南アルプス市榎原に立地する古刹八田山長谷寺。3月18日の午後、春を感じさせるやわらかな日差しが八田山長谷寺の本堂に差し込んでいます。本尊を祀る須弥壇前の護摩壇では護摩が焚かれ、爆ぜた音とともに炎は天井へゆらめき、そこから立ちこめる白い煙は本堂内に集まる人々を包み込んでいます。
【写真】護摩焚き
八田山長谷寺と十一面観音立像
八田山長谷寺は寺伝によれば天平年間(729~794)に創建され、大和国(現在の奈良県)長谷寺を模し豊山長谷寺と号し、その後周囲が八田庄と呼ばれていたことから八田山へ改名されたと言われます。平安時代後期11世紀後半の造立と考えられている一木造りの十一面観音菩薩立像を本尊としています。
【写真】八田山長谷寺観本堂(国重要文化財)
大和国長谷寺の本尊は『三宝絵詞』(平安中期)や『長谷寺縁起文』(平安末~鎌倉時代)に記されているように、近江国(現在の滋賀県)高嶋郡の霊木から造られたと伝えられています。八田山長谷寺の十一面観音立像も一木から彫り出され、大和国と同じ岩座の上に立つことから霊木から彫り出された立木仏信仰があったことが推察されています。
【写真】 十一面観音菩薩立像(県指定文化財)
大般若経の転読の歴史
長谷寺で最も盛大に行われる祭りが3月18日の「お観音さん」です。ここで近世の史料をひもといてみましょう。天保13年(1842)寅年7月26日の『長谷寺般若転読并御修復ニ付取替議定書』と1848 嘉永元年(1848)申年10月『長谷寺観音開扉供養代官所への願い』には、十一面観音立像が33年に1度しかご開帳されない秘仏であったことが書かれています。現在もその信仰は続けられ、本堂の解体修理が完成した昭和25年(1950)、次が平成3年のそれぞれ3月18日にご開帳されました。
また、前述した『長谷寺般若転読并御修復ニ付取替議定書』には、 貞享2年(1685)より本堂が大破し一時中断を余儀なくされる以前の天保12年(1841)まで毎年2月18日19日大般若経の転読を毎年行ってきたと記録されています。転読とは600巻に及ぶ膨大な大般若経を分担し略して読み、五穀豊穣や所願成就などを祈る法要です。それを裏付けるように、大般若経100巻をセットにして納められた経箱の裏蓋の一つには「甲州西郡筋榎原村 八田山長谷寺 茲貞享貳 乙丑年」の文言が記されています。大般若経の転読は現在では新暦3月18日に改められ「お観音さん」と呼ばれて近隣の住民で賑わっています。
【写真】経本を納めた経箱
【写真】経本を納めた経箱の蓋裏
【写真】大般若経
お観音さんでの大般若経の転読
かつて2月18日に行われていたお観音さんは転読とともに馬の健康を祈願する初午の祭りとしても有名でした(八田長谷寺初午祭りの記録)。馬が飼われなくなった現代では、昭和25年以降始められた稚児行列から始まります。その年に小学校に入学する子どもたちが榎原集落センターから長谷寺まで、法螺貝の音色ともに修験者の姿をした僧侶に導かれ、長谷寺へ向かいます。
【写真】稚児行列
本堂では導師を務める長谷寺住職が中央に、県内真言宗寺院6名の住職が3名ずつ東西に分かれそれぞれの背後には子どもたちと保護者が座ります。
護摩が爆ぜる音と香木の香が漂うひとときの静寂。導師が散杖(さんじょう)と呼ばれる細い棒で清められた水が入っている金銅製の器の内側を叩く音を合図に、7人の住職の読経が始まります。読経に合わせ、太鼓の重厚な音が本堂内にリズムを刻みます。真言を唱えた後、心願成就や心身健全、交通安全などの願文が捧げられます。その後法螺貝の一拍の音が転読の始まりを告げます。
【写真】護摩焚きの法具
導師が経本第1巻を手の平へ叩くように収めると乾いた音が響き、その瞬間「大般若波羅蜜多経 第一巻 唐三蔵法師玄奘 奉詔訳(ぶしょうやく)※」と唱えると、左右3名ずつ座した住職から一斉に転読が始まります。
※国(唐)が命じて訳したという意味
「だーい はんにゃはらみったきょうだい○かん とうげんじょうさんぞうほうし」までは一気に読み上げられ、「ぶしょうやーく」と最後はためが作られます。音の調子を例えるなら、出発を告げる電車のホームアナウンスの「しゅっぱーつ」と似ているかもしれませんね。
読経と同時に手に取った経本をパンと鳴らし、折りたたまれた経本が上から下へ弧を描き、流れ落ちる滝のように広げられます。それぞれの住職がそれぞれのリズムで100巻の経本の転読が繰り返されます。読経は重なり合って本堂に反響し、その声が波のようによせては返していきます。反響する音と護摩の炎とその香り。真剣にその光景を見つめる子もいれば、手で耳をふさぐ子、お母さんの手を握り寄り添う子、子どもたちは初めて見る護摩焚きに圧倒されています。一人ずつ子どもたちが健康を祈願し護摩木をくべる場面では、少し緊張した横顔が緋色に照らされます。
【写真】転読
終盤に差し掛かると、一度護摩の炎で炙り清めた経本で、健康や学業成就を祈って、住職が子どもと保護者の肩を叩いて歩きます。転読が続く中、両肩を叩く柔らかい音が響いてきます。
転読が終わると、重なり合う読経が始まり、太鼓が鳴り響き、錫杖の金の音がリズムを刻み、法螺貝の音が重なって、荘厳な雰囲気に包まれます。読経が終わると短い法螺貝の音と終わりを告げる磬子が叩かれ、真言が唱えられ、静かに護摩焚き法要が終わりました。
【写真】太鼓と錫杖
護摩焚きの炎と香り、転読の音の風景は江戸時代から現代まで変わらず続けられてきました。また今年も春がやってきます。
長谷寺過去の記事
■ふるさとメール
◎水を求めた扇状地の人々 ~雨乞いのパワースポット長谷寺~
◎新指定文化財のよこがお(2)木造十一面観音及び毘沙門天、不動明王立像 ~日の目をみた日不見観音(ひみずかんのん)~
◎文化財を守る地域の力
~太平洋戦争と長谷寺本堂解体修理の物語その1~
◎文化財を守る地域の力
~太平洋戦争と長谷寺本堂解体修理の物語その2~
■ふるさと〇〇博物館ブログ
八田山長谷寺の護摩と雨乞い
【南アルプス市教育委員会文化財課】