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南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

 南アルプス市ふるさとメールは、2023年3月末をもって配信を終了しました。今後は、南アルプス市ホームページやLINEなどで、最新情報や観光情報などを随時発信していきます。

2010年4月

【季節の便り】

旅行、ドライブのついでに直売所へ寄ろう!

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 春の連休真っただ中、ふるさと南アルプス市に帰省中の方も多いと思います。豊かな自然に恵まれた市内では、サクラ、モモ、スモモの花も散り、今は新緑の季節を迎えています。街路樹もケヤキの新緑やハナミズキノの白やピンクの花が見ごろで、ドライブで疲れた目を癒してくれるようです。

 ところで、今年は春先の天候不順で野菜や果物などの価格高騰がニュースでも連日取り上げられています。特に家計をあずかる主婦のみなさんには、一番関心のある問題かも知れませんね。

Malps100501_3 そこで、耳寄り情報をひとつ。市内には、大きな「道の駅」はありませんが、地元の人たちだけに人気の「まちの駅」や小さな農産物直売所がいくつかあります。新鮮な野菜はもちろん、昔なつかしいおまんじゅうや地元食材をふんだんに使ったお惣菜が人気を集めています。また、家庭菜園用の野菜の苗などを扱っている直売所もあります。スーパーや大きな「道の駅」よりお手ごろの値段設定になっているので、口コミ客で大変なにぎわいを見せています。

 公営、私営、いろいろなお店がありますので、南アルプス市にお寄りの際は、そんな直売所を訪ねてみるのも楽しいと思います。

 

【南アルプス市 秘書課】

【季節の便り】

桃の花が咲く中をランナーが駆け抜ける

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 今年で第8回目となった桃源郷マラソン大会は、北は北海道から南は沖縄県まで全国各地から約7,000人のランナーが集まり、ピンクの桃の花を楽しみながら健脚を競いました。
 今年のゲストランナーには、日本女子トップランナーとして活躍している加納由理選手を迎え、マラソン参加者たちと一緒に10キロに挑戦しました。

 

【南アルプス市 秘書課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

西野にあった江戸時代の手習所 ~松声堂~

 松声堂とは、江戸時代に西野(現 南アルプス市)に創設された手習所です。
 天保6(1835)年に西野村の長百姓幸蔵・佐次兵衛と、花輪村(現 中央市)の長百姓清右衛門(内藤家)が中心となり、市川代官所に手習所設立の申請を出して、翌天保7年(1836)に認可されました。
 幸蔵たちが手習所の設立を思い立った理由については、市川代官所に提出された手習所創設願書に書かれています。

「当村は石砂入りの土地のため、皆畑場で田地はまったくない。畑作として粟、きび、ひえ、煙草、木綿などを作っているが、わずかな旱魃(かんばつ)でも飲み水にもさしつかえるほどの場所であるので、作間には渋柿をさらして野売りし、稲籾(もみ)などと取りかえて年貢手当てにする辺鄙(へんぴ)な村里である。去る天保4年凶作の際には難渋の小前百姓に施し物を与えなければならなかったほどの土地柄であるため、村内の子供や若い者たちに学問はもちろん日用の算筆を指南するものもなく、したがって、自らよろしからざる道に陥り、悪弊に染まり百姓相続しがたい者も生じ、嘆かわしい次第である。そこで西花輪村長百姓清右衛門と相談のうえ、西野村のうち芝間空地の場所に手習所を設け、教授に相当の人物を選んで、村内外遠近の若輩の者たちに手習・素読を教諭することにした。そうすれば作間にも学びやすく、人倫の道を習い公儀の法度(はっと)を遵守して放蕩(とう)無類の風に陥ることもなく、村役人や親の意見を用い百姓相続に励むようになって、年貢収納の差し支えもなくなり、村方取締りの基となる。 ―後略― 」

 これを見ると、幸蔵をはじめとする村の人々は、子弟に対する教育がとても重要であることを認識しており、熱意をもって手習所の創設にあたったということが分かります。
 こうして1年後の天保7(1836)年に市川代官所より許可がでて、西野手習所が開設されました。手習所の開設にあたっては、これが長く続くようにと、幸蔵をはじめとする、各村々12名から基金が寄せられ、総額140両のほか米4俵が集まり、これを希望者に貸し付け、その利子によって手習所を運営しました。そして手習所を永続させるため、西野村が維持管理を行い、後世に伝えるため、村が13か条にわたって誓約した連印帳を作成しています。

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【写真・左】宝珠院
【写真・右】松声堂校地・校舎略図(白根町誌より)


 校舎は、初めは宝珠院を仮校舎としていましたが、協力者の寄付によって、敷地1002坪に72坪の校舎が建てられ、天保10(1839)年に新校舎に移り、西野手習所又は松声堂と称します。学則なども整備され、近隣の村々のほか、遠くは釜無川以東から学びに来る者もいました。

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【写真・左】松声堂校舎
【写真・右】昭和30年代終わりころの御殿飾り松声堂の学習風景


 教師には、江戸下谷三味線堀生まれの、松井渙斎を迎え、漢学を中心に、習字、平仮名、数字などを教えました。創設から数年がたつと、経営が苦しくなりましたが、渙斎は自らの経費を節約して、勉学を教え続けたといいます。渙斎は13年間松声堂で指導しましたが、嘉永元年(1848)に高齢のため引退し、江戸へ戻り、安政元年(1854)に病没しました。

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【写真】渙斎留別の碑

 そして2代目の教師には、市川代官・小林藤之助の食客として市川陣屋に滞在していた宮浦東谷が就任します。
 東谷は、塾生と起居飲食を共にする塾中制度を始め、一般門人の来ない朝、夕、夜に指導をしたり、村人のために年に数回の講演会を開いたりと、村人の教導にも努めました。また生徒の学業の完成を祈って校庭に天神社を祭りました。東谷は24年間教壇に立ちましたが、明治4年に病没しました。

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【写真・左】天神社
【写真・右】宮浦東谷の墓所


 松声堂は、明治4年に山梨県より許可がでて郷学校となりました。その後明治6年に西野小学校へと改変し、昭和44年には在家塚小学校と統合して白根東小学校となり現在に至っています。
 農民が中心となって設立された手習所は県内では例がなく、県下における最初の庶民教育の場として、多くの人々の熱意により支えられてきました。

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【写真】松声堂跡

 現在、松声堂の跡地には、松井渙斎の碑、松声堂跡の碑などが建立されています。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

市内で“さくらんぼ”を初出荷

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 市内の至るところに満開の桜や桃、スモモの花などが見られ、春爛漫といった周りの景色とは反対に、また冬に逆戻り?と思えるような寒い日が続き、寒暖の差に戸惑いを感じている方も多いのではないでしょうか。
 そんな中、毎年市内では一番早くハウスのサクランボを出荷している果樹農家が、今年も出荷を始めました。
 4月11日には全国から大勢のランナーが本市を訪れ「桃源郷マラソン大会」が開催されますが、ここ数年、花の咲く時期が少しずつ早くなっているように感じています。
 以前は、桜といえば入学式の定番と思っていましたが、今は卒業式ごろに咲き始め、3月の終わりには桃の花が咲いてきます。
全国から本市を訪れる人たちに満開の桃の花の中を走っていただくためにも、花が散らないように祈るばかりです。

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【南アルプス市 秘書課】