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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2008年5月

【季節の便り】

サクランボ狩りが始まりました!

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 今年のサクランボは、例年に比べ少し早くなっているようです。春先の気温が高かったことも原因のようですが、これも温暖化の影響でしょうか。
 5月末から始まっている露地のサクランボ狩りには、県内外から観光バスがたくさん市内に入っており、6月中の週末は渋滞が予想されます。

Malps080601_03_2 サクランボ畑で農作業をしている人が・・・・と思ってよく見ると、人形でした。カラスから実を守るために置かれているとか。人のような動きのあるよくできた人形でしたが、頭の良いカラスにはあまり効き目がないとか。自然との闘いは大変のようです。

今、ジャガイモの花が盛りです!

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 市内で、白く、ほんのり紫がかったかわいいジャガイモの花をあちこちで見かけます。他県の新ジャガは既に店頭に並んでいますが、市内のジャガイモは、これからだんだん大きくなっていきます。ひと月くらいたつと収穫になるようですが、土の中のジャガイモを掘り出す瞬間は、なんともワクワクする楽しいひと時です。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

新指定文化財のよこがお② 木造十一面観音及び毘沙門天、不動明王立像 ~日の目をみた日不見観音(ひみずかんのん)~

 今回紹介する仏様は、前回の阿弥陀様と同様、現在実施中の市内仏像等悉皆(しっかい)調査の過程で『発見』されたものです。調査の結果、この仏様は平安時代まで遡る、南アルプス市最古級の仏像であることがわかりました。市内でも平安時代まで遡る仏像は5件に過ぎず、1件が国指定の重要文化財、3件が県指定文化財になっています。

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【写真】十一面観音を中心に、向かって右が毘沙門天、左が不動明王

 今回紹介する仏様は、もともと若草地区寺部の円通院に安置され、現在は円通院が廃寺となったため、下今井地区にある隆円寺が管理している木造十一面観音(もくぞうじゅういちめんかんのん)及び毘沙門天(びしゃもんてん)、不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)です。

 この十一面観音像は、『甲斐国志』によれば、別名「日不見観音(ひみずかんのん)」ともいわれ、実は33年に一度しかご開帳されない秘仏として大切に祀(まつ)られてきた仏様だったのです。これまで存在が広く知られていなかったのには、このような事情があったのでしょう。今回はお寺にお願いして特別に許可を受け、調査をさせていただくことができました。また、よく観察すると、このお像の光背や台座の一部が焼け焦げて失われています。円通院のお堂は、昭和59年に火災により焼失し、その後再建されることはありませんでしたが、このお像は間一髪、焼失の危機を免れたのだそうです。観音さまの霊験でしょうか。

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【写真・左】=十一面観音像(やわらかな微笑をたたえています)
【写真・中】=毘沙門天像(きりりと鼻筋がとおり迫力のある面持ちです)
【写真・右】=毘沙門天像(十一面観音像とは逆に憤怒の表情を浮かべています)


 三尊のうち、十一面観音像と毘沙門天像は、一本の材から彫り出し、内刳(うちぐり)を施さないいわゆる一木造(いちぼくづくり)という古い時代の製作技法でつくられていて、平安時代前半11世紀頃(今から約1000年近く前!)の作と考えられます。ちょうどあの紫式部が活躍した時代と重なります。一方、不動明王像は同様の構造ですが、衣の表現などから二像よりやや遅れた12世紀前半頃の造立(ぞうりゅう)とみられます。

 観音さまを中尊とし、不動明王像と毘沙門天像を脇侍(わきじ)とする形式は、10世紀末頃に天台宗の総本山、比叡山延暦寺で成立し、その後天台宗のお寺で多く造られますが、今回発見された仏様はこうした天台形式の三尊像のなかでも全国的に見て古く、この形式の地方への広がりを考える上で重要です。また、この三尊像の発見により平安時代前半期の山梨県に天台宗が伝わっていたことが確実になり、県内で天台宗の広がりを示す最も古い事例として山梨の仏教史を考える上でも重要な発見となりました。

 さて、この仏像が安置されていた寺部の円通院周辺は、御勅使川扇状地の末端部にあり、扇状地の豊かな伏流水に支えられて原始古代から人々が生きた痕跡が確認できる市内有数の遺跡の集中地帯となっています(2006年10月15日 第80号)。円通院の周辺にはこの仏さまが造られたのと同じ平安時代の遺跡も数多く見つかっています。

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【写真】円通院のすぐ近くで発見された平安時代のムラの跡

 平安時代、煌(きら)びやかな貴族文化がまず連想されますが、遺跡の発掘調査から、この頃ここに暮らした人々は基本的に地面に穴を掘って作った竪穴住居で生活していたことがわかっています。実際にここに紹介した竪穴住居を残した人も、この観音様に篤い信仰をよせていたのでしょうか。

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【写真・左】=発見された平安時代の竪穴住居跡(土に穴を四角形に掘り、壁際にカマドを造っています)
【写真・中】=竪穴住居の復元想像図(最近の研究では、竪穴住居跡の屋根は、茅葺=かやぶき=ではなくこのような「土葺」だったことが明らかになってきています)
【写真・右】=竪穴住居跡から見つかった平安時代の土器


 南アルプス市のもう一つの遺跡の集中地帯、百々や上八田、榎原地区。くしくもその中心にある長谷寺(ちょうこくじ:本堂が国重文)にも、平安時代に遡る十一面観音様が安置され、こちらも33年に一度ご開帳の秘仏となっています。古代の篤い観音信仰の広がりを垣間見ることができます。

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【写真】=長谷寺の木造十一面観音立像(県指定文化財)

 なお、今回の調査では、この三尊像に「虫くい」が進行していることが明らかになりました。このままでは、1000年もの間人々が大切に守り、火災にも耐えた貴重な文化財が朽ち果ててしまいます。早急に「くん蒸」するなどの対応をとりたいと思います。
 このように、文化財の調査には、地域に眠る文化財に光を当てるとともに、文化財の状態を把握するという重要な目的もあるのです。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

ポピーの花が癒しに

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 遊休農地を荒れ果てたままにしておくより、花を植え大勢の人たちにきれいな花を見てもらおうと、地域の人たちがポピーの花を植えています。今が最高にきれいな時期です。花は、どんな花でも気持ちが癒され、こころが洗われます。ポピーの花言葉は「慰め、いたわり、思いやり」。市民の方たちのこころが伝わってきます。

畑仕事の合間にお田植え…

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 市内で行われていた春のイベントが昨日で終わり、いよいよ本格的な農作業が始まっています。果実の栽培が盛んな地域では、畑仕事の合間に田植えを早く済ませようと、夕方近くまでご夫婦で田植えをしている姿が見られました。露地のサクランボ狩りも間もなく始まります。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

新指定文化財のよこがお① 木造阿弥陀如来坐像
~鎌倉時代の人々の想いにふれる~

 平成20年4月、南アルプス市教育委員会では、新たに4件を市の文化財として指定しました。いずれも、南アルプス市の歴史や文化を語る上で欠くことのできない貴重な財産です。4件の指定物件のうち仏像3件は平成22年度まで5ヵ年をかけて実施中の「市内仏像等悉皆(しっかい)調査」の過程で発見されたものです。また、もう一件、戦争遺跡ロタコについては、平成17年度から市が文化庁などの補助金を得て継続的に調査を実施してきたものです。
 今回から4回にわたり、この新たに加わった指定文化財のプロフィールを紹介したいと思います。まず今回は、下今井地区、隆円寺所蔵の木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)です。

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【写真・左】=木造阿弥陀如来坐像
【写真・右】=像の表面(めずらしく造立当時のまま現在まで伝えられており、特に衣の部分全面にはさまざまな截金=きりかね=文様がよく残っています)


 今回指定となったこの仏像は、かつて同じ下今井地区にあった慶昌院に安置されていたものと云われます。像高41.2cmの寄木造で、全体のバランスが良くとれ、しかも引き締まった造形をみせます。制作年代は鎌倉時代半ば頃と考えられ、端正で洗練された作風から作者は京の仏師が想定されます。

 指定に際し、山梨県立博物館の協力を得てファイバースコープなどで調査した結果、本像頭部の内側には、文書が2通納入されていることがわかりました。像内に願文や納入品を奉納した阿弥陀如来像の発見は県内では初めての事例となります。

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【写真・左】=ファイバースコープによる調査
【写真・中】=仏像の底面からファイバースコープを挿入し、頭部内面を写した画像(頭部に文書が納入されていることがよくわかります)
【写真・右】=古文書調査の様子


 慎重な作業の結果、幸運にもこのうち1通を取り出すことができました。2枚からなるこの文書には仮名文字でくりかえし「なみあみだぶつ かならず かならず ミチ 行かせ給へ」と浄土往生を願う言葉が記され、この仏様が当時の篤い浄土信仰のなかで造られたことがわかり、阿弥陀如来像に寄せる当時の人々の信仰を具体的に伝える貴重な作例といえます。

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【写真・左】=人々の想いをいまに伝える古い文書
【写真・右】=        〃


 一連の調査を通じ、遠く鎌倉時代に実際にこの南アルプス市に生きた人々の生々しい、そして切なる想いにふれることができた発見でした。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】