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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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 南アルプス市ふるさとメールは、2023年3月末をもって配信を終了しました。今後は、南アルプス市ホームページやLINEなどで、最新情報や観光情報などを随時発信していきます。

【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプス市を訪れた人々(2)
伊能忠敬 その2

 日本最初の測量図であり、甲斐国も描かれた「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」。この地図を作成した伊能忠敬は、南アルプス市内も測量し、その結果を伊能図に描きました。前回は文化8年(1811)4月23日韮崎宿か西郡道を南下し荊沢宿まで測量した先手隊のルートをたどりました。今回は韮崎宿から甲府城を経由し、「河内路」のルートで身延を目指した忠敬本隊の測量ルートを、忠敬の日記から辿ってみましょう。

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【図】伊能図 ルート模式図
 
「同二十四日 朝より晴。我等、下河辺、青木、箱田、平助、六ツ後甲府柳町出立。山梨郡府中西青沼村界より初、野田松三郎御代官所巨摩郡高畑村、同上、下同前、下石田村、清水新居村、上条新居村、西条村、自此中村八太夫御代官所、河東中島村、河西村、布施村、山神村、臼井阿原村、西花輪村、浅原村、釜無川迄測る。先後手合測、二里十三町四十三間二尺。坂部、永井、梁田、上田、長蔵、巨摩郡中村御代官所荊沢駅より初、長沢村字新田、青柳村追分制札迄測る。法印を残す。二十四町四十六間五尺五寸、鰍沢村、(駅。)字新田、戸川原水無九十間鰍沢駅本陣前迄測る。十五町三十三間、又法印より初、甲府街道逆測、大椚村、東南胡村、両手中食庄屋吉兵衛、西南湖村、浅原村地先、藤田村地先、浅原村、居村、釜無川にて別手と合測。一里十七町三十間。合二里二十一町四十九間五尺五寸。鰍沢駅九ツ後着、止宿本陣名主問屋兼帯弥一右衛門、坂部宿問屋喜平治。下河辺、青木、永井宿百姓代清左衛門。此夜晴天測る。」(佐久間達夫1988『伊能忠敬測量日記』より)
 
 4月23日、韮崎宿で先手隊と別れ甲府を目指した伊能忠敬本隊は、甲府の役所に寄り、4月24日「河内路」ルートで身延を目指しました。「河内路」とは甲斐国と駿河国を結ぶ古道で、現在の南巨摩郡、かつての東西河内領を通るためこの名称で呼ばれました。また甲府から身延山久遠寺への参詣道として利用されたため「身延路」とも称されました。日記によれば、甲府から荒川を渡って高畑村に入り、西条村や河東中島村、臼井阿原を通って釜無川左岸の浅原村に至り、釜無川まで測って先手隊と合流したと記録されています。釜無川の横断には「浅原の渡し」と呼ばれる渡舟が利用されたのでしょう。

 一方、西郡道を南下した先手隊は、同24日荊沢宿を出立し、長沢村を通過して鰍沢駅まで南下した後、北東へ転じて甲府方面へ向かい、南アルプス市内の東南湖村、西南湖村を北上して街道沿いを測量し、浅原村の釜無川で本隊と合流しました。このルートで注目されるのは、東南湖村の北の入り口にかつて存在した「曲尺手(かねんて)」です。『河内路・西郡道』(山梨県教育委員会 1986)に掲載された文化3年の東南湖村絵図には、カギの手状の「曲尺手」が描かれていますが、伊能図でも同地点で「曲尺手」が表現されているのです。「曲尺手」は現在残っておらず、近世の東南湖村の構造を知る上で貴重な資料となっています。

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【図】伊能図 東南湖 かねんて
 
 これまで見てきたように、伊能図は文化年間当時の道や集落、寺社、山などさまざまな情報を現代に伝えてくれます。同時に地図を俯瞰してみると、街道沿いではない地域、つまり測量していない地域は描かれていないことがわかります。伊能図は、あくまで現地測量に基づいた「測量図」なのです。南アルプス市域が伊能忠敬隊によって測量されたのは、「西郡道」や「河内路」など主要な古い街道が通っていたからですが、山と海を結ぶルート上に立地しているその地勢が、その背景にあると考えられます。

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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