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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2008年7月

【季節の便り】

夏山シーズン到来!

 このところ夕方になると雷があちこちで発生して激しい雨が一瞬に降り、日中は30度を超えるむし暑い日が続いています。もしかしたら梅雨明けかな?と思ってしまいそうな南アルプス市内です。

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 先月末には南アルプス開山祭が行われ、夏山シーズンがスタートしました。大勢の登山者が北岳や仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳など3000メートル級の山を目指して南アルプスを訪れます。2週間ほど前、北岳に向う途中、サンカヨウの花や昆虫・小動物等の死骸(しがい)の上に咲くという珍しいギンリョウソウ(通称ユウレイソウ)を見つけました。山に登らなければ見ることの出来ない花のようです。

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サンカヨウ(左)とギンリョウソウ(右)

 まだまだ雪が残っている所もあり、下界の気温とは随分違いそうです。写真から、少しは涼を感じていただけたでしょうか。

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【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

むかし飛行場があった ~ロタコ(御勅使河原飛行場)~①
戦争の記憶を伝えるということ

 前回(7月1日号)は、新たな指定文化財の中で、「ロタコ」の存在を紹介しましたが、太平洋戦争中、大規模な空襲などの被害がなかった南アルプス市のなかで、実際には現在の町並みの中に戦争の痕跡を今に伝えるモノや場所を見つけることはなかなか難しく、日常生活のなかで、「戦争の記憶」を呼び起こすことはほとんどないかもしれません。

 しかし、現実には終戦直前の昭和20年7月30日、南アルプス市域南部から増穂町にかけて、米軍艦載機が飛来し、死者4名、負傷者4名の犠牲者を出しており、終戦直後には旧豊村(櫛形地区)の満蒙開拓団140名あまりが現地で集団自決するという痛ましい事件がありました。また、この戦争における南アルプス市域出身者の戦死者数は実に1,906人にも及び、戦争のつめ跡は大きく深く地域の人々の心には刻まれていたといえるでしょう。

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【写真】満州開拓殉難者慰霊碑:「分村」して満州に渡った豊村の人々が、終戦により中国東北部で孤立し、ついには昭和20年8月17日幼児を含む140名余りがダイナマイトにより集団自決した事件を悼み、吉田の諏訪神社境内に建立された。

 ところが、まもなく63回目の終戦記念日を迎えようとする現在、戦争を直接、間接に体験した世代は少数派となり、戦争の記憶を語り継ぐことが困難な時代になっています。いまや、戦争を語り継ぐ主役はいやおうなく、体験者の「コトバ」から、戦争遺跡や遺品などの「モノ」頼らざるを得ない時代に移りつつあります。

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【写真】勤労動員の碑:戦時中、木工所や製糸工場に勤労動員され、勉強できずに苦労した飯野国民学校(当時)の生徒たちが、その苦労を次世代に伝えるために建てたもの。白根飯野小学校にある。

 このような時代にあって、戦時中「ロタコ」の暗号名で呼ばれた遺跡は、南アルプス市にも確かに戦争があったのだということを今に伝えるモニュメントとして大きな意味をもつことになります。
 地域の歴史を記した町村誌において、地域住民らを動員して行なわれたロタコ工事に関する記載は、南アルプス市を構成する旧6町村のうち、ロタコのある白根町を含む全ての町村にみられ、この遺跡が地域における戦争の記憶として象徴的な役割を果たしうることを伝えています。

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【写真】市町村の歴史に残るロタコ

 アジア太平洋戦争末期、東京立川にあった軍施設、立川航空工廠(たちかわこうくうこうしょう)の機能を疎開させ、その存在を隠す目的で構築されたとされる秘匿飛行場ロタコ(第2立川航空廠の暗号名)。広大な御勅使川扇状地上の約800ヘクタールもの範囲に点在するその痕跡は現在の町並みの中に没し、なかなか気付くことはありません。次回から数回にわたって、何げない街角に残る、この「戦争の記憶」を紹介していきたいと思います。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

静かな湖畔にカッコウの鳴き声が響く

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 静かな湖畔の森の陰から・・・カッコウ、カッコウ、と昔から歌われている曲が頭に浮かんできます。そんな静寂な空間の中、深緑に包まれた伊奈ヶ湖の朝は、小鳥のさえずりとカッコウの鳴き声が山間に響き、豊かな自然の中で安らぎの時間(とき)が流れています。南北にある2つの伊奈ヶ湖は、秋の紅葉も見ごたえありますが、初夏にも一度足を運んでみてはいかがでしょうか。のどかな山麓の景色を見ていると、きっと、心が癒されます。
※伊奈ヶ湖までは、市役所本庁から車で15分くらいです。

まだまだ自然がいっぱい!
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 先日、市内のオートキャンプ場に行った時、川の脇に小さな実を付けたリンゴの木があり、カメラのファインダーをのぞくとミノムシの抜け殻が写っていました。ミノムシが絶滅の危機にあると聞いたのですが、今年はいつもの年よりミノムシが多く見られたようです。この辺りは、まだまだ自然がいっぱいです。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

新指定文化財のよこがお④
ロタコ(御勅使河原飛行場)跡3号掩体壕
~遺された戦争の記憶~

 掩体壕(えんたいごう)とは、飛行機を格納し、隠し、爆風から守る施設です。
 今回市指定文化財となった掩体壕は、今から60年余り前、太平洋戦争末期に「ロタコ」工事に伴って構築されました。

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【写真】調査が行われる前、掩体壕は住宅街の一角にひっそりと眠っていた

 太平洋戦争末期の昭和19年~20年頃になると日本本土は、米軍から直接爆撃を受けるようになり、主な軍事施設は地方への分散疎開が検討されました。このような中、東京立川にあった軍施設、立川航空工廠(たちかわこうくうこうしょう)の機能を疎開させ、その存在を隠す目的で構築されたのがロタコ(第2立川航空工廠の暗号名)だと言われています。
 旧日本陸軍の記録には、「御勅使河原飛行場」として登場するこのロタコの建設工事では、現在の南アルプス市飯野、有野地区を中心に、地域住民や、いわゆる朝鮮人労働者を動員して、大型機も離着陸可能な幅100m・長さ1500mの滑走路をはじめ、誘導路、ピスト(管制塔)、横穴壕(地下工場)、そして掩体壕などの様々な施設が構築されました。
 秘匿(秘密)飛行場という性格から、それぞれの施設は、広大な御勅使川扇状地上の約800ヘクタール(東京ドーム171個分)もの範囲に点在して作られ、現在もその施設のいくつかについて当時の面影を見ることができます。

 今回指定文化財となった掩体壕もそのひとつであり、滑走路のちょうど1kmほど南にあって誘導路を介して滑走路に接続していました。
 ロタコの施設では、このほかに2基(1・2号)の掩体壕の存在を確認することができます。

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【写真】3号掩体壕の全景

 掩体壕には、屋根のないものや、屋根をコンクリートで造るものなど様々な形が知られていますが、現在確認できるロタコの掩体壕は、コンクリート製の基礎に木製の「覆い」を架けるものです。現在木製の「覆い」はすでになく、コンクリート製の基礎のみが遺されています。
 大きさは、幅20m、奥行き16m程で、戦闘機1機を納めるのにちょうどよい大きさです。平成17年度に行われた発掘調査の結果、半地下式の構造で、床面には、厚さ10cmほどもある立派なコンクリートの床(スラブ)が打たれていることがわかりました。

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【写真・左】=掩体壕の調査風景
【写真・右】=調査の結果分かった掩体壕の復元想像図

 終戦後60年余りを経て、戦争に対する人々の記憶が薄れる中、掩体壕はロタコを象徴する遺構のひとつとして、南アルプス市にも確かに戦争があったのだということを未来に伝えるとともに、動員された地域住民の過去のある時期に関する「共同の記憶」を象徴するものとして、重要な文化財ということができます。

 このような戦争の記憶を「モノ」として遺していこうという動きは、現在全国的に広がりを見せており、太平洋戦争を記憶する遺跡として、広島の原爆ドームや沖縄の南風原(はえばる)陸軍病院壕などが国指定史跡となっているほか、100を超える遺跡が指定・登録文化財となっています。山梨県では山梨大学赤レンガ館が国登録文化財となったのに続き、今回の指定が2例目となりました。掩体壕に限ってみても、ロタコ以外に、大分県宇佐市や高知県南国市をはじめすでに全国5ヶ所で指定・登録文化財となっているのです。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】