7月に入り、木々を彩る果実は真っ赤なサクランボから薄い紅色に実ったモモに衣替えしました。現在は御勅使川扇状地(以下、扇状地といいます)もさまざまな果物で季節が彩られていますが、いったいこの扇状地で昔の人々は何を育て、何を食べてきたのか。今回のふるさとメールでは扇状地で暮らしてきた人々の食についてご紹介します。
縄文時代の食生活については2006年9月1日(第77号)『食べ「タイ」 海の幸』で、木の実を主食とするだけでなく、海産魚の「タイ」の骨が住居跡の炉跡から出土したことをお話ししました。
弥生時代以降でも、扇状地の人々の食物を知る手がかりは、食物を煮炊きした炉やかまどの中に眠っています。例えば平安時代、約1200年前の竪穴式住居跡のかまど内の土を取り出し、バケツに入れて水に浸し、やさしくかき混ぜると、ご飯粒ほどの小さな黒いかたまりが浮いてきます。これは1200年前にかまどで焼かれ炭になった食べ物の種や実の残りです。ひとつひとつを顕微鏡でのぞくと、丸や楕円形、ツルツルしたものやゴツゴツしたものなど、多種多様な特徴が見られます。扇状地の北部に位置する野牛島・西ノ久保遺跡では奈良・平安時代の住居跡からイネの他、ムギやアワやヒエ、マメ類などの雑穀、エゴマなどの種や核が発見されました。少ないながらもモモやスモモの核も発見されています。
【写真・左】平安時代の住居跡(野牛島・西ノ久保遺跡)
【写真・中央】このカマドの中から炭化したスモモやコムギなどが出土した
【写真・右】野牛島・西ノ久保遺跡で発見された炭化した種実
炭となった種や実の数を遺跡と時代ごとに比較した櫛原功一さん(山梨文化財研究所)によれば、扇状地全体では、10世紀ごろを境にイネからアワやヒエなどの雑穀の数が多くなる傾向にあるそうです。
中世では、中心作物となった雑穀類が多く出土するのですが、それだけではなく、野牛島・西ノ久保遺跡の土坑から、カキノキの種や海産魚であるソウダガツオ属の骨(尾椎)、カモシカの可能性がある小さな骨片も発見されました。
【写真】中世の土坑から出土したソウダガツオ類の骨(山梨県立博物館撮影)
炭や骨片など土の中に残されたものは、我々のご先祖さまの小さな記憶と言っていいでしょう。そこから、乾燥した土地を生かしムギなどの雑穀を育てながら、山のもの、時として海のものを食卓に並べていた姿が浮かび上がります。
次回は江戸時代の農産物と食に迫ります。
最後に現在ちょっとしたブームになっているなぞかけをひとつ。「お月夜でも焼ける扇状地」と掛けて「連敗した試合について聞かれたサッカー選手」と解く。その心は? 次回をお楽しみに。
【南アルプス市教育委員会文化財課】