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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

重要文化財 安藤家住宅の棟札(むなふだ)

 棟札は、建物の建築または修築の際の記録や記念として、棟木、梁(はり)など建物内部の高所に取り付けられる主に木製の札です。したがって記される内容は築造、修理の目的やその年月日、建築主、大工の名などの建築記録が多いのですが、その建物や家の安全を祈念する意味も含めて掲げられるものがあります。

 重要文化財「安藤家住宅」の主屋(おもや)から修復の際に発見された棟札は、高さ約42cm、幅約23cmの松の板に、日蓮宗の曼陀羅(まんだら)本尊のかたちをとり、家内安全、長久繁栄などの文字が記されることからも建築の記録というよりは、むしろ祈祷(きとう)札としての性格が強いことが分かります。

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【写真】安藤家住宅主屋

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【写真】安藤家住宅の棟札

 しかし我々は、この棟札に記された「宝永第五戊子年孟夏吉祥日」という文字から安藤家の主屋が宝永5年(1708)に建てられたことを知ることができ、現在この棟札は重要文化財安藤家の附指定(つけたりしてい※)となっています。
 また、300年を経て、なおしっかりと残る墨跡は、身延山33世 日享(にちこう)上人の手によるもので、熱心な日蓮宗の信者でもあった安藤家の隆盛を知ることができます。
 ところで、安藤家が建築された宝永5年ですが、その前年の宝永4年(1707)には、富士山の噴火と、これに先立つ「宝永大地震」が発生しています。安藤家のある西南湖とその周辺の村々はこの大地震によって、それまで村のあった場所が、いわゆる「液状化」と思われる現象に激しく見舞われ、村ぐるみの移転を余儀なくされていたことが近年明らかになっています。
 宝永5年の安藤家住宅の建築は、実は前年の「宝永大地震」を受けたものだったのです。
 こうしてみると、安藤家の人々が、この棟札に込めた家内安全の願いは、ひとしお強いものであったことでしょう。

 記録によれば、さっそく宝永5年、移転した新たな屋敷地の検地が行われています。この中で、当時の安藤家の当主「三五右衛門」の屋敷地は、西南湖村で最も広く、2反2畝(せ)16歩(676坪 約2067㎡)が課税対象となっています。

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【写真】『巨摩郡西郡筋西南湖村新屋舗改帳』宝永5年(1708)

また、3年後の宝永8年(1711)には、元の屋敷地を開墾した耕地に対する検地が行われており、ここでも屋敷地が移ったことを知ることができます。

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【写真】『巨摩郡西郡筋西南湖村古屋舗跡田畑成改帳』宝永5年(1708)

 ところで、現在「南アルプス市ふるさと文化伝承館」で開催されているエントランス展(ミニ企画展)「祈りのよこがお(このチラシを見る)」において、この安藤家の棟札の実物を公開しています。この機会にぜひご覧ください!!(平成25年2月13日まで)

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【写真】展示風景=南アルプス市ふるさと文化伝承館

(※)附指定 重要文化財などの指定文化財の価値を補完するものとして、指定物件に付随して扱われる文化財。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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