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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2022年4月

【季節の便り】

魂との対話 あるいは はじまりのイメージ「秋山令一」展

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 郷土シリーズ<南アルプスと富士川流域の作家たち>の第5弾として、南アルプス市在住の画家・秋山令一展を開催しています。
 秋山令一は、昭和27年山梨県中巨摩郡鏡中條村(現南アルプス市鏡中條)に生まれ、県立巨摩高等学校卒業後、パリをはじめ世界各地を放浪しました。
 実在の思想家、小説家、舞踏家など「狂気」を帯びた人物をテーマに、その人物ゆかりの地を旅することで、イメージを突鋭化し思索的雰囲気を持った作品を制作し高く評価されています。「創造する事、創作する事が一生懸命生ききるという事だろう」と彼は語っています。
 本展では、初期作品から最新作までを厳選して展示しています。
 この機会に、秋山令一の世界をお楽しみください。

期 間]5月22日(日)まで
時 間]9:30~17:00(入館は16:30まで)
場 所]南アルプス市立美術館(南アルプス市小笠原1281)
休館日]5月2日(月)、6日(金)、9日(月)、16日(月)
入館料]一般320円・大高生260円・中小生160円
※ 入館料には団体割引があります。小学生未満・65歳以上の方は無料です。
※ 小・中・高生は毎週土曜日 無料です。

 詳しくは、南アルプス市立美術館ホームページをご覧ください。

<お問い合せ>
南アルプス市立美術館 TEL 055-282-6600

 

アヤメフェア2022in南アルプスユネスコエコパーク

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 約7万本のアヤメが咲き誇る滝沢川公園でアヤメフェアが開催されます。
 会場内には、ユネスコエコパークにちなんだクイズラリーや気軽に参加できる体験コーナーを設置します。
 今年は、ゴールデンウィークにあわせて満開のアヤメをライトアップしますので、鮮やかな紫紺の花を様々な角度から楽しみませんか。

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日 時]5月7日(土)
時 間]10:00~16:00
場 所]滝沢川公園(南アルプス市小笠原1281)


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 普段とは違った雰囲気をお楽しみください。

日 時]4月29日(金)~5月8日(日)
時 間]18:00~21:00

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【季節の便り】

大祭「御柱祭」が開催されました

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 4月3日(日)、6年に一度行われる諏訪神社の「御柱祭」が開催されました。今諏訪地区の「御柱祭」は、信州諏訪の「御柱祭」の流れをくむもので五穀豊穣、無病息災を祈って、寅と申の年に今諏訪の御柱社に2本の御神木を立てる古くから伝わる伝統的な祭りです。
 祭には、氏子や地元住民ら約400人が参加し、諏訪神社の上社と下社で、神事を行った後、地域内でご御神木を引き回す「里曳き」を行いました。御神木の上では、木やり会のメンバーが「世界の平和はみんなの願い」などと「木やり唄」を勇壮に歌い上げたほか、御神輿や万燈、子どもたちの舞などが後を続き、祭りを彩りました。
 里曳きされた2本の御神木は、御柱社に6年間安置され地域を見守ります。

 

安藤家住宅で端午の節句

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 重要文化財である安藤家住宅で、端午の節句飾りを展示します。甲州独自の節句人形(カナカンブツ)や、全長9メートルの巨大鯉のぼりを展示します。
 男の子の健やかな成長を祝う伝統行事を歴史ある住宅の雰囲気と共に楽しみませんか?

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開催日]4月22日(金)~5月30日(月)
時 間]9時~16時30分 ※入館は16時まで。
休館日]火曜日(5/6(金)) ※5月3日は開館します。
入館料]大人300円、小中高生100円

 詳しくは、南アルプス市ホームページをご覧ください。

お問い合せ
南アルプス市文化財課 TEL 055-282-7269
安藤家住宅 TEL 055-284-4448

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプス市の縄文人は、いつ、どこに?

はじめに

 先月に引き続き甲斐源氏の話題をと考えておりましたが、例の大河ドラマでは先月以来甲斐源氏がほとんど登場していないため、来月までこの話題は取っておこうと思います。その代わりに、南アルプス市の縄文文化についてのちょっとしたニュースがありましたので、その話題から始めてみましょう。
 昨年実施された「全国縄文ドキドキ総選挙2021」にて見事優勝した、南アルプス市鋳物師屋遺跡から出土した「人体文様付有孔鍔付土器」(長いですよね!!)の愛称が決定したというものです。
 多くの来館者による応募の中から、最終的に決定したのは、、、
「ぴ~す(ピース)」
 3本指の手がピースサインのように見えますし、ラヴィとコンビで「ラヴィ&ぴーす」としてますます南アルプス市の縄文文化を広められたらと考えています。「ラヴィ&ぴ~す」、まさに今の世の中に必要な言葉かもしれませんね。

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【写真】ぴ~す

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【写真】愛称決定記念 写メスポットパネル
伝承館では1階にこのパネルを設置し、皆さん記念写真を撮っていただいています

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【写真】縄文展示室の子宝の女神ラヴィ

 ちなみに、これらはいずれも縄文時代中期中頃といって、今から約5000年前のものです。しかし、そのつくりを観察することで実はラヴィの方が少し古く、ぴ~すの方が少し後に作られたものであることがわかっています。
 一概に「縄文時代」と言っても1万数千年続いていますから、その中でも紆余曲折があったことでしょう。南アルプス市の縄文人たちはいつぐらいに市内のどのあたりに暮らしていたのでしょう?ずっと同じところに暮らしていたのでしょうか?今回は、そんな話題について、紐解いてみたいと思います。

 

縄文遺跡の分布と変遷

 南アルプス市内の縄文遺跡は、主に、①櫛形山の東麓に位置する市之瀬台地の周辺地域と、②扇状地上の上八田や徳永地域の、大きく2つの地域に分布しています(図1の赤で囲んだ範囲)。両地域の間にはちょうど御勅使川の旧流路が流れていたため、流路をさけて占地していたように見えます。とはいっても、上八田や徳永地域に登場するのは縄文時代後期初頭のみで、それ以外は縄文時代早期から後期までを通して市之瀬台地周辺に集中しており、その後空白の期間を挟んで晩期から弥生時代にかけて、扇状地などの低地部に分散していく様子がわかっています。
 ラヴィやぴ~すが出土した「市之瀬台地」周辺には特に縄文遺跡が集中していますので、このエリアを中心に時代を追いながらみていきたいと思います。遺跡の概要は過去の記事やホームページ「文化財Mなび」も参考にしてください。

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【図1】市内縄文遺跡分布図

 

市之瀬台地と縄文遺跡

 市之瀬台地は櫛形山の東麓、標高520m~400m程を測り、あやめが丘などの台地の先端部では約100mの比高差をもつ崖線が形成されています。また、山から流れ落ちる多くの河川が台地を開析しているので、西から東に向かって伸びる細長い舌状台地が南北に並んだ集合体とも言えます(図2・図3)。

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【図2】市之瀬台地周辺の地形と遺跡の立地
 
 まさにこの市之瀬台地の周辺地域から南アルプス市の歴史は始まったと言え、旧石器時代の遺跡も縄文時代の遺跡もその台地の上面、縁辺部(斜面部)、台地直下の扇状地に分布がみとめられます。そのうち発掘調査が行われ、部分的にせよ集落の存在がみとめられたのは全てで12遺跡となります。
 それらの立地や住居の数などをまとめたのが表1で、図と見比べると、時代を追ってその移り変わりをご覧いただくことができます。

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【図3】市之瀬台地周辺の発掘調査が行われた遺跡分布と変遷イメージ


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【表1】縄文時代中期を中心とした、集落遺跡の変遷表
草創期と晩期を省略し、立地する地形ごとに区分して表示しています。「中期」を細分する「狢沢」「新道」などは土器形式名で、土器の文様の特徴などで時期差が判別できます
 
 先にこの表や図の見方を説明します。発掘調査は、工事などによって遺跡が壊れてしまう部分だけを行いますので、調査されたのはあくまでも遺跡のごく一部といえ、発見された住居の数などは遺跡全体で考えるともっと多くなることが予想されます。集落全体が把握されたのは鋳物師屋遺跡だけといえます。厳密にいうとこの集落は鋳物師屋遺跡と〆木遺跡と川上道下遺跡にまたがっていて、総称して鋳物師屋遺跡と呼んでいます。
 図3は遺跡の中でも発掘調査の行われた調査区の範囲だけを示しています。大きめの画像にしましたのでアップにしてご覧いただけると細かい位置がわかると思います。
 時代の区分も、中期という時代は発見された建物の数も多いので細かく分類できていますが、ほかの時代はそこまで細分できていませんので、表の一マスが同じ「時間」を表しているわけではありません。

 

市之瀬台地から始まる

 南アルプス市では縄文時代早期の土器は市之瀬台地上の様々な遺跡で出土していますが、建物跡などは見つかっていません。転々と移動しながら暮らしていた可能性もあります。ムラ(集落)として確認できるのは今から7000年近く前の、縄文時代前期前半の頃といえます。住居がまとまって検出されたり、お墓やその他施設などが揃うなど、一定の期間暮らしが継続した痕跡が見つかって初めてムラと言えるのですが、中畑遺跡からは12軒の建物跡が発見されていますので、現在のところ南アルプス市での最古のムラ跡と言えます。ここは市之瀬台地の上、ほたるみ館の北にある西地区多目的広場のグラウンド部分で、7000年前の集落はさらに北の方へと広がっているものと考えられます(図3の緑の位置。ムラ跡全体を掘ることができれば、実際にはもっと軒数は多くなるものと思います)。

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【写真】中畑遺跡周辺の航空写真
 
 ここでは個別の遺跡の調査内容については省略しますが、中畑遺跡の次にまとまって縄文時代の建物跡が検出されたのは中期初頭といえ、中畑遺跡に隣接する長田口遺跡や新居田A遺跡にまたがる範囲です。長田口遺跡はほたるみ館やその北側の広場の駐車場部分、広域農道付近を指し、新居田A遺跡はそこからあやめが丘へ伸びる農道になりますので、遺跡名は違いますがこれらは同じムラ跡と考えられます。遺跡名は小字名から名づけるので、全く違う遺跡のように感じてしまいますが、実は当時は同じ「ムラ」であるということはよくあります。
 その後この地域でも細々と暮らしは継続していたようですが、大規模なムラではなくなるようです。では縄文人たちはどこへ移動したのでしょう。現在のところ、発掘調査でわかっている遺跡の内容からは主に二方向への移動の様子が伺えます。一方は、同じ台地上を上野、中野と移動しながら南下してゆき、中期の終わりごろに再び中畑遺跡や長田口遺跡周辺へ戻ってきます。
 もう一方は台地下の扇状地へ移動したように見えます。ちょうど、長田口遺跡などの集落が全盛を終えるあたりから、入れ替わるように扇状地に立地する鋳物師屋遺跡が全盛を迎えてゆきます。鋳物師屋遺跡の「ラヴィ」はちょうど「新道式」と「藤内式」の狭間あたりの土偶といえ、また「ぴ~す」は藤内式の土器といえますので、鋳物師屋遺跡の全盛期に作られたものであることがわかります。鋳物師屋遺跡はまとまった数の建物跡が検出され、またラヴィやぴ~すに代表される特殊なマジカルなモノを多く持った、拠点的な集落であったことがわかります。藤内式期を最後にその後はほとんど生活の痕跡がみられなくなります。建物跡に土砂が厚く堆積する例があることから、土石流などの影響でムラごと移動したのではないかと考えられています。

 

扇状地の縄文人

 では、鋳物師屋の縄文人たちはどこへ移動したのでしょうか。発掘調査の結果からヒントが見えてきます。藤内式期以降、拠点的な集落として「曽根遺跡」や「北原C遺跡」が隆盛を誇ります。いずれも鋳物師屋遺跡と同じ台地下の扇状地に立地しているのです。特に、北原C遺跡は多くの土偶や動物を象った土器など、特殊なマジカルなモノを多く持っていることが特徴的で、まるで鋳物師屋遺跡の性格を引き継いでいるかのように思えるのです。
 あくまでも想像の世界ですので、集落ごと引っ越してきたかどうかは判定できませんが、ただ、特殊なマジカルなモノを多くもった大規模な集落が台地下に展開しているという点は注目に値すると考えています。
 これまでにも何度か紹介してきましたが、縄文人たちは豊かな感性とそれを形にすることができる豊かな技術を持ち合わせています。しかし、マジカルなモノが発達するということは、祈りや願いを強く持たなければならなかったということの証しといえ、そういった現象が台地下の扇状地域に偏重しているということに何かしらの意味があるのだと考えます。土石流をおそれていたのでしょうか?「自然」に対して畏れ、祈り、感謝しながら暮らしてきた様子が垣間見られます。

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【写真】北原C遺跡の航空写真

 

その後はさらに謎

 縄文時代中期終末以降さらに謎が深まります。台地の上では広く分布がみとめられていたのに、その後の後期初頭になると、占地の様子がガラッと変わります。例えば台地上の長田口遺跡や中畑遺跡周辺(ほたるみ館周辺)では、より川や谷に近い位置に寄ってきて、さらに晩期になると新居田B遺跡を含め、完全に川沿いのエリアだけに遺構がみとめられるようになります。
 また、台地縁辺部の斜面のきつい横道遺跡や、御勅使川の旧流路を挟んだ扇状地上の上八田や徳永地域周辺に突如(?)現れるのです。その後、後期の中頃から晩期初頭までは完全に謎で、市内に集落の存在は確認できていません。次に縄文人の痕跡に出会えるのは縄文時代の最終段階、晩期終末なのです。市之瀬台地の下の天神社遺跡をはじめ、市内各地の扇状地上に晩期縄文人たちの痕跡がみとめられるのです。

 

おわりに

 南アルプス市縄文人たちの謎は深まるばかりですが、現在発掘調査が行われた遺跡から見えるムラの移り変わりの概要は以上となります。現在も市内の各地で、工事に伴って消滅してしまう遺跡の発掘調査が行われていますので、いずれまた、新たな調査成果を踏まえて紹介できればと願っています。最後になりますが、ここでご紹介した遺跡の出土資料は「ふるさと文化伝承館」で展示されていますので、ぜひ本物をご覧いただければと思います。

※各遺跡の概要はホームページ「文化財Mなび」や過去の記事をご覧ください。
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力②~南アルプス市最初の定住者 (lekumo.biz)
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力③~中畑遺跡が教えてくれる南アルプス市最初の定住生活 (lekumo.biz)
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力⑤~自然との共生を祈るムラ「北原C遺跡」(前半) (lekumo.biz)
南アルプス市ふるさとメール: 根方の魅力⑥~自然との共生を祈るムラ「北原C遺跡」(後半) (lekumo.biz)
2.眺望の魅力 市之瀬台地 | 文化財Mなび (route11.jp)

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

新年度がスタートしました

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 2022年度を迎え、市内では桜や桃の花が咲き誇り、春の装いをみせています。南アルプス市の春は、桜や桃、スモモにサクランボと、ピンクや白色の花が咲き、幻想的な風景となります。
 この春から進学や就職など新たな生活を始めた方も多いのではないでしょうか。新しい年度の始まりとともに、皆様が明るく健やかに毎日が過ごせますように。
 今年度も南アルプス市ふるさとメールをよろしくお願いします。

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南アルプス市消防団入退団式が開催されました

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 3月27日、令和4年度南アルプス市消防団入退団式が、701人の消防団員と関係者が出席し、白根中央公園で開催されました。
 式典では、団長の「地域の人から愛され、夢と希望のあふれる消防団にしていきましょう」という訓示につづき、新たに入団する142人に入団辞令と法被が引き渡され、新人団員が消防団員として地域の安心安全を守ると力強く宣誓をしました。

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[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから