はじめに
前号より、南アルプス市下市之瀬にある鋳物師屋遺跡の土偶「子宝の女神 ラヴィ」について、これまで紹介してきた内容を一歩進め、ふるさと文化伝承館で実際に受けた質問などへの答えも含めながら、一体どのような遺跡・土偶なのか、深掘りして連続でご紹介しています。
前号では、まず鋳物師屋遺跡について。今号はいよいよ土偶本体についてみていきたいと思います。年代観などマニアックな部分も含みますので、ぜひ、前回の記事も合わせてご確認ください。
土偶って
土偶とは、主に縄文時代に粘土で作られ焼き上げられた人形であり偶像のことですが、これまでにおよそ20,000点ほど発見されているとされます。
土偶の「用途」や「目的」を解き明かすことは究極の課題なのかもしれません。それは、実際に出土する土偶も形や発見時の姿などが多様であるからで、「土偶」とひとくくりで呼んでいても、用途や目的は必ずしも一つのものではないと考えられます。例えば、故意に壊されたように見える出土例が多いことから祭祀等で用いられたものでないかとか、体の具合の悪いところの回復を願ったものと考えられたり、女性の妊娠や出産を表現したものも多く、安産などを祈ったものか、また女神や精霊、命の再生、お守りや玩具、さらにはバラバラにされているものも多くそれらを大地に蒔くことで豊穣を祈った(ハイヌウェレ系の神話)という説など、まさに多様です。
実際、出土する土偶のほとんどは動作などのしぐさは無く、「腕の短いやじろべえ」といた印象のものが多く、さらに、バラバラになって体の一部分のみ出土するというケースがほとんどです。体の一部であればほんの数センチ、全身に近くても10~15センチメートル前後のものがほとんどといえます。
「ラヴィ」は竪穴住居の床面直上から出土した
前回の最後の段落でご紹介したように、「子宝の女神 ラヴィ」は、左肩と後頭部の一部を除いてほぼ全てが揃っていて、通常知られる土偶の出土状態と違い、バラバラではない状態で見つかりました。折れはありましたし欠損箇所もありますので、あえて「バラバラではない」と表現しています。よく誤解されますが決して完形で出土したわけではありません。また、住居の床面で見つかったということも特徴的で、長野県などで見つかるような、お墓に伴うものとは性格が違うようです。
多様な土偶がある中で、この土偶がどのような土偶なのか、そのヒントを探すために、まずは土偶をよく観察してみたいと思います。その上で他の土偶と比較検討していきましょう。ひとつだけで検討してもあまり意味はなく、他の出土遺物と比較検討する中で共通点と相違点を整理していくと、この土偶の性格がみえてくるものと考えます。
【写真】「小宝の女神 ラヴィ」の発見状況 住居の床面から出土した
【図】57号住居の遺物出土状況図 1が「子宝の女神 ラヴィ」
ラヴィを観察する
この土偶からさらなる情報を見つけようと、人間ドックならぬ「土偶ドック」も始めていますので、そのあたりも含めてラヴィの特徴をみてみましょう。
土偶の身長は山梨県内の土偶では最大の25.5㎝で、全国でも縄文時代中期の土偶でトップ10に入るほどの背の高い土偶です(縄文時代晩期になると東北地方を中心に30㎝越えの土偶が沢山作られます)。底面は長径15㎝×短径13.4㎝の正円形に近い円形で、円錐形をした大きな胴部は安定していて自立します。人形で考えれば、元々脚のない腰から上だけを表現している土偶といえます。考古学では共通する特徴ごとに分類をしていますが、このような胴体部分が円錐状の姿形をした仲間を「円錐形土偶」と呼ぶことがあります。
【写真】ラヴィの正面および側面と背面
【写真】ラヴィの正面および側面と背面
円錐形土偶
20,000点ほどもある土偶も、その時代と地域による特徴から、その変遷や変化を読み取ることができます。最初は体のラインを強調した女性のトルソー像(腕などを省略した胴体)から始まり、板状の土偶、そして、縄文時代中期頃になると北陸や中部高地地域を中心に、顔の表現が具体化し、さらに立体的な表現や、自立する立像、頭部も立体的になるなどの変化が見られます。「円錐形土偶」はまさにその立体的かつ安定して自立する像として登場してきます。
「円錐形土偶」は全国でも出土例は少なく、全身が残っているものは10点もありません。頭部が無くても円錐形をした胴体と判別できるものまで広げても20点程度です。すでにこの形をした土偶自体が非常に珍しい貴重なものと言えます。その中でも鋳物師屋遺跡の円錐形土偶は最大で且つ最も精緻な作りをしています。
【図】全国の主な円錐形土偶(1996小野「ポーズ土偶」より作成)
「円錐形土偶」は、ほとんどが下腹部より上の上半身を表現し(一部に円錐部分の下の方に脚の表現が描かれているように見えるものもあります)、胴体部分が円錐状の形状をしているもので、その内部が中空であることが共通します。内部が中実で円錐形に見えるものもありますが、その場合は本来は脚が付いていたのに外れてしまった例がほとんどです。円錐形土偶のすべてが縄文時代中期のもので、中部高地地域を中心とした北陸から関東までの遺跡からしか発見されていません。縄文時代の後期になると似たような土偶でもっと胴体が筒状の土偶が登場しますが(「筒形土偶」と呼びます)、大きな違いは中期の円錐形土偶には腕や正中線などの表現が立体的にあり上半身の表現が具体的にされていることが多いのに対し、筒形土偶は筒状の上に平面的な顔が乗っかるだけです。大きく異なったものと言えます。そのような特殊な「円錐形土偶」の中で、特に鋳物師屋遺跡の円錐形土偶は最も大きく、腕の表現などが立体的になり、精緻なつくりとなっており、円錐形土偶の中で最も成熟された頂点にいる土偶と言えるのです。
【図】主な円錐形土偶の中空構造(2016『徳万頼成遺跡』・1996小野「ポーズ土偶とその周辺」・1996今福「中期前半山梨県の様相」より作成)
円錐形をしたおなかの内部は胸の下までが空洞です。まれに頭の空間までおなかから首まで空洞が一続きになっていると解説されている書籍がありますが、それは間違いで、胸から首にかけては中実のつくりになっています。さらに両脇と底面の中央に円い孔が開けられています。中空なので焼成時の破裂防止として必要な孔ですが、両脇の孔は、この頃の土器や土偶にもよく用いられた文様で楔形の図形と丸を組み合わせた「玉抱き三叉文」という文様の丸の部分を使って孔が開けられています。ちなみに、「玉抱き三叉文」は頭の後頭部にも使われていて、この後頭部のつくりは縄文時代中期でも前半に作られた土偶の特徴と言えます。
「円錐形土偶」は全て底部の中央に孔が開いていて、本来は内部に鳴子が入った土鈴のような「鳴る土偶」だったと考えられています。実際に東京都八王子市楢原遺跡の土偶には内部に入ったまま出土しました。なんだかお腹の中の赤ちゃんをあらわしているようにも思えます。
【図】ラヴィ実測図
【写真】頭部内面の画像 首の部分はふさがっていることが分かる
おなかの中
内視鏡やCTスキャンの画像では、ラヴィの内部に鳴子は残っていませんでした。土玉であれば割れて孔から出てしまったかもしれませんし、豆などの有機物を入れて鳴らしたという考え方もあります。
内視鏡では、粘土紐を積み上げた際の輪積みの痕がはっきりとみえ、内面はほとんど調整をしていないことがわかりました。本来土器づくりでは、表面も内面も粘土紐の重なりを丁寧に撫でて平滑にしなければ良い土器になりませんが、この土偶は薄いところでは約2㎜しか粘土紐同士が接していないほど内面は全く手つかず状態でした。
3か所の孔はいずれも外側から棒状工具で突き刺して開けており、やはり内面は整えられておらず、底部から積み上げ、円錐部分が閉じた後に孔を開けたものと考えられます。空洞の天井部は粘土紐を寄せてふさぎ、その上に胸より上の部分を乗せている様子がわかりました。
他の円錐形土偶よりも上部が薄く、上部のつくりはむしろ当該地域で見られる立像の土偶と似たような印象です。また、通常の立像土偶は腕が短いのですが、CT画像によると短い腕の上に長い腕を足して胴体と繋いでいるように見えます。さらに、円錐形の胴部から離れて宙に浮く立体的な腕の表現は、円錐形土偶の中では他に例はありません。
【写真】ラヴィのCT画像
【写真】内部の様子 写真上が上部で、輪積みの様子や上部が紐を寄せて閉じられている様子が分かる
【写真】内部の様子 脇の孔の内面 押し出された粘土が其のままになっていることが分かる
【写真】内部の様子 底面の孔の内面 押し出された粘土が其のままになっていることが分かる
まずはラヴィの最も大きな特徴である円錐形の胴体についてみてみました。内面とはうってかわって表面の丁寧な仕上げや、細かい文様、また顔や指などの細部にまで、この土偶ならではの特徴が見てとれます。次回はそのような細部まで観察していき、この特殊な土偶の性格を浮き彫りしていきたいと思います。
【南アルプス市教育委員会文化財課】