今までのふるさとメールは、第1回「2万年前の落とし物」から第38回「御勅使扇状地の生命線 石積出(いしつみだし)」まで、時代を追って南アルプスの歴史や文化財を紹介してきました。
今回からは時代と関係なく、市内の歴史や文化財をさまざまな角度から紹介していきます。
市内には、百々という地名があります。これは「どうどう」と読むのですが、初めての人は読み方に困ってしまいます。今回のふるさとメールは、初めての人はなかなか読めない地名、百々の由来を紹介します。
江戸時代にまとめられた山梨の地誌『甲斐国志』によると「本村ノ北御勅使川ニ望ム百々(ドンドン)ハ水ノ鳴ル音 北山筋(甲斐市敷島)ニ百々河・江戸ニ百々橋ノ類也」とあり、百々は水が盛んに流れるさまを表しています。
他にも『中巨摩郡地名誌』などによると「とうとうと水が流れるさまを表現したもので、とうかけるとう(10×10)は百になるので百の当て字を用い、水音をどうどうと繰り返す意味」とあります。
現在は市内北端、百々地区とは離れた場所を流れ、暴れ川として有名な御勅使川(これも「みだいがわ」とはなかなか読めませんね)は、過去に何度も流れを変えてきました。百々地区の北端には現在、県道甲斐芦安線が東西に延びていますが、少なくとも戦国時代から明治31年まで前御勅使川が流れていました。ちなみに、平安時代には百々地区の南側(御勅使川南流路)を流れていたとみられ、この時代大きな集落がありました。洪水によって大きな被害を受けたことが、発掘調査により分かってきています。おそらく百々はこの御勅使川が流れる音から生まれた地名といえるではないでしょうか。
地元にはこんな昔話が伝わります。昔、代官所に各村の名主が年賀の挨拶に集まったとき、名主は呼び出された順に代官へ挨拶をしました。呼びだしの役人が「百々村」をなんと読むのか分からず困ってしまい、この村を飛ばして「以上で各村を呼び終えたが、呼び出されていない村はないか」と聞いたところ「はい、百々(どうどう)村はまだです」と答えました。これにより役人は読みがわかり、百々村と呼び上げることができ、恥をかかずにすんだということです。難しい地名にまつわる、機知に富んだ物語として伝えられています。
【写真】=昭和12年の前御勅使川跡の様子(現在の県道甲斐芦安線)
百々という地名は中央市、甲斐市にも小字(こあざ)として残っており、甲斐市には百々川が流れています。京都市上京区には百々町(どどちょう)があり、山梨県以外にも百々の字を使った地域があります。皆さんの住んでいる場所にも、変わった読みの地名はありますか。調べてみると面白い発見があるかもしれませんね。
【南アルプス市教育委員会文化財課】