とらちゃん:芦安出身の女子高生。美人顔。歴女でもある。曽我物語のヒロイン虎御前とかかわりが・・・。
だいちゃん:加賀美出身の女子高生。かわいいが天然とも言われる。甲斐源氏加賀美遠光の娘、大弐局とかかわりが・・・。
とら:10月なのに30°Cを超えた日もあったけど、やっと秋らしくなってきたわね。
だい:木枯らしに抱かれる季節ね。この季節、なんだか鎌倉に行きたくなるのよね。
とら:私は信濃の善光寺参りがお気に入り。さて、の・ろ・か・わ・ば・な・しの続きをしようか。
だい:またその身振り。あの熱い話ね。いやー熱いよね。
とら:前回は明治時代まで話したわよね。大正時代になると、原七郷の主要作物はたばこから養蚕に変化するの。そこで畑は養蚕に必要な桑畑に変わったのよ。
(2010年12月15日 (水) 御勅使川扇状地の物語 ~扇状地で培われた西郡魂~)
だい:西野では果樹栽培も始まってるって聞いたことあるわ。
とら:そうね、昭和恐慌で生糸が暴落するとサクランボやモモ、メロンなどの果樹へと変わっていくの。ただね、畑に水が必要なことに変わりはないわ。大正7年は旱魃(かんばつ)の年で、桑が大打撃を受けたの。さらに第一次世界大戦が始って、この年にお米が不足、米騒動が全国で起きたのよ。
だい:あちゃー。日照りで作物もできん、お米も手に入れられんなんてやばいよ、やばいよ。
とら:こんなこともあって、原方の人たちは、再び野呂川開削工事を県に提案したの。大正9年に野呂川水利組合は野呂川疎水期成同盟会を作って、現地調査も行ったのよ。
だい:今までも何度も調査やってるじゃん。
とら:ここで注目!は、御勅使川から原七郷へ具体的にどう水を通すのかを示した点よ。例えば第一の支線は、曲輪田で分かれてから小笠原へ、そして滝沢川へ放流する約1.8kmが計画されたわ。
だい:具体的になったわね。こうなったら私待つわ。いつまでも待つわ。
とら:そして当時の県知事も事業に前向きだったのよ。大正11年に早川の電力発電が計画されて、民間の会社が県に許可を求めたの。時の大海原県知事は条件をつけて許可をだすんだけど、その条件ってのが「水は使っていいけれど、将来野呂川疎水ができた場合、早川上流の水を疎水に流すことに反対はできないよ」って感じ。
だい:あースーパーチャンス!
とら:ただ計画は具体化するんだけど、工事の許可は下りなかったの。田方の人たちの反対運動がすごかったのよ。
だい:またぁ。万物は流転するとはいうけれど、何度目の繰り返し?。プレイバックパートいくつぐらいかしら。
とら:昭和に入り、昭和9年には原方と田方の直接の話し合いも何度か行われたわ。ただお互いの主張は平行線のまま。なんとしても実現したい原七郷では、商工組合や料理屋組合、お医者さんなどなど農家だけでなくいろんな人が一致団結して県に陳情したの。
だい:みんながんばれ!
とら:この運動に対して田方の人々もだまっちゃいません。西郡以外の地域も含めて田方にある54ヶ村から反対署名を集めて、県や農林大臣に陳情したのよ。田方にとって水が増えるってことは、洪水の危険がふえる、まさに命にかかわる問題だったの。
だい: 原方と田方の間には、いつも冷たい雨が降っているみたい。お互い固く握りしめた拳じゃ手はつなげないよ。
とら:いいこと言うわね。どこかで聞いた言葉だけど。結局昭和9年に行われた原方と田方の話し合いは物別れ。時代は日中戦争から太平洋戦争へ進み、野呂川疎水どころではなくなってしまったわ。戦争末期には御勅使川扇状地に御勅使河原飛行場、通称「ロタコ」が計画され、その滑走路建設には毎日約3千人の人がかり出されたそうよ。これだけのエネルギーを野呂川疎水に向ければ、実現したかもしれないわね。(2008年8月1日 むかし飛行場があった ~ロタコ(御勅使河原飛行場)~ ②八ヶ岳に向かいまっすぐ延びる滑走路跡)
だい:ここまできて・・・。ただ、あなたが転んでしまったことに関心ない。そこから立ち上がることに関心があるんだ!あきらめないで。
とら:それって有名な合衆国大統領の言葉じゃない?まだ野呂川疎水の情熱の真っ赤なバラは原方の人々の胸に咲いたままよ。戦後になると再び野呂川疎水期成同盟会が結成されて、疎水計画を県に陳情したの。何度でも何度でもね。今度は農業と発電事業に加え、夜叉神の奥地の木材の搬出による木材工業の推進もうたわれたの。
だい:もうここまで来たら、走ってゆけ、どこまでも!
とら:そして、昭和26年、「野呂川疎水」の実現を公約に掲げた天野久が県知事に当選。これが歴史の大きな転換点だったわ。天野知事が掲げた「野呂川総合開発」の要点は3つ。3本の矢ね。(1)野呂川下流の早川の電源開発、(2)夜叉神峠にトンネルを通して、奥地の木材を搬出する、(3)原七郷に上下水道を設置し、下流の田方は排水ができる土地改良を進めるって計画。
だい:これまでの計画と似てるけど・・・これって夜叉神峠にトンネル掘って、野呂川の水を通すこれまでの計画とガラって変わってない?夜叉神峠にトンネルは掘るけど木材搬出用で、水を通すってわけじゃないじゃん。発電と木材のお金で新しく水道を作るって話よね。そして田方の人たちにも配慮してる。
とら:そうなの。ここで野呂川疎水計画が姿を変えたのよ。ズバッと提案、ズバッと解決するために。けれど田方の人たちはやっぱりこれまでどおり反対。夜叉神トンネルに水が通されるんじゃないかって恐怖心があったのね。ただ天野知事は「万一水を通すようなことがあれば、私は家族と共にトンネルの中で死にます」って言って、田方の人たちを納得させたそうよ。カッコいいとはこういうことだね。
だい:すごい。みんな命がけね。お願いこの計画に「イエス」と言って。
とら:そして昭和27年7月、第一の矢、夜叉神峠を貫き芦安と広河原を結ぶ林道建設が開始されたの。同じ年、第二の矢、県営の西山発電事業計画も国に承認されて着工されたわ。
だい:第三の矢、例えるならサジタリアスの矢を、さあ放って。
とら:ちょっと例えが・・。ただ肝心の第三の矢が財源問題でまとまらなかったのよ。
だい:ちょっと待ってよ、優しい声で厳しいこと言うね。ここまで来て財源ってどういうこと。
とら:つまり、原七郷としては、野呂川の水利権を放棄する代わりに県が発電と木材搬出で得た利益で水道を設置してくださいねと言ってるわけ。
だい:グッドアイディアじゃない。
とら:そこで県から「ちょっと待った」が。そもそも原七郷は野呂川の水利権を持っているのか、って根本的な疑問が出されたの。
だい:ちょっとちょっと。いまさら泣き言なんて聞きたくないね。何とかしなって気分よ。
とら:あら、もうこんな時間。
だい:いいとこなのに。今日も話が長いけど、最後まで聞きたい!
とら:今はこれが精一杯。It is time.時が来たのよ。帰らなくちゃ。40秒で支度して。
だい:また時間がないのね。しょうがない。また来月!
【南アルプス市教育委員会文化財課】