前回に引き続き、ほたるみ館の北側にある西地区多目的広場の建設に伴って行われた長田口遺跡、中畑遺跡の発掘調査成果から、南アルプス市で最初に定住した人々の暮らしぶりについてご紹介します。
市之瀬台地の上、深沢川と漆川とに挟まれた舌状台地上にある「ほたるみ館」の周辺では、これまでに農道などの建設に伴って数回の発掘調査が行われており、さまざまな調査成果が蓄積され、私たちの祖先の暮らしぶりが解明されてきました。
ほたるみ館と広域農道、さらに西地区多目的広場の駐車場部分が「長田口遺跡」と呼ばれている遺跡に該当します。また、グラウンドの辺りは「中畑遺跡」と呼ばれる遺跡に該当し、この遺跡の発掘調査はこのケースが初めてとなりました。
前回紹介したとおり、この調査のうち中畑遺跡にあたる範囲で、南アルプス市に約7000年前に集落が存在していたことが初めて判明しました。
さらに、この調査によって約7000年前の人々の暮らしぶりを垣間見ることができたのです。
住居とみられる建物跡の中からは当時使用されていた縄文土器の破片が出土しました。この縄文土器は鍋として使われた調理具で、現在の私たちが食べる土鍋の文化は縄文時代に始まる文化といえます。
この時代の縄文土器の底は丸く、安定していないために、炉(囲炉裏のこと)に据えることのできないものでした。鍋として使うのは難しいのではないかと炉を丹念に調べると、炉に穴が掘られていたことが分かり土器の底を穴に挿して安定させていたことが分かりました。
また、土器を詳細に観察すると口縁部(土器の縁の部分)の形や表面の文様に特徴があり、現在でいう長野県伊那地域を中心に展開する「中越式」という土器の特徴を持っていることが分かりました。さらに、これまでの周辺地域での調査事例から、約7000年前の伊那の文化が、天竜川を遡り、高遠や諏訪を経て白州(現北杜市)などから南アルプス市へと伝わってきたことが分かったのです。
また、住居の内部では床に長さ50㎝ほどの平らなすべすべした石を1軒につき2~3個据え置き、作業台として使っていたことも分かりました。こういった石を据え置いたことからも、ある程度長い期間暮らしていたことが想定されます。
また、石皿といって木の実などをすり潰すために中央部分が深く掘りくぼめられた石の道具も、これまでは約5,000年前に発明されたといわれていましたが、最近では7000年前には既に存在したことが判明しており、この調査でも裏付けられました。
【写真=竪穴住居の中の様子】
住居跡には焼けた木材や土器片、作業用の石などが出土しました。
石器の材料でもある黒曜石も大量に出土し、科学的な調査により原産地が判明しています。黒曜石は産出する場所が限定されるのですが、中畑遺跡の縄文時代前期の住居跡から出土した黒曜石は、長野県の諏訪湖周辺から和田峠に分布するあらゆる産地から入手していたことが分かりました。
【写真=住居跡から出土した黒曜石のかたまり】
この塊から細かい破片をいくつも割り出して石器を作る材料としました。
また、何を食べていたのかを知るヒントも発見できました。この時代の住居跡からは直径1㎝にも満たない炭化した種子状のものがいくつか出土しています。炭化した種子も科学的な調査により種類を同定することができます。調査の結果、種子ではなく、球根状のものであることが分かりました。現在の技術では細かい種類までは特定できませんが、ノビルやユリネなどであったと考えられます。
7000年前の人々が食べたものにまで出会えるなんて、遺跡の発掘調査はまるでタイムマシンに乗っているようですね。
このように南アルプス市で最も古い時代の人々の暮らしぶりをいろいろと教えてくれたこの遺跡も「根方」地域にあるのです。
きっと日当たりも良く、川や森も近いので飲食にも苦労しないという暮らしやすい条件に恵まれていたことでしょう。安定したこの台地上にまず生活の拠点を求めた様子が伺えます。
根方にはありとあらゆる時代の情報がそろっていて、まさに南アルプス市の魅力ある歴史が凝縮された地域なのです。
根方の魅力、まだまだ続きますよ。
[南アルプス市教育委員会文化財課]