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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2007年4月

【季節の便り】

もうすぐゴールデンウイーク!

 新緑に彩られた初夏がもうすぐそこに訪れています。
 すがすがしいこの季節、子どもからお年寄りまで家族全員で楽しめるイベントが南アルプス市で行われます。一度、遊びにきてみませんか!

甲州凧上げまつり(4月29日)
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 伝統ある甲州凧(たこ)を後世に末永く伝えようと行われている南アルプス市甲州凧上げまつりは、甲西地区の釜無川三郡橋上流の右岸河川敷で行われます。絵柄コンテストと凧上げコンテストの2部門があり、南アルプスの青空を色とりどりの凧が優雅に舞い上がります。
 

アヤメフェア(4月30日)
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 滝沢川両岸に紫色の美しい花のじゅうたんが広がり、川面に映る紫と緑のコントラストが鮮やかなアヤメフェアは、滝沢川河川公園をメーン会場に開かれます。川沿いを約1キロにわたって8万株、40万本のアヤメが咲き誇る風景は、きっと訪れた人たちの目を楽しませるでしょう。
 特設ステージや会場周辺で繰り広げられるイベントには、鎌倉時代の装束をまとった乗り手が約250メートルの馬場を馬で疾走しながら3つの的を狙う勇壮な小笠原流流鏑馬(やぶさめ)や市内の長清太鼓演奏、親子写生大会、モデル撮影会などがあり、フェアを盛り上げます。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプスを駆けた武士(もののふ)たち
甲斐源氏秋山光朝 その2

秋山光朝の最期と中野城

 甲斐源氏光朝はまた、悲しい伝説に彩られた悲劇の武将としても知られています。

 鎌倉幕府の黎明期、全国の源氏とともに、甲斐源氏もまた治承4(1180)年の源頼朝の挙兵に呼応し、平家打倒を目指す勢力の一翼を担いました。
 これに対し、幕府成立後は一転、甲斐源氏の強大な軍事力を恐れる頼朝は、自ら政権基盤を固めるため、武田信義、安田義定をはじめとする甲斐源氏のほとんどを次々と謀殺、排除してしまいます。このような中にあって、平重盛の娘を娶(めと)るなど平家と深い関係があった光朝もまた、頼朝から排斥され、鎌倉勢に攻められ、ついには、文治元(1185)年秋、追い詰められた「雨鳴城」で自害したといわれています。
 そしてその際、攻め手の鎌倉方の先鋒は弟小笠原長清が務めたとの伝承もあり、頼朝の下で鎌倉幕府の基盤が固められていく中、粛清を免れた加賀美遠光、長清の一党もまた非情な選択を迫られています。

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中野城(作画:宮坂武男氏)

 ところで、県道伊那ケ湖線を上っていくと南側に見える城山(1020m)の山頂付近一帯が、古代の城郭「中野城」であったといわれています。中野城は、江戸時代に編さんされた山梨を代表する地誌『甲斐国志』に、「中野ノ城跡 乃チ秋山太郎光朝要害ノ城墟ナリ」とあり、秋山太郎光朝の城であったことが伝えられています。

 城山の南東下方に位置する雨鳴山の山頂にも山城の跡があり、そこを光朝の自害した雨鳴城とする説もありますが、地域には中野城址であるこの城山が光朝自害の地であるとの伝承があることや、城山を雨鳴城と呼ぶ場合もあります。さらには『甲斐国志』に「(中野城の)東南ヘ一級下リ馬冷場ト云フ処三面ニ塁ヲ設ク」と記載される施設が、その位置、造りからみて雨鳴山の遺構に比定できることから、最も奥まった高所に立地する中野城こそが光朝終焉(えん)の地であったのかもしれません。

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中野城の縄張図(縄張作図:宮坂武男氏)

 中野城が占地している城山の山頂部は南北に伸びる細長い尾根状を呈し、特にその東側は急峻(しゅん)な崖となっていて人の侵入を阻みます。しかし、この山頂部分には東面の急峻な崩落地形からは想像できない程の平坦地が各所にあります。
 山頂の三角点付近には、現在も高さ50cm程の低い土塁が認められ、この土塁が尾根の山道と交わるところに虎口(城の入口)が設けられています。この土塁の内側は、帯状の平坦地となっているほか、山頂域の北側にも広い平坦面があり、有事の逃げこみ場として充分機能したことがうかがえます。

 この中野城址、現在は遊歩道が整備され、下の桜池駐車場から20~30分で山頂に登ることができます。6月中旬から下旬には、自生するコアジザイ(ヤマアジサイ)の可憐(れん)な白い花を遊歩道の両側でみることができます。
 皆様も一度この歴史にふれる遊歩道を歩いてみてはいかがでしょうか?
 場所はこちら

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(写真・左)中野城遊歩道入口
( 〃 中央)城山山頂からの眺望
( 〃 右)中野城遊歩道に咲くコアジサイ

 さて、悲劇のドラマを綴(つづ)ることとなったもうひとりの主人公、小笠原長清。
 次回は遠光の次男として加賀美を受け継ぐ役割を果たし、源頼朝の信頼を得た武士小笠原長清を紹介します。
 長清の優れた武芸は子孫に受け継がれ、その後「小笠原流流鏑馬(やぶさめ)」「小笠原流礼法」として広く知られるところです。
 南アルプス市では、毎年アヤメフェアにおいて、小笠原流流鏑馬を見ることができます。今年は4月30日に開催予定です。皆さまも、疾走する人馬の圧倒的迫力に、武士の駆け抜けた鎌倉時代の息吹を感じてみてはいかがでしょうか?

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日時:平成19年4月30日(月) 午後1時頃(予定)~
場所:櫛形総合公園内 流鏑馬馬場

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

もも花、すもも花、さくら花
 ももか、すももか、さくらか

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 今年は春の訪れが異常に早いと思っていましたが、3月に入り寒い日もあり、季節の移ろいがちょっと足踏みとなりました。しかし下旬は暖かさが戻り、南アルプス市も一斉に春色になってきました。3月28日、市内の先陣をきってハウスのサクランボが初出荷されました。高砂(たかさご)という種類で、1粒なんと700円から1000円で売られるそうです。

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 モモの花、スモモの花、そしてサクラ。これらの花の中を縫うように、第5回南アルプス市桃源郷マラソンが、4月8日に行われます。当日は、山梨県議会議員選挙投票と重なりますが、全国から集まった5000人以上のランナーがフルーツの里・南アルプスの大地を駆け抜けます。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプスを駆けた武士(もののふ)たち
甲斐源氏秋山光朝 その1

甲西地区秋山 ~光朝のゆかりの文化財をあるく~

 今回は再び、南アルプス市を駆けた武士集団、甲斐源氏について書きたいと思います。今年の1月1日号でもお話ししたとおり、若草地区の加賀美を拠点に峡西・峡南地域を治めた加賀美遠光は、その支配地域内各所に自分の子どもたちを配してその基盤を固めました。具体的には、甲西地区秋山に長男光朝、櫛形地区小笠原に次男長清、現在の南巨摩郡南部町付近に三男光行といった具合です。
 今回は、その中から、まず長男光朝にスポットをあて、光朝ゆかりの文化財が数多く残る甲西地区秋山を紹介したいと思います。

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秋山光朝(市指定文化財「秋山光朝の木造」)
 光朝が拠点を構えたのは、甲西地区秋山。現在の熊野神社がその居館の跡だと伝えられています。

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秋山熊野神社(市指定文化財秋山光朝館跡)
周囲から敵の侵入を防ぐ小高い独立丘になっています

 当地からは県指定文化財である「秋山太郎光朝供養の経筒及び附属品」が発見されているほか、周辺には父である遠光、光朝、および同夫人の墓とされる五輪塔も残されています。

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市指定文化財「遠光・光朝及び夫人の墓」
遠光、光朝、および同夫人の墓と伝えられる五輪塔

 また、秋永山光昌寺(こうしょうじ)は、「光朝寺」とも伝えられ、光朝ゆかりの寺として知られています。
 甲西地区秋山は、静かな佇まいのなかに、光朝ゆかりの多くの文化財と、中世の香り漂う町並みが残されています。みなさまも遥か中世の世界に思いを馳せて、一度と当地を散策してみてはいかがでしょうか?

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光昌寺

次回は、光朝の最期と光朝ゆかりの城「中野城」のお話です。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】