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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

桝形堤防史跡整備の歩み
その2~水の世紀を生きる道標~

1.発掘調査 

 桝形堤防の存在自体が地域で忘れられていた中、南アルプス市教育委員会は桝形堤防を保存し、多くの人に知ってもらうために、堤防の周囲の一部を発掘する試掘・確認調査(以下試掘調査)を2009年度から開始しました。2022年現在まで大きく3回調査を実施しています。
 第1次調査:平成21年度(2009)
 第2次調査:平成23・24年度(2011-2012)
 第3次調査:平成30~令和3年度(2018-2021)

 試掘調査で明らかにすべき目的は次の点です。
 (1)現在残されている堤防が造られた年代と遺構の範囲
 (2)堤防の特長
 (3)桝形堤防と徳島堰御勅使川暗渠および後田水門の歴史的変遷


2.用語解説

 桝形堤防の調査結果を紹介する前に専門用語を解説しておきます。御勅使川の水流が堤防に直接当たる面を「川表(かわおもて)」、直接当たらない面を「川裏(かわうら)」と呼びます。堤防の上部で平らな部分を「馬踏(まふみ)」、基礎部分を基底部、その基底部を水流から保護する構造物を「根固め(ねがため)」と呼んでいます。調査の結果、桝形堤防の根固めには「木工沈床(もっこうちんしょう)」という工法が使われていました。堤防の石積の一番下の石を「根石(ねいし)」、石積がばらばらに沈むのを防ぐため根石の下に敷かれた木材を「胴木(どうぎ)」と呼びます。
 また、発掘調査にあたり将棋の駒の形をした桝形堤防の北側を北堤、南側を南堤、北堤の東側に付け足された堤防を北東堤と名付けました。

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【図】桝形堤防用語解説


3.第1次・第2次試掘調査

 平成21年度(2009年)第1次調査は北堤と北東堤の川表側、平成23・24年度(2011・2012)第2次調査は南堤の川表側を主に調査しました。

1)ハリエンジュ(ニセアカシヤ)の伐採
 調査にあたり、堤防上や周囲に自生していたハリエンジュの伐採を行いました。北米原産のハリエンジュは明治時代初期から砂防や荒廃地緑化の目的で日本に導入されましたが、繁殖力が強く急速に分布範囲を広げ、現在では外来種として駆除・管理が必要とされています。桝形堤防でも石積上にも繁茂し、その根が石積の崩落を進めており、また大量の落ち葉は堤防上に堆積し、腐葉土化して雑草繁茂を招いていました。ハリエンジュと雑草に覆われたことによって石積が隠され、桝形堤防が地域の記憶から失われていったのです。

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【写真】平成21年の桝形堤防 除草後の状況だがハリエンジュが繁茂している

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【写真】平成23年度 第2次調査前

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【写真】第2次発掘調査とともに自生したハリエンジュの伐採作業。ハリエンジュは根が石積を崩し、大量の落ち葉が石積上に堆積し、雑草繁茂の原因となっていた

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【写真】第2次調査 ハリエンジュ伐採作業

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【写真】第2次調査 ハリエンジュ伐採後の桝形堤防

2)木工沈床の発見
 桝形堤防の北堤、南堤の川表側を地表から約1m掘り下げると、石が平らに敷き詰められた遺構が現れ、この石敷には幅20~30㎝の空洞が格子状にみつかりました。さらにこの空洞が格子状に交差する辺りから鉄製のボルトと地中に差し込まれた鉄筋が発見されました。ボルトをよく観察すると、木質部分が残されています。
 調査の結果、この遺構は木工沈床と呼ばれる明治期以降施工された根固めであることがわかりました。木工沈床とは松の丸太を井桁状に組み、3~5段積み上げ、その枠の中に河原石を詰め堤防基底部を守る根固めとして考案された工法です。木材同士は水平に鉄のボルトで固定され、3段の丸太は丸鋼と呼ばれる鉄筋を通して連結されていました。

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【写真】北堤川表調査。地表から約1mほど掘り進めると、石を平らに敷き詰めた木工沈床が現れた

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【写真(北から)】北堤川表の木工沈床。丸太を水平に連結するボルトと縦方向に繋ぐ丸鋼が見られる

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【写真】北堤川表 木工沈床調査風景。使用された丸太は腐食して空洞となっている

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【図】木工沈床模式図

 試掘調査で発見された木工沈床は堤体から南北に3列に区画され、南北は1列目が約1.5m(5尺)、2列目が約1.8m(6尺=1間)、3列目が約2.1m(7尺)と尺を単位に川側に向かって幅が広く造られていました。川側をより強固にしたのでしょう。一方東西の区画はちょうど1間です。この木工沈床を含めるとおよそ3間約5.4m堤防の規模が広がります。北堤にはこの木工沈床の北側にさらに蛇籠が敷設されていた可能性があります。このように試掘調査によって、桝形堤防の本来の規模が明らかとなりました。地表には桝形堤防の一部分しか現れていなかったのです。

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【写真】南堤川表 木工沈床調査風景。丸太が腐食した空洞がみられる。木工沈床の上には御勅使川による砂礫が堆積している

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【写真】南堤川表 空洞部分には2本の丸太がボルトで連結されていた。鉄筋は縦方向に丸太を連結する丸鋼。ボルトと丸鋼には木材の痕跡がわずかに残されている

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【写真】南堤川表 発見された木工沈床。3段丸太が積まれている

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【写真】南堤川表 発見された木工沈床。丸太が配置された場所は半透明の茶色で表示した

3)桝形堤防の築堤年代
 木工沈床の技術の歴史を繙くと、堤防の築堤年代が明らかとなってきました。木工沈床の特許資料を調べた結果、この工法は明治26年長野県飯田土木出張所の小西龍之介氏によって考案された工法で、天竜川で施工され、明治32年特許が取得されています。南アルプス市に残された行政文書では、木工沈床の施工は御勅使川や釜無川では明治42年が最も古い資料です。この時期有野地区に大きな被害を及ぼした水害の記録は明治39年と明治40年があり、とりわけ明治39年には「徳島堰ノ被リシ今般ノ大破壊ハ空前ノ被害ニシテ就中御勅使川ノ如キ」(『明治三九、四十年分 土木地理関係書 文書第六号 御影村外一ヶ村組合役場』)とあることから、この時の洪水で流失し、新たに築堤されたのが現在の桝形堤防である可能性が高いと考えられます。

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【写真】「申請書」『明治三九、四十年分 土木地理関係書 文書第六号 御影村外一ヶ村組合役場』

4)徳島堰御勅使川暗渠の改修
 御勅使川の下を通水する徳島堰の暗渠は「御勅使川暗渠」と呼ばれ、埋樋(うめどい)から石製の甲蓋(こうぶた)、明治時代終わりから大正時代にコンクリートを用いた粗石拱形眼鏡工法に作り変えられてきたことが関係資料からわかっています。つまり、大正時代、暗渠を粗石拱形眼鏡工法に変えるために、明治39年から40年頃に改築されたと考えられる桝形堤防の一部が掘り返されていることになります。実際暗渠上の石積は他の区域と比べて20~30㎝の小振りな石が用いられており、積み直されたことが明らかです。
 試掘調査の結果、北堤の調査では、コンクリートで河原石が固定されたかまぼこ状の御勅使川暗渠天井部が発見されました。さらにこの上に北東堤の石積が施工されていたことから、北東堤が暗渠改修時もしくはそれ以後に築堤されたことが明らかになりました。

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【図】徳島堰御勅使川暗渠の変遷

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【写真】粗石拱形眼鏡工法へ御勅使川暗渠改築時(明治時代末から大正9年)の石積修復推定区域

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 一方南堤の調査では、同様の暗渠の天井部が発見されるとともに、暗渠の西側の木工沈床が壊されている状況が確認されました。暗渠改修時、木工沈床を壊し、その石材を粗石拱形眼鏡工法に利用したことがうかがえます。

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【写真】北堤および北東堤川表と徳島堰の御勅使川暗渠の調査。この調査によって、北堤の堤体の一部が一度掘削され、御勅使川暗渠が甲蓋から改築されたコンクリートを使った粗石拱形眼鏡工法の天井部が発見された

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【写真(北東から)】北東堤川表には木工沈床が発見されていない。北東堤は御勅使川暗渠の粗石拱形眼鏡工法改築以後に築堤されたことが明らかとなった

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【写真(南東から)】南堤および徳島堰御勅使川暗渠天井部。コンクリートを使った粗石拱形眼鏡工法の天井部の西側の木工沈床が壊され石材が失われている状況がわかる


4.国指定史跡へ

 こうした発掘調査と文献調査を積重ね、桝形堤防の時期、範囲、構造、歴史的変遷など本質的な価値を明らかにした上で、平成25年文化庁に国指定史跡御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)へ追加指定の意見具申を行い、平成26年10月6日、官報告示され史跡への追加指定が決定されました。

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【写真】南アルプス市広報平成26年11月号掲載

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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