芦安地区は全体の97%を山に囲まれた地域です。耕作地は少なく、昔から木材の伐採や、炭焼き、焼畑等で生計を立てていました。今回のふるさとメールは芦安地区と深いかかわりのある木材の運搬について紹介します。
伐採の仕事は、八十八夜を過ぎた5月初旬に入山し3ヶ月から4ヶ月かけて行なわれたといわれています。遠い所では長野県境の仙丈ケ岳(せんじょうがたけ)にある小仙丈沢(こせんじょうざわ)、大仙丈沢(だいせんじょうざわ)まで入り、小さな宿泊小屋を作り、生活物資を運び入れ生活しながら伐採していました。
車など無かった時代、どのように切り倒した木材を運搬していたのでしょうか。
木を運び出すのには修羅(しゅら)出しという方法があります。丸太を数本並べ、中央をへこませることによりそり状にします。山の地形に沿って段差をつけながら丸太の階段を下へ延長し、これに木材を載せて滑り落とす仕掛けを修羅と呼びます。
地形の起伏などを見極め、人の手を加えずうまく滑走するように調整するのが、修羅作りのコツということです。
修羅出しは、日照りが続くと滑りが悪くなるため、水を打って滑りをよくしました。雨の日は修羅出しの能率が上がり、山仕事の人たちは喜んだそうです。
集積地の出材が終わると、修羅台は高いところからはずして、修羅の上を順に送り出しました。
他には鉄砲出しというものがあります。山奥では水量が少ないので、水流をせき止めるための堰堤(えんてい)を、木を枠組みにして作り、その隙間には柴草やコケを敷き詰めて漏水を防ぐと、水位が上がり貯水池ができます。そして水出口を開けると、豊富に貯まっていた水量が一気に流れ出して、木材を下流に押し流しました。
【写真・左】=南アルプス林道観音経トンネル(左)とトロッコ軌道跡(右)
【写真・右】=現在も残るトロッコ軌道
このように修羅出し、鉄砲出し等自然のものを上手に利用して行なわれた運搬ですが、昭和14年から昭和17年にかけて、トロッコ軌道が野呂川沿いに作られ、トロッコで木材の運搬が行なわれるようになります。戦後は野呂側林道の完成にともないこのトロッコ軌道も失われてしまいますが、現在も南アルプス林道沿いにその名残を見ることができます。
【南アルプス市教育委員会文化財課】