南アルプス市ふるさとメールのお申し込みはこちら

南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

南アルプス市ホームページへ

プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

南アルプス市ふるさとメール閲覧ページのURLアドレスが変わりました。ブックマーク(お気に入り)やリンクのURLアドレスの変更をお願い致します。

http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/

【連載 今、南アルプスが面白い】

橋は世につれ世は橋につれ(1)

甲府と駿河(静岡)を結ぶ要衝だった「浅原橋」

 浅原村、現在の南アルプス市浅原の歴史は、この欄の2008年9月12日配信号2008年10月1日配信号で紹介したことがありますが、先日ふと通りかかったところ、ここに架かる浅原橋の架け替え工事がだいぶ進んでいるのを目にしました。そこで今回は、この浅原橋の歴史を振り返って見たいと思います。

架け替え工事の進む浅原橋
【写真】架け替え工事の進む浅原橋。現在の橋に沿って新橋の橋脚が並んでる

 江戸時代を通じ、浅原は甲府から鰍沢(富士川町)を経て駿河(静岡県)にいたる主要な交通ルート(駿州往還)上にありました。人々はここで釜無川を越えるわけですが、江戸時代には、水量の少ない時期に架けられた仮橋は存在したものの、恒久的な橋はなく、もっぱら渡船(浅原の渡し)が釜無川を越える通行の手段でした。

甲斐国絵図
【写真】甲斐国絵図(江戸時代 山梨県立博物館蔵)。釜無川や笛吹川などの主要な河川に橋はなく、ほとんどが「トセン(渡舟)」によって結ばれている

 しかし、明治時代になると架橋への機運が高まり、明治6年(1873)に浅原村と対岸の臼井阿原村とが共同で木橋を架設することになりました。延長190間(約342m)幅員9尺(2.7m)。建設の費用はすべて両村で拠出し、その代わり県の許可を得て通行人から渡橋銭を徴収しました。これが初代浅原橋です。

以下、昔の地図を重ねながら浅原橋や周辺の移り変わりを見ていきたいと思います。


浅原橋の移り変わり
【写真】浅原橋の移り変わり。画像をクリックすると地図が自動で移り変わる画像が見られる。写真4枚

【写真1】明治21年(1888)大日本帝国陸地測量部発行1/20000「市川大門」
 図示されている橋は、明治6年(1873)に架橋された初代の橋と思われます。駿州往還が臼井阿原の集落の中を抜けて、釜無川の堤防を下り、浅原地区の集落の中心を貫いています。そのため、橋は現在の橋よりも50m程北側の場所に架けられています。

【写真2】明治44年(1911)大日本帝国陸地測量部1/25000「甲府」
 浅原橋は、明治39年(1906)に架け替えられ2代目の橋になっています。架け替えによりその場所は初代よりさらに若干北側に移りました。
 また、明治33年(1900)には鰍沢馬車鉄道(のちに山梨馬車鉄道に合併)が設立されており、駿州往還に沿って、現在の中央市布施から釜川左岸の堤防上を経て浅原橋を渡るその線路とともに「馬車鉄道」の文字を見つけることができます。

【写真3】昭和4年(1929)大日本帝国陸地測量部発行1/25000「甲府」
 時代の過渡期的交通手段であった馬車鉄道は鉄道の普及によってその役割を終え、代わって地図には、昭和3年(1928)に開通した、静岡県の富士駅と甲府駅を結ぶ現在のJR身延線の線路と東花輪駅が描かれます。
 浅原橋は、鉄道開通と同じ昭和3年に3代目にとなり、現在の位置に架け替えられ、これに伴い往還道も浅原村集落の中心から集落の南側へ移りました。また、現在浅原橋東詰から、JR東花輪駅までを一直線に結ぶ県道は、鉄道の開通、浅原橋の架け替えに合わせてこのとき新たに作られ道であることが地図から読み解けます。

【写真4】昭和46年(1971)国土地理院発行1/25000「甲府」
 ほぼ、現在と同じ状態です。その後の度重なる水害により度々流出した浅原橋ですが、昭和25年(1950)、地域の人々の強い熱意により、両端は木橋ながら中央部を鉄橋とする、より堅牢な橋に架け替えが行われました。これが4代目。さらに昭和37年(1962)には、すべて鉄とコンクリート造りの5代目となる現在の橋に架け替えられています。

浅原の旧駿州往還
【写真】浅原の旧駿州往還
集落内の閑静な通りが、かつては甲府と駿河を結ぶ大動脈でした。

旧浅原橋西詰
【写真】旧浅原橋西詰
集落の中心を抜け、かつてはこの釜無川の土手を登った先に浅原橋が架けられていました。

旧浅原橋西詰
【写真】昭和25年竣工の4代目浅原橋(竣工記念パンフレットから)

 現在の浅原橋の竣工からちょうど50年。半世紀人々の往来を見つめてきた浅原橋は、未来につながる橋としてまた生まれ変わろうとしています。
 それにしても、橋ひとつとってもいろいろな歴史があり、その時々の地図を重ねてみると、街の歴史や移り変わりがよくわかります。古い地図は、図書館などで閲覧することができます。みなさんもふるさとの地図をめくり時間旅行をしてみてはいかがでしょうか。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

≪ 前の記事 | トップページ | 次の記事 ≫