南アルプス市ふるさとメールのお申し込みはこちら

南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

南アルプス市ホームページへ

市役所便り・イベント情報

ふるさとニュース

山梨県内のニュース

プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

南アルプス市ふるさとメール閲覧ページのURLアドレスが変わりました。ブックマーク(お気に入り)やリンクのURLアドレスの変更をお願い致します。

https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/

2012年10月

【季節の便り】

一年で一番良い季節です

 実りの秋といえば、新米やさつまいもを連想しませんか。
 市内の田んぼは稲刈りを待つ稲、
 稲こきを待つ稲、
 きれいに片付いた田、と平地から山麓にかけて
 田園の風景に違いがあります。

稲刈りを待つ稲 稲こきを待つ稲
【写真】稲刈りを待つ稲、稲こきを待つ稲

 新米を食べた方もいらっしゃると思いますが、最近は稲刈りと同時に稲こきができるコンバインを使う家が多くなりました。でもお米の味は、稲刈りを終え天日で乾燥してから稲こきをした方がおいしいそうです。小規模農家ならではの良さですね。子どもたちが昔懐かしいこんな体験をしました。

子どもたちが昔ながらの農機具を使った脱穀体験
【写真】子どもたちが昔ながらの農機具を使って稲の脱穀をしました

 櫛形山の色がだいぶ黄色味を帯びてきました。三千メートルの南アルプスのやまやまは紅葉の真っ盛りです。歩くことがそんなに苦にならない季節です。
 ふるさとの秋を楽しみにお出かけください。

 21日は市制施行9周年の式典を行います。来年は10周年を迎えることから、25年度をビッグテンイヤーとして、記念式典、国民文化祭、シニア演劇祭、さらに既存のイベントをリニューアルしたり、新たなイベントを市民とともにつくったりしていきます。また、櫛形山トレッキングコースも完成します。

A鳳凰三山とナナカマドの紅葉 A大樺沢の紅葉
【写真】鳳凰三山とナナカマドの紅葉=左 、と大樺沢の紅葉

 

[南アルプス市役所 秘書課]

【連載 今、南アルプスが面白い】

橋は世につれ世は橋につれ(4)

郷土の英雄の名を冠した「信玄橋」

 山と川に画された南アルプス市と外の世界をつなぐ橋たち。今回ご紹介するのは甲府から国道52号線(美術館通り)を経て、南アルプスのやまやまへつなぐ県道20号甲斐・芦安線に架けられた「信玄橋」です。

01
【写真】現在の信玄橋

 この場所も、近代に至るまでは渡し船や仮橋によって結ばれており、釜無川左岸の竜王村と右岸の下高砂村を結ぶことから「高砂渡し(たかすなわたし)」と呼ばれてきました。この渡し場については、今も当時の料金表や人々を乗せて運んだ「釣台」が残されていて、「南アルプス市ふるさと文化伝承館」ホームページはこちらから)で見ることができます。

02
【写真】高砂渡しの仮橋と渡し船 大正10年(1921)頃

03
【写真】橋梁渡船賃銭表と釣台 南アルプス市ふるさと文化伝承館
 
 賃銭表は高砂渡しの料金を示す高札。橋梁と渡し船の部に分かれ、渡し船料金は釜無川の水量の増減によって4段階の料金が設定された。大正7年(1918)。
 この釣台は高砂渡しで使用されたもの。前後に2本の坊を通して担ぎ、人を乗せて歩いて川を渡った。明治30年(1897)制作。

 信玄橋の架橋は、明治31年(1898)に締め切られた前御勅使川の旧河道敷の払い下げが昭和の初め頃から始まり、後の県道甲斐・芦安線となる「四間道路(しけんどうろ)」が昭和5年(1930)に整備されたことに連動しています。

04
【写真】信玄橋西詰から400mほど西にある「四間道路」の道標 昭和4年(1939)

 昭和7年(1932)に竣工した初代信玄橋は、はじめからコンクリート製永久橋として計画され、総長455.5m、有効幅員5.45m。総工費約12万円のうち、5万円を当地にゆかりの国会議員穴水要七が拠出しています。また、後に取り外されましたが、建築当初は写真にあるとおり親柱頭部に橋灯が灯り、夜間に通行する人々をあたたかく照らしました。

05
【写真】昭和7年竣工の初代信玄橋

06
【写真】同竣工記念式

 橋の名称は、郷土の英雄武田信玄にあやかったのか、対岸の信玄堤にちなむのか、定かではありませんが、現在の信玄橋には、武田信玄にまつわる意匠をそこかしこにみることができます。また、昭和7年竣工の旧信玄橋の欄干の鉄格子も竣工当時(戦時中に供出されコンクリート製に代わる前)は武田菱が描かれており、当時から「信玄」を強く意識したデザインであったことがわかります。

07 08
【写真左】現在の信玄橋 武将をモチーフにしたレリーフなどがつけられる
【写真右】現在の信玄橋 両側の歩道にも武田菱(武田家の家紋)が!

09
【写真】昭和7年竣工の信玄橋(写真・同竣工記念式の一部) 欄干の格子が武田菱となっている

 その後、橋は昭和41年(1966)の台風4号によって、橋脚2桁が沈下し通行不能となるなどしましたが修復され、旧信玄橋は平成4年(1992)、2代目となる現在の橋の竣工をみるまで使われました。そして信玄橋は、現在でも日々の通勤・通学や物流、ひいては、市の主要な観光資源である南アルプス登山への玄関口として、その重要性が増しています。

 なお、昭和7年竣工の旧信玄橋の親柱は県道甲斐・芦安線沿いの八田児童館の敷地内に移されており、自由に見学できるようになっています。

10
【写真】旧信玄橋の親柱


 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

イチョウの黄葉が始まりました

 「暑くて、暑くて」と、口を開けば同じ言葉を繰り返していましたが、ここへ来て急に秋の気配が深まり、イチョウは黄色く葉の色を変えてきました。

 市内の遊休農地で綿花を育てている畑をみつけました。まいた種がちょうど今、花を咲かせ、実がはじけ綿花となっているものもありました。花は黄色くて、オクラに似ています。綿花は白い色かと思いきや、ちょっと褐色がかったやさしい色合いです。

綿花 綿花 綿花畑
【写真】綿花の栽培=市内遊休農地

 南アルプス市は9月28日、東京に拠点を置く株式会社アバンティとの間で「オーガニックコットン栽培生産共同研究事業」の協定を結びました。今後、遊休農地となっている畑が綿花畑に変わり、オーガニックコットン製品として、出荷されることでしょう。


A締結
【写真】オーガニックコットン栽培生産共同研究事業の協定締結

 

[南アルプス市役所秘書課]