藍甕に満たされた濃く深い藍色の染液。藍染めを始める前の一瞬の緊張と静寂。うっすら張った膜の中に綿の糸を滑り込ませます。
南アルプス市内は、江戸時代末から明治時代まで藍葉を生産し、山梨県内で一番の生産量を誇りました。さらに市内には甲府盆地中から藍葉を仕入れ、蔵の中で3ヶ月間発酵させ、「すくも」と呼ばれる藍染の原料を作っていた藍屋も存在していました。今回はふるさと文化伝承館(以下伝承館)で取り組んできた伝統的な藍染めの復活の記録とその方法をご紹介します。
なお、南アルプス市と藍の歴史は以前のふるさとメールをご覧ください。
南アルプスブルーの足跡 その1
南アルプスブルーの足跡 その2
南アルプスブルーの足跡 その3
南アルプスブルーの足跡 その4
南アルプスブルーの足跡 その5
南アルプスブルーの足跡 その6
明治13年(1880)ドイツで化学的にインディゴ(青色)を合成する方法が発明され後に大量生産が可能になると、日本そして山梨県の藍栽培とすくも生産は急速に衰え、市内では明治時代終わりから大正初めにその姿を消しました。
2014~2015年 藍、再び
伝承館で企画した「色の魅力 ~市内を彩った色の歴史~」展の調査の過程で、明治時代、落合地区では藍葉栽培が盛んで、隣の川上地区の浅野家ではすくも作りが行われていた資料と出会いました。明治時代まで藍屋を営んでいた浅野家には藍葉購入とすくも販売の記録が残され、藍産業の一端を知ることができたのです。その他市内の紺屋だった家に伝わる藍染に関する新たな資料も発見されました。
【写真】浅野家に伝わる藍関係の古文書
しかし、市内では藍そのものは栽培されておらず、その歴史すら忘れられている状況でした。市内の藍の歴史・文化を知るためには藍そのものを知る必要があると考えていたところ、北杜市でスタッフが偶然苗を見つけ購入。その十数株の苗から、今日まで続く伝承館での藍栽培が始まりました。2015年5月27日に植えた藍は順調に育ち、11月には藍の種を採取し、次年度への栽培につなげることができました。
【写真】2015年5月27日 南アルプスブルーの始まり
【写真】始まりの藍
【写真】生い茂った藍 8月26日
【写真】藍の花と種
2016年 すくも作りへ
藍栽培2年目は明治時代末まで藍屋を営んでいた川上地区の果樹農家浅野さんの協力を得て、川上の畑にも伝承館で採取した藍の種を蒔き、小規模ながら栽培が始められました。かつて県内一の藍葉産地であった落合、川上地区で再び藍が育てられることになったのです。この畑で市内教諭の研修も行われました。
【写真】浅野さんの畑での藍種まき
【写真】先生方の研修風景
この年の秋には、伝承館と浅野さんの畑で収穫した藍葉を乾燥させ、2016年10月24日、すくも作りに挑戦しました。合計5kgの藍葉に1.3倍の水を加え、朝夕毎日かき混ぜながら発酵を促し、3週間後すくもが完成しました。川上の浅野長エ門が藍屋を辞めてから約100年ぶりの市内産すくもです。
【写真】藍を葉と茎に分ける。手間がかかる作業
【写真】天日で藍葉を乾燥させる
【写真】すくも作り 初日 10月24日
【写真】3日目 10月26日
【写真】6日目 10月29日
【写真】すくもを丸くした藍玉
2017 すくもから藍建て染めへ
年が明けて2017年1月21日、昨年作ったすくもを使って、いよいよ藍建てに挑みました。仕込みの時には、浅野さん、市内で伝統的な手染めを続けている井上染物店さん、藍染を勉強した方やスタッフが協力して仕込みを行いました。誰もが藍建ては初めての経験でした。
一番寒い時期に仕込んだためか、ほとんど青色に染まらない日々が続き、4月を迎えました。桜の季節が終わり、徐々に気温が暖かくなってきた4月中頃、気温が高くなるにつれて藍甕に薄い膜が張り、液にとろみが見られました。綿布を入れ、それを流水で洗うと青色に変わりました。まぎれもなく市内産の「青」です。5月13日に仕込みにかかわった人たちに来ていただき、初めての藍建て染めを行いました。井上さんには防染の糊を使って、文化財課の土偶キャラクターであるラヴィを型どった暖簾を染めていただきました。この年8月末に行った2回目の藍建てでは、約2週間で染められるようになりました。
【写真】5月13日初めての藍建て染め
【写真】藍で染めた伝承館の暖簾
同年かつて藍葉生産が盛んだった落合地区の落合小ではふるさと教育の教材として、芦安地区地域おこし協力隊では地域の特産品として藍の栽培が始まりました。9月9日伝承館では育てた藍の葉を使った生葉染体験に参加した市民の方々、藍屋の子孫の浅野さんと共にすくも作りを行いました。
【写真】生葉染体験講座。中央が浅野さん
【写真】乾燥した葉に水を加え、すくも作り開始
【写真】仕込んだばかりの藍葉
2018
伝承館改修のため、川上の浅野さん、曲輪田新田の東條さんの畑で藍葉が育てられ、すくも作りだけを実施しました。
2019
荊沢地区の地域活性化にとりくむ駿信往還荊澤宿の会でも、地元で行われていた藍栽培や江戸時代荊沢宿で盛んに往来した阿波の藍玉の歴史を学ぶことをきっかけに、藍を育てることが始まりました。7月には荊澤宿祭り(台風のため祭り自体は中止)で生葉染め体験会を自主的に開き、さらに今後まちづくりでの藍の活用とその可能性を会で話しあっています。
藍建ての方法
では今年行った藍建ての方法をご紹介しておきます。すくもを使った藍建てについては、調べれば調べるほど時代や地域、紺屋、芸術家によって多様な建て方があります。それはそれぞれの歴史や伝統、風土、創意工夫の結果であり、これという正解はないのかもしれません。伝承館では、いくつかの方法を基に、できるだけシンプルに藍建てを行いました。藍建て染めで重要なことの一つがアルカリ性を保つことだと言われ、適正pHは10.5から11.5と言われています。その維持のため石灰が用いられてきたのですが、石灰の使用については不溶性のためすくもからの染めを阻害するとの意見もあります。そのため、仕込みの時は石灰の使用を最小限に抑えることを目指しました。また還元菌の養分となるふすまや日本酒、ぶどう糖は、ふすまだけを加えていく予定です。
準備
(1)灰汁:地域の方から薪ストーブで生じた灰を分けていただきました。灰1kgに対し熱湯約10リットルを加え、上澄みの灰汁を用意しました。ただしあくまで目安で、バケツ1杯分を基本としました。1回目の灰汁を一番、2回目を二番といい、次第にpHが下がっていきます。
一番灰汁:pH13.2
二番灰汁:pH12.8
三番灰汁:pH11.8
(2)すくも:2017年10~11月に伝承館で作成したものです。伝承館、川上の浅野さん、曲輪田新田の東條さん、落合小学校6年生が育てた藍葉で作成しました。最初の仕込みは2017年9月9日伝承館で開催した(9月)生葉染講座の時に、市民のみなさんとともに行ったものです。
【写真】伝承館で2回に分けて作った2017年産のすくも
(3)甕
甕はすくもを明治時代まで作っていた川上の浅野家に伝わるもので、伝承館で過去2回藍建てをしたものです。熱湯をかけて軽く拭いたものを使用しました。
【写真】浅野家に伝わる甕
仕込み
8月31日(土)
まずハンマーですくもを小さく砕きました。砕いたすくも約10kg.に熱湯を加え、ほぐします。それを甕に入れ、そこにpH12に調整し煮沸させた灰汁を30ℓ加えます。混ぜるとpHが11に下がったため、pH13.2の一番灰汁を混ぜ、pH12に調整しました。灰汁は合計約36ℓ入れています。
夕方試し染をしましたが、ほとんど色は変わりませんでした。
9月2日(月)
うっすらと膜が張り、藍特有の匂いがする。試し染を行うと、すでに青く染まりつつある。pH測定器が壊れたため、ここから測定不能。
9月11日(水)
pH測定器が届き測定するとpH8.5まで下がっている。pH12.6 の灰汁を6リットル追加。合計42リットル。
9月13日(金)
pH9.5のためpH12.6の灰汁を1.8リットル、石灰を20g追加。合計43.8リットル。
9月15日(日)
pH9.6のため、石灰を30g追加。
9月16日(月)
pH9.8。伝承館秋祭りでコースターの藍建て染体験を実施。25人が本藍染め。5分間浸した後空気に触れさせて酸化させることを3回繰り返す。紺色に染まる。
【写真】2019年7月 落合小学校6年生が育てている藍と綿畑
藍の広がり
明治時代まで日本で盛んに行われた藍染。一度廃れたすくも作りの技術は、徳島県などを中心に守り継がれました。すくもを使った伝統的な藍色は、現代では日本を象徴する色「ジャパンブルー」として、全国各地で再び光が当てられています。東京オリンピックのエンブレムも伝統的な藍色の市松文様をデザインしたものに決まりました。
市内ではふるさと教育の教材として地元の小学校で藍が育てられ、まちづくりの素材としても藍が育てられ始めました。藍から生まれる色は甕覗き、水浅葱、花色、茄子紺など48色あるほど多様であると言われています。伝承館で育てたわずかな藍の苗から、それぞれの場所でとりどりの藍の色が深まっていく。それは南アルプスブルーとも呼べる藍のもつ魅力なのでしょう。
【写真】落合小3年生 浅野さんの藍畑で地域たんけん(藍染は顆粒の藍を用いた簡易的な方法)
【南アルプス市教育委員会文化財課】