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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2008年9月

【季節の便り】

300日も咲いている花?

 数年経たないと咲かないという珍しい地湧金蓮(ちゅうきんれん)という花が、市内の民家の軒先に咲いていました。

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【写真】7月初旬

 中国雲南省が原産(?)ということですが、「ご近所の方に頂いた時は、葉っぱが何枚か付いていて、毎年バナナのような大きな葉っぱが伸びてくるだけ。今年は珍しく葉っぱが大きくならないなと思っていた」そうです。
 既に、5月から咲いている花ですが、花びらのように見えるところは苞で、その周りを囲むように小さな花が咲いています。
 花びらのような苞の部分は、1週間に1枚ずつそっと夜中に開くため、未だにご主人も見たことがないそうです。

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【写真】9月初旬

 ちなみに、花が枯れてしまう頃になると、茎の脇から新しい命(子ども)が生まれてきて、また数年後に花が咲くようです。
 花が人に観賞してもらえる回数が少ない分、一回に咲く時期を長く咲こうとしているように見え、自然界の営みに感動を覚えます。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

流転の村 ~釜無川の流れに翻弄された浅原村~①

 現在の南アルプス市浅原。市の最も西に位置し、釜無川に沿って集落が広がっています。ここの付近は、江戸時代は浅原村と呼ばれていました。
 浅原村の歴史は、水害に苦しんだ苦難の歴史でした。釜無川の流れに翻弄(ほんろう)され、多くの苦難を乗り越えて現在の地にあります。今回は、浅原村の苦難を記した古文書『浅原村引移一件』を読み解き、その苦難の歴史と先人の苦労を振り返りたいと思います。

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【写真・左】=浅原村の位置
【写真・右】=浅原村引移一件

 『引移一件』によれば、浅原村は、もともと釜無川の西側の「三ツ境」というところに集落を構えていましたが、水難により天正14(1586)年に「門田」というところに移転し、さらに慶長3(1598)年「宮ノ東」、元和8(1622)年には「青沼」というところに移転を余儀なくされています。いずれの地名も現在は残っていませんが、36年の間に、なんと3回も集落の移転をしなければなりませんでした。

 しかし浅原村の苦難はこれでも収まることはありませんでした。その後も村は水害に苦しみ、ついにはその20年後の寛永19(1642)年、釜無川の対岸、東側にある隣村の西花輪村にある「西河原」というところ(現在の中央市西花輪字西河原)への「仮住まい」を余儀なくされてしまいます。寛政3(1791)年以前に描かれたと見られる浅原村の絵図を見ると、村の領域が、釜無川の河道のただ中に広がり、川の東側、西花輪村に村居があったことがわかります。

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【写真】浅原村絵図(南アルプス市蔵)

 もともと釜無川と笛吹川の合流点に近く、平坦で低湿な浅原村でしたが、この時期にこれ程の移転を迫られた要因として、釜無川の河道が変わったことが可能性として挙げられます。甲府盆地においては、永禄3(1560)年頃には、竜王の信玄堤が完成していたといわれていますが、これによってそれまで竜王から南東(概ね現在の美術館通りに沿って)に向かって流れていた釜無川の流れが、その後徐々に南に向かうようになってしまったといわれています。

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【写真・左】=信玄堤構築前(想定図)
【写真・右】=信玄堤構築後(想定図)

 浅原村も竜王の信玄堤構築以降、釜無川の影響を強く受けるようになった可能性が高く、これ以降苦難の時代を迎えることになったのかもしれません。浅原村周辺は、中世は奈古(南湖)庄に比定され、近世にいたっても、釜無川の西側にありながら、西郡筋(にしごおりすじ)ではなく、中郡筋(なかごおりすじ)に属しています。そんなことからも釜無川の流れの変遷をうかがうことができます。
 江戸時代に編さんされた地誌『甲斐国志』には、浅原村は「釜無川難に境域広く亘(わた)り古は強邑なりしと見ゆ」と書かれています。奈古(南湖)庄には甲斐源氏奈古十郎義行が拠点を構えたとされ、釜無川の河道が変わる前には、現在では知ることのない、豊かな歴史が育まれていたのかもしれません。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

秋の色が漂いはじめ…

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 暑かった今年の夏もあっという間に終わり、市内は秋色に変わってきました。あちらこちらに咲いていたヒマワリの花は頭をもたれ、勢いがなくなっています。代わって今が盛りと咲いているのがテッポウユリ。市内でも櫛形山に近い西の地域には、道路や畑、民家の庭先にと、至るところにテッポウユリが無造作に咲いています。地域の人に理由を尋ねたところ、鳥が種を運んできたとか。自然の力が心を和ませてくれます。

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 秋の色と言えば、オレンジや黄色、赤や茶色など、暖色系が浮かんできます。市内の風景から、幾つかの色をお届けします。

【連載 今、南アルプスが面白い】

むかし飛行場があった ~ロタコ(御勅使河原飛行場)~④
町のいたるところに見られるロタコの痕跡

 前回までに紹介した場所以外にも、御勅使川扇状地上では至る所に「ロタコ」の痕跡を見ることができます。たとえば…
 とある畑の中に農業資材を置くために使われた鉄の棒、実は当時横穴壕を掘るのに使われたトロッコのレールなのだそうです。いまでも畑を耕していると、このようなトロッコのレールなどが見つかることがあるそうです。

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【写真】トロッコのレール

 当時、航空本部として接収された敷地内にあった、メロンなどを栽培した温室は、覆いをかけ兵舎として活用されました。戦後はまた温室に戻されましたが、このように現在も使い続けられています。

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【写真】戦時中兵舎に転用された温室

 今では立派な片側2車線の道路。ここでは、ロタコ工事の際に既存の道を拡幅して誘導路にする工事が行れたそうです。

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【写真】誘導路だった道路

 また、この農道は、ロタコ工事のときに動員された地域住民によって、新たに誘導路として作られたものです。その後、多くの施設が畑や田んぼに戻されるなか、「便利だったので」そのまま残され、現在まで農道として使い続けられています。

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【写真】誘導路だった農道

 こちらは、飯野の通称「おてらみち」。人々が常楽寺に参る昔からの道です。この道も当時は拡幅され、掩体壕(えんたいごう)と滑走路をつなぐ誘導路として整備されました。

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【写真】常楽寺にむかう「おてらみち」

 今年指定文化財となった掩体壕以外にも2ヶ所、現在も掩体壕の基礎が残されています。

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【写真】畑の中に残された掩体壕の基礎

 今回紹介した場所は、言われなければ分からない日常の風景の中にあります。地域の方々にしか分からないこのような場所も、戦争を体験した方々が亡くなっていく中、忘れ去られようとしています。今、証言や記録を残しておかなければ地域の歴史として残すことはできません。
 ロタコについては、南アルプス市が散策マップやパンフレットを作製しています。市役所、各支所、市内図書館、みちの駅、教育委員会文化財課の窓口などで入手することができます(無料)。一度手に取り、過去の戦争の歴史を訪ね、未来の平和について思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
 また、皆様の地域の何気ない日常の風景の中にも、意外な歴史が残されているかもしれません。そのような歴史を発見し、大切に語り伝えていくことが、今求められています。

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【写真】ロタコの散策マップやパンフレット

※これまでに紹介した見学スポットの多くは私有地です。土地への立ち入りについては予め了承を得るなど、充分に注意してください。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】