高速道路とを結ぶ「須走道路・御殿場バイパス」(静岡県5・2キロ)が10日、開通した。これまで週末を中心に混雑していた山梨県から静岡県御殿場市方面に向かう国道138号の渋滞緩和などが期待され、初日は開通直後から多くの車が同バイパスを利用した。

 この日は新東名高速道路の新御殿場インターチェンジ(IC)-御殿場ジャンクション(JCT)間も同時に開通。山梨県内から東富士五湖道路を使って新東名高速道路に向かう場合、同バイパスに入り仁杉JCTから乗り入れられる。
 同バイパスは午後4時に開通。開通前は東富士五湖道路から従来通り国道138号に降りる車で道の駅「すばしり」(静岡県小山町)周辺は渋滞したが、開通後は多くの車が同バイパスに流れ込み渋滞が解消された。バイパスでは信号機もなくスムーズに車が流れたが、ほとんどの区間が片側1車線のため、ほかの道路からの合流地点では一時的に前方の車の速度が落ち、後続との車間が詰まる場面も見られた。
 開通に先立ち国土交通省や中日本高速道路、静岡県は、御殿場市の新御殿場ICなどで開通式典を実施。沿線周辺の市町村関係者ら約230人が出席した。式に参加した山梨県の長崎幸太郎知事は「富士の国の山梨、静岡両県を結ぶ基幹道路になる。両県の連携や産業の発展につながる」と期待を寄せた。
 国土交通省沼津河川国道事務所などによると、同バイパスは、車窓から富士山を眺められるよう中央分離帯や道路脇にはパイプをつなぎ合わせたガードパイプを設置するなど観光客に配慮。新東名高速道路新御殿場IC-御殿場JCT間の開通と合わせ、富士北麓や箱根、伊豆地域の観光地への利便性向上、御殿場市内の渋滞緩和、地域産業の発展を見込んでいる。

(写真)須走道路・御殿場バイパス開通直後、山梨方面から御殿場方面に向かう車の列=静岡県小山町

【山梨日日新聞 4月11日掲載】

【ふるさとニュース】

こいのぼり見て「笑顔に」南アルプスで制作ピーク

A202104092

 端午の節句(5月5日)を前に、南アルプス市古市場の井上染物店で、こいのぼりの制作作業がピークを迎えている。
 160年以上続く同店の7代目当主が、2本の支柱につるした木綿の生地に、もち米やぬかで作ったのりでコイの輪郭を描く。うろこの模様などに合わせ、はけを使って藍や朱、黄色に色づけしていく。大小さまざまなこいのぼりを1匹当たり2週間程度で完成させる。
 作業は2月中旬に本格化し、4月末まで続く。当主は「新型コロナウイルスで気持ちが落ち込むこともあるが、見上げたときに笑顔になれるこいのぼりを作っていきたい」と話している。

(写真)こいのぼりを制作する井上染物店の7代目当主=南アルプス市古市場

【山梨日日新聞 4月9日掲載】

【ふるさとニュース】

26団体の活動、新聞作り報告 南アフェスタ実行委

A202104072

 南アルプス市市民活動フェスタ実行委員会は、市内の市民団体やサークルの活動報告などを伝える新聞を作った。
 3月に開催予定だった同フェスタが新型コロナウイルスの影響で中止となったことを受け、企画した。26団体の活動報告やメンバーの集合写真のほか、「来年はコロナが収まり、フェスタが盛大に開催されますように」といったメッセージを掲載している。
 市役所や図書館などで配布する。実行委員長は「コロナ禍であっても、新聞を通じて各団体の活動を知り、互いのつながりを感じてもらいたい」と話していた。

(写真)各市民団体の活動を報告する新聞=南アルプス市小笠原

【山梨日日新聞 4月7日掲載】

【ふるさとニュース】

サクランボ「甘~く」 授粉作業最盛期

A202104071_2

 サクランボ産地の南アルプス市で、サクランボの白い花が満開を迎え、農家が授粉作業に追われている。
 JA南アルプス市によると、サクランボの産地として知られる同市には690軒ほどのサクランボ農家が点在。同市上今諏訪の観光農園「フルーツバスケット・原」代表の畑では、ミツバチを使って高級品種「紅秀峰」の授粉を進めているほか、摘花作業が最盛期を迎えている。
 代表によると、2~3月の気温が高かった影響で、例年より10日ほど早い3月20日から、開花。例年はつぼみの状態で花を摘み始めるが、今年は一斉に花が咲いたため取れる花粉が少なめという。
 作業は4月上旬まで行われ、摘果作業などを経て、5月下旬~6月上旬に収穫を迎える。代表は「暖かい日が続いているので、サクランボの甘みも増すと思う。このまま順調に育ってほしい」と話している。

(写真)花粉採取のため、摘花作業をする農家=南アルプス市上今諏訪

【山梨日日新聞 4月7日掲載】