鎌倉時代、御勅使川扇状地上に八田御牧や八田庄が広がっていたのはすでにお伝えしましたが、低地の開発も進んでいました。そのことを示すのが大師東丹保遺跡です。
【写真・左】=大師東丹保遺跡Ⅱ区全景
【写真・右】=建物跡と柱痕
大師東丹保遺跡は滝沢川と坪川の複合扇状地上に位置しています。中世には、現在の増穂町から南アルプス市甲西地区周辺に広がっていた大井庄に属していたと考えられます。甲西バイパス建設に伴い発掘調査が行われ、東西約30×南北450mの範囲から13世紀前半~14世紀前半ごろの集落跡が発見されました。
この集落は、その移り変わりをはっきりとたどることのできる希な発掘調査例となりました。というのも、水路の杭列や建物の柱痕が南向きに傾いて出土し、あたり一面には川底に見られるような砂礫が広がって、それをどけてさらに掘り下げると、その下から建物の跡や幾本もの水路で区画された水田が現れたのです。これらは、集落が洪水によって埋没し、その後破棄されたことを示しています。それぞれの時期は、集落の始まりが鎌倉時代の13世紀前半、洪水被害に遭ったのが14世紀中ごろであることが、土器などの遺物の年代から明らかとなりました。当時の村人にとっては大災害ですが、発掘調査をした側からすると、洪水によって鎌倉時代の集落がそのままパックされて保存され、中世集落の原風景をとらえることができたのでした。
◆大量に発見された木製品
大師東丹保遺跡で特に注目されるのは、大量に出土した木製品です。通常の遺跡では有機物は腐食し分解されるため、現代まで残るものはほとんどありません。したがって、発掘調査では土器や石器など腐食しない生活用具の出土遺物が大勢をしめます。ところが、大師東丹保遺跡は低湿地のため、多くの木製品が水に浸かった状態で保存され残されていたのです。
発見された木製品の中でも数が多かったのが、木製の下駄です。歯の高いものと低いもの大きく分けて2種類あります。雨の日あるいは出かける場所など、用途や目的によって履き分けていたのかもしれません。また、草履も出土しています。それから、髪をすくための櫛、骨組みだけですが、扇子も出土しました。うだるような今の季節、この扇子を扇いで暑さをしのいでいたのかもしれませんね。
【写真・左】=ウリ類が描かれた漆塗り椀
【写真・右】=出土した青磁・白磁
木製品以外の生活用具としては、やはり食器がたくさん見つかりました。外面が煤で覆われた土鍋には両側に紐を吊すための紐かけ孔があり、囲炉裏に吊るされ煮炊きに使われた様子が伺えます。できた料理は、土器だけでなく木製の皿や漆塗りの椀などにも盛り付けられました。椀の中には内側にウリ類を描いたものも見られます。今の季節、まさに旬のおいしいもの、やはり昔の人も食いしん坊だったのでしょうね。また、食器には青磁や白磁という中国産の磁器も使われていました。これらは希少品なので、きっと当時のお金持ちや武士の家などで使われていたのでしょう。
以上のように、大師東丹保遺跡は遺構・遺物両面から当時の人々が暮らした豊かな情報に触れることができる類まれな遺跡なのです。
次回のふるさとメールでは大師東丹保遺跡から出土した祭祀具を中心にご紹介します。
(写真出典)
山梨県教育委員会 1997「大師東丹保遺跡Ⅰ区」
山梨県教育委員会 1997「大師東丹保遺跡Ⅱ・Ⅲ区」
【南アルプス市教育委員会文化財課】