【2万年前の落とし物】
今回は歴史をずっと遡って、南アルプス市で最初に暮らした人々について紹介します。実はこの連載の始まった当初の②と③で「2万年前の落とし物」「市之瀬台地を駆けた狩人」と題して、縄文土器が使われるずっと前、旧石器時代と呼ばれる時代にすでに南アルプス市では人々が活動していたことをお伝えしました。今回はその物語の続きとして、初めてムラ(集落)をつくって定住した人たちについて紹介します。
前回、「根方」地域は昔からの風習や伝統が色濃く残る地域だということをお伝えしましたが、実は昔も昔、なんと南アルプス市で最古の人々の活動の痕跡や、定住者たちが最初に構えたムラがあるのも根方の地域なのです。つまり、南アルプス市民の歴史は根方に始まるのです
以前に紹介した通り、南アルプス市で最も古い落とし物はおよそ2万5千年前の人が使用していた石器です。ナイフ形石器と呼ばれる石器や槍(やり)先につける尖頭器などで、実は昨年も、さらに1点新たに発見されたのですが、これもまた根方の遺跡でした。
なぜ「落とし物」なのか-。まだ土器をつくる技術がなかった旧石器時代は、全国的にも定住生活が始まっていないとされ、狩りを中心とした移動生活でした。そのため長期的な居住施設はなく、居住の痕跡が地面に残りにくいため遺跡の発掘調査でも発見されることは非常に稀(まれ)です。
南アルプス市でも旧石器時代の居住施設は発見されていません。おそらくこれらの石器も、旧石器人たちが狩りや移動の際に落とした物か、動物に刺さったまま逃げられたために回収できなかったなど、旧石器人の活動に伴って落とされたものだと考えられます。
落とし物が発見された場所は市之瀬台地上の上ノ山遺跡(上野)と六科丘遺跡(あやめが丘)、市之瀬台地の下の鋳物師屋遺跡(下市之瀬)。去年新たに発見されたのは台地の裾野にある曽根遺跡(上宮地)で、いずれも市之瀬台地周辺の根方の地域なのです。
【中畑遺跡の新発見】
時を経て、縄文時代になると調理器具(鍋)である縄文土器が使用されることから分かるように、ある程度の期間を同じ建物に暮らす「定住」と呼べる生活へと変化してゆきます(定住の期間は研究者によって見解が異なります)。
遺跡の調査では、定住の施設とみられる竪穴建物などの住居跡が複数集まって発見されると、ムラ跡(集落跡)とみなすことができます。
南アルプス市では、根方地域において、旧石器時代以降、土器が使われるようになった1万5000年ほど前の縄文時代草創期や、約8000年前の縄文時代早期など連綿と人々が活動していたことが、縄文土器片の発見から分かっています。そして、いよいよ約7000年前、縄文時代の前期前半という時代に、南アルプス市で最初の定住者、そしてムラが現れるのです(これまでの調査により判明している範囲内でのことであり、今後新たな発見があるかもしれません)。
市之瀬台地の上、平岡区の西地区多目的広場の建設に伴って行われた中畑遺跡(と一部隣接する長田口遺跡にまたがる)の発掘調査で、約7000年前の竪穴建物14軒が発見されています。
平成14年、西地区多目的広場を建設する際に発掘調査が実施され、約6000平方メートルを調査し、縄文時代前期をはじめ約5000年前の縄文時代中期や約3000年前の縄文時代後期、弥生時代、古墳時代など、さまざまな時代にまたがって約70軒の住居跡が発見されるなど、連綿と人々の暮らしが営まれていたことが分かったのです。
この発掘調査が行われるまでこの遺跡に7000年前のムラがあるとは想定しておらず、南アルプス市にとって新たな発見でした。調査区の外にもムラの範囲は広がるとみられ、調査では食料とみられる植物の発見や、長野県の文化を取り入れていたことなど、さまざまなことが解明されました。
これら中畑遺跡が教えてくれた、南アルプス市最初の定住者たちの暮らし振りについては次回紹介しましょう。根方の地域から私たちの遠い祖先の物語が始まるのです。
[南アルプス市教育委員会文化財課]