明治25年5月6日 南湖村控訴。
南湖村は控訴審に際し、従来の主張に加え、仮に鏡中条村の主張が事実としても、水防費は「石高」割をもって村が分担したものであるのだから、高をもたない、即ち土地所有のないものも含めて全ての旧村民を被告として連帯責任とするのは不法であると訴えました。
南湖村の弁護人は従来のとおり、角田真平と有泉義行。
鏡中条村の弁護人は、今回は瀧澤信次郎を相談役として、その仲介で、大審院判事を務め後に中央大学学長ともなる岡村輝彦とその同僚、河合一郎の二人が務めることになりました。
なおこの間に、中巨摩郡長はじめ、近隣の村長らから度々両村に対して調停案がだされていたようですが、鏡中条村はこれをことごとく拒否しており、訴訟による決着を目指す姿勢を貫いています。
控訴審は、11月9日に結審。判決は11月16日でした。
結果は再び鏡中条村の全面的勝訴。
判決の要点は、契約の有効性と費用支出の事実は、鏡中条村の提出した証拠書類よって認められる。また、南湖村は、土地所有の有無に関わらず、全ての旧村民を訴えることは不当というが、将監堤決壊の際の被害は、田畑のみではなく、住居や人命にも及ぶことは証拠をみれば明らかであり、訴訟村民らは「村民タルノ資格ヲ以テ此ノ慣行ヲ尊守シ」土地を所有せざると否とに関わらず連帯義務の責任がある。鏡中条村は、従来の慣行に基づき石高をひとつの基準として分担額を請求したに過ぎず、南湖村は、結局は各部落中の人民より集めて支払うのだから、石高割の適否を理由として、本訴の請求を拒むことはできないというものでした。
これに不服の南湖村は明治25年12月24日、上告。ついに争いの舞台は大審院(現在の最高裁判所)に移ります。
大審院における南湖村の弁護士は控訴審と同様。
鏡中条村側は岡村と、河合に代わって三宅碩夫の二人が務めることとなりました。
半年の審議の後、明治26年6月24日結審。判決は同29日。
関係者が固唾(かたず)をのむ中、下された大審院の判断は上告棄却というものでした。控訴院を支持し鏡中条村の主張が認められたのです。ここに鏡中条村の勝訴が確定し、明治24年4月から2年以上に及んだ裁判はようやく一応の収束をみたのでした。
この判決によって確定した賠償額は、総額 1,284円35銭7厘。
内訳は、以下のとおりです。
旧西南湖村分
水防費分担金 210円83銭
訴訟費用等 649円82銭
旧和泉村分
水防費分担金 85円6銭7厘
訴訟費用等 338円64銭
元々の請求額は利息等を加えても351円37銭8厘でしたが、訴訟費用などが膨らみ、最終的には実に4倍近い額となっていました。
・・・この賠償金の支払いにより、村と村とを巻き込んだこの事件は収束するはずでした。しかし、もうひと波乱。事件はまだ終わりません。(つづく)
【写真】大審院(司法省「司法省及裁判所庁舎写真帖」より)
【南アルプス市教育委員会文化財課】