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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

むかし飛行場があった ~ロタコ(御勅使河原飛行場)~④
町のいたるところに見られるロタコの痕跡

 前回までに紹介した場所以外にも、御勅使川扇状地上では至る所に「ロタコ」の痕跡を見ることができます。たとえば…
 とある畑の中に農業資材を置くために使われた鉄の棒、実は当時横穴壕を掘るのに使われたトロッコのレールなのだそうです。いまでも畑を耕していると、このようなトロッコのレールなどが見つかることがあるそうです。

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【写真】トロッコのレール

 当時、航空本部として接収された敷地内にあった、メロンなどを栽培した温室は、覆いをかけ兵舎として活用されました。戦後はまた温室に戻されましたが、このように現在も使い続けられています。

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【写真】戦時中兵舎に転用された温室

 今では立派な片側2車線の道路。ここでは、ロタコ工事の際に既存の道を拡幅して誘導路にする工事が行れたそうです。

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【写真】誘導路だった道路

 また、この農道は、ロタコ工事のときに動員された地域住民によって、新たに誘導路として作られたものです。その後、多くの施設が畑や田んぼに戻されるなか、「便利だったので」そのまま残され、現在まで農道として使い続けられています。

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【写真】誘導路だった農道

 こちらは、飯野の通称「おてらみち」。人々が常楽寺に参る昔からの道です。この道も当時は拡幅され、掩体壕(えんたいごう)と滑走路をつなぐ誘導路として整備されました。

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【写真】常楽寺にむかう「おてらみち」

 今年指定文化財となった掩体壕以外にも2ヶ所、現在も掩体壕の基礎が残されています。

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【写真】畑の中に残された掩体壕の基礎

 今回紹介した場所は、言われなければ分からない日常の風景の中にあります。地域の方々にしか分からないこのような場所も、戦争を体験した方々が亡くなっていく中、忘れ去られようとしています。今、証言や記録を残しておかなければ地域の歴史として残すことはできません。
 ロタコについては、南アルプス市が散策マップやパンフレットを作製しています。市役所、各支所、市内図書館、みちの駅、教育委員会文化財課の窓口などで入手することができます(無料)。一度手に取り、過去の戦争の歴史を訪ね、未来の平和について思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
 また、皆様の地域の何気ない日常の風景の中にも、意外な歴史が残されているかもしれません。そのような歴史を発見し、大切に語り伝えていくことが、今求められています。

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【写真】ロタコの散策マップやパンフレット

※これまでに紹介した見学スポットの多くは私有地です。土地への立ち入りについては予め了承を得るなど、充分に注意してください。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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