南アルプス市内各所にのこる昔ながらの集落。これら集落のまちなみは、江戸時代の村に起源をもつことから、細く入り組んだ路地が続いていることが多いのですが、その中でもひときわ外から訪れる人々を困惑させ、迷わせるのが、市域東辺にひろがる鏡中条地区のまちなみです。
【図】鏡中条地区の位置
【写真】迷宮への入口
【写真】現在のまちなみ
市民からも「あそこだけはわからない」だとか、「できれば入り込みたくない」などの声があがる、その複雑さの実態は、地図をみるとわかるのですが、驚くことに、集落の中のほとんどの路地が「丁字路」で構成されていることに起因します。また、これに輪をかけて、車のすれ違いも困難な細い路地がほとんどで、クランクや行き止まりもあり、人々を惑わせます。
【図】鏡中条地区の路地(クリックするとアニメーションが見られます。赤い点が丁字路)
地元の方に聞くと鏡中条は、「泥棒が捕まらないまち」なのだそうです。笑い話なのですが、丁字路が連続しているため、泥棒を追いかけても丁字路を曲がるたびにどちらに行ったか迷い、ついには見失ってしまうんだとか。
鏡中条の集落が、なぜこのような特異な土地割りになってしまったのか不思議なところですが、実は現在の集落は、元々ここにあったものではなく、今から約400年ほど前に、村ごと移転してきたことがわかっています。
集落の中にある神社、巨摩八幡宮の社記(由緒書 ※)によれば、神社は、河筋が変わって元々の場所が現在の釜無川の本流になってしまったため、天文13年(1544)に西側の高台(八幡)に移転しましたが、そこも釜無川の洪水流によって浸食され、慶長17年(1612)、再び移転して現在の地(中ノ切)に落ち着いたのだそうです。恐らく集落も神社とともに移転しているため、現在の場所に集落ができたのは、今からおよそ400年前ということになるのです。
【写真】巨摩八幡宮
【写真】移転模式図
村ごと移転してきた際に、計画的な土地割をせずに、なし崩し的に家や建物が建っていってしまったのか、それとも、もっと深い理由が隠されているのかは、わかりませんが、鏡中条地区の複雑な土地割は、この時に形成されたものなのでしょう。
近年、新しい家も建ち、道路の拡幅も進む一方、昔ながらの趣ある建物も細い路地もまだまだ残っています。みなさんも一度400年前の街角に迷い込んでみてはいかがでしょうか。なお道が狭いため、探索には徒歩か自転車、軽自動車がおすすめです。
※【参考】巨摩八幡宮社記
当社ハ往古より当村産神ニ而勧請鎮座之義ハ年代遠而委細相分不申候
七郷八幡宮之本宮ト申伝神宮司八幡宮弓矢守護神ト称シ武田家よりも代々御崇敬被為神領若干御寄附被成下候由
然ル処天文年中釜無川切込社頭神領不残流失仕候
数十戸之社人不残離散仕候由
于今其所を神宮寺河原ト申候
同暦十三甲辰年八幡宮を坂之上江引勧請仕候
其後慶長年中又々釜無川切込社地も段々欠込候故同暦十七年壬子年御旅所之社江引勧請候
只今之社地ハ往古之御旅所ニ御座候
其引候社跡之地名を今ニ八幡ト申候(後略)
『甲斐国社記・寺記』所収
【南アルプス市教育委員会文化財課】