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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

桝形堤防史跡整備への歩み
その3~水の世紀を生きる道標~

 西山の山々が緑から黄、赤、茶、橙さまざまな色に染まり紅葉が深まる中、史跡桝形堤防の整備工事が一歩一歩進められています。現在北堤北側の造成がほぼ終わり、西側フェンスの設置やドウダンツツジ植栽のための客土工が行われています。
 今月号では史跡を整備する上で必要不可欠な「保存管理計画」と「整備基本計画」の策定、そして実際の整備工事の設計となる「実施設計」作成のため実施した第3次試掘調査をご紹介します。

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【写真】2022年11月14日 桝形堤防北堤北側の整備工事


1.史跡保存管理計画の策定

 平成26年10月6日、桝形堤防が御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)に追加指定された前年、平成25年度には、史跡を恒久的に保存し、適切に管理、活用するための『史跡保存管理計画』(現在の名称は保存活用計画)を策定しました。この計画策定によってどのように史跡を次世代に伝え、それを活かしていくのか、その土台が築かれたことになります。なお、史跡に追加指定された桝形堤防の民有地は平成26年度南アルプス市が史跡を守り伝えるため用地を買収し公有地化を行いました。

【御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)保存管理計画書(PDFダウンロード)】


2.史跡整備基本計画の策定

 平成26年度から史跡を整備し、適切に保存し後世に継承していくとともに、史跡の本質的な価値を多くの方々に公開し活用してもらうための計画作りに着手しました。計画策定にあたっては「南アルプス市史跡御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)保存整備委員会条例」を制定し、歴史、考古学、治水、景観、まちづくり等の専門家と史跡が立地する有野・六科地区の代表で構成する委員会を設置して計画の議論を重ね、平成29年度史跡整備基本計画を策定しました。その基本方針は次の5点です。

基本方針
1. 調査・研究の推進
 〇学際的な調査・研究を推進することにより、史跡の価値を深め保存と活用を行う土台となります。
2. 保存のための整備の推進
 〇後世への適切な継承が整備の前提となります。
3. 史跡の特性を活かした積極的な公開・活用の推進
 〇発掘調査、整備工事、整備後各段階で積極的な情報公開と市民参加を推進し、さまざまな活用の場となるよう整備します。
4. 歴史を活かしたまちづくりの拠点としての整備
 〇南アルプス市の歴史そのものとも言える治水・利水の歴史や文化を伝える場として、また現代の防災や果樹栽培の歴史を伝える場として整備します。
5. 地域と連携した持続可能な整備と多面的活用の推進
 〇地域住民や学校、関係機関と連携し、ともに創り続ける持続可能な整備を目指します。また、多くの人と連携し、周辺の歴史・文化的資源と合わせて幅広く普及活動を実施していきます。

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【図】史跡の保存と活用連携図

 この計画で、整備期間を短期、中期、長期に区分し、短期を桝形堤防、中期を石積出、長期を将棋頭に設定して整備を進めることに決定しました。なお、詳しい計画については、南アルプス市ホームページをご覧ください。

南アルプス市ホームページ【御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)保存整備基本計画書】


3.第3次試掘調査

 史跡整備基本計画に従って、短期計画の対象である桝形堤防の具体的な整備工事の設計を行うにあたり、まだ未調査の部分について遺構の有無や遺構範囲、その構造を把握することが急務となりました。そのため平成30年度から令和元年度までの4年間、合計20箇所トレンチ(試掘坑)を設定して第3次試掘調査を実施しました。その結果、新たな桝形堤防の姿が浮かび上がってきました。

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【図】試掘調査トレンチ位置図

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【写真】第3次調査風景

調査の成果
(1)先端部
 北堤と南堤が一体となった将棋の駒状の先端部分を調査しました。その結果、川表には北堤、南堤同様に根固めとして敷設された木工沈床が発見されました。注目されるのは将棋の駒状の先端部に合わせるため、木工沈床の堤体と平行する並行方格材を北堤・南堤の約1.8mから約1.4mに幅を狭め、直角方角材を並行方格材に対し直角ではなく、やや北側に傾くように配置した工法です。通常の堤防では施工されない将棋頭状の堤防特有の工法と言えます。
 また、先端部の木工沈床の方格材は北堤と同じ配列で発見され、南堤とは方格材の配置が左右対称となっていました。このことから、木工沈床は北堤から先端部まで一連のものとして作られ、南堤の西側から方角材の配列を変えて施工されたことも今回新たに明らかになりました。

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【写真】先端部川表で発見された木工沈床

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【図】先端部木工沈床平面図

(2)南堤・北堤・北東堤川裏の調査
 桝形堤防の川裏の造成を行う上で、北堤と北東堤の基礎構造を明らかにするため、それぞれの堤防の川裏側の調査を実施しました。調査の結果、自然に堆積した砂礫層を掘り込み、底面に胴木を敷いてその上に石を積む工法はすべての堤防で同じでしたが、北堤と南堤では基礎の深さに大きなレベル差が認められました。南堤の川裏側の高さ(馬踏から最下段の石積まで)は約2.3mなのに対し、北堤は約4.1mもあります。つまり北堤の方が砂礫層を深く掘りこみ、その分深い地点から石を積んでいることになります。江戸時代から桝形堤防の北側を流れていた御勅使川の本流に備えるため、北堤を強固に築堤したと考えられます。北堤には後に北東堤が付け加えられていることも本流への備えと言えるでしょう。北東堤の川裏は高さ約3mで、堤防自体の規模は南堤の方が大きいですが、川裏側の造りだけ見れば南堤より石積みが深く造られています。

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【写真】北堤(右)と南堤(左)川裏

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【写真】北堤(右)と南堤(左)川裏。北堤の方が深く石積が見られる

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【写真】北堤川裏の石積。石積の下には胴木の痕跡が発見された

(3)後田水門・水路
1)3本の水路発見!
 桝形堤防が守る徳島堰から下流の六科将棋頭内へ分水する水門は「後田水門(ごだすいもん)」、水門から将棋頭までの水路は「後田堰(ごだせぎ)」と呼ばれています。六科地区に住む矢崎静夫さんは、昔は後田水門が3箇所あり、それぞれ水路が通じていて、集水桝で合流していたと記憶されていました(ふるさとメール2022年9月号)。現在は1箇所の水門のみ残され使われていますが、この記憶を手がかりに後田堰の調査を実施しました。その結果、矢崎さんの記憶通り、3本の水路が発見されました。発見された後田堰を北から北水路、中央水路、南水路と名付けました。
 現在使われているのは中央水路で、コンクリート管が利用されています。調査の結果、中央水路と南水路はもともとコンクリート製のU型水路でしたが、土砂で埋められており、このU字型の中央水路内にコンクリート管が設置されていました。

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【写真】発見された後田堰 右側が北水路、中央が中央水路、左側が南水路

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【写真】発見された後田堰 右側が北水路で天井石が見られる。中央が中央水路で現在利用されている水路。U字型のコンクリートが壊されコンクリート管が埋められている。左側が南水路で天井石が撤去され内部も瓦礫と砂礫で埋められていた

2)天井石が残されていた北水路
 一方北水路も同じコンクリート製のU型水路で、内寸約60cm、高さ約1.2mを測ります。
中央水路と南水路と異なるのは、水路の上に細長い石が天井石として並べられ蓋がされていた点です。天井石は一石が幅約30~40cm、長さ約1m、厚さ約20~30cmを測る大きなものです。発掘中埋め土とともに同じ天井石がいくつも発見されたことから、中央と南水路にも同様に天井石があったと考えられますが、昭和40年代に施工された釜無川右岸土地改良事業時、徳島堰をコンクリート化する過程で不要となり撤去され、埋め戻しの中に入れられたと考えられます。

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【写真】北水路 徳島堰に接続するコンクリート製の水路も見える

3)北水路の内部調査
 北水路は天井石が残されていて水路内部が埋められていなかったため、第13トレンチの天井石を一石外して内部に入り、その構造を調べました。水路内部には20~30cmの泥が堆積していたため、この泥をかき出すことから始めましたが、水が流れていないにもかかわらず、泥の中からはドジョウが発見、サワガニも歩いています。

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【写真】北水路内部調査の様子

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【写真】北水路内部調査 泥の中にはドジョウが眠っていました

 徳島堰側の水路西端は幅約70cm、高さ約1.1mで、約20~30cmの石とコンクリートで塞がれていていました。その下方に外寸40cm、高さ35cm、内寸25cm、高さ22cmのコンクリート製小型水路が設けられ、かつてこの水路で徳島堰から分水していたと考えられます。

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【写真 北水路西端内部】

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【写真】後田堰内部 右が北水路、中央がコンクリート管(写真中央下部)が敷設された中央水路、左が埋められた南水路。集水桝手前で合流している

4)3箇所の後田水門
 では一体なぜ3箇所の水門と水路が設置されていたのでしょう。明治から昭和の地形図と文献史料を調査した結果、江戸時代から存在した六科村の後田水門と六科村・有野村共同で設置した後田新水門に加え、大正から昭和初期の間に桝形堤防の北側にあった野牛島村の後田水門が桝形堤防内にまとめられ、3つの後田水門になったことが明らかになりました。昭和34年の『徳島堰北樋口寸法表』(徳島堰土地改良区蔵)には「63番野牛島後田水門」、「64番六科後田新水門」、「65番六科後田水門」とあり、これが北水路、中央水路、南水路の水門に当たると考えられます。矢崎さんの記憶を聞いたのが平成15年、それから15年後に初めて考古学的にその水路の存在が確認され、文書によって歴史的な移り変わりが明らかとなったのです。地域の人々の記憶が史料の裏付けとなり史跡整備に結びついた結果でした。

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【写真】『徳島堰北樋口寸法表』抜粋(徳島堰土地改良区蔵)

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【写真】最新!第1〜3次試掘調査結果明らかになった桝形堤防の仕組み


4.ともに創る 発掘調査にも市民参加!

 史跡整備基本計画を策定するにあたり、基本方針では整備前の発掘調査、整備の工事、整備後の活用それぞれの段階で可能な限り市民に参加してもらい、史跡への理解を深め、ともに創り続ける整備を目指しました。その方針に従って、文化財担当者指導の基、御勅使川が運んだ砂礫を掘り下げ、埋もれた石積を発掘する調査に多くの市民や小学生が参加しました。参加した方々からは100年以上埋まっていた石積を発見する喜びや史跡を伝えていきたいとの感想が寄せられました。その時の人々の笑顔。史跡は大人から子供まで笑顔にする力もあるようです(12月号に続く)。

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【写真】令和元年 徳島堰まるごとツアー 参加者による発掘調査。調査の指導では、山梨県考古学協会の方々にもご協力していただいた。

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【写真】令和3年度 八田小学校4年生発掘体験

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【写真】令和3年度 白根源小学校4年生発掘体験

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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