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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプスブルーの響き
~市民が結ぶ藍染新資料との出会い~

 「藍玉通(あいだまかよい)・・・。似たものならうちにもありますよ」。こんな言葉から藍の文化を伝える新資料発見のストーリーが始まりました。

新資料との出会い 
 令和4年5月25日までふるさと文化伝承館で開催していた「藍と綿が奏でるにしごおりの暮らし」展を見学された市民の方が、その内容を竜王新町の友人後藤さんに話されました。それを聞いた後藤さんはかつて自宅が藍染を営んでいたこと、現在も「コウヤ(紺屋)」と呼ばれていること、展示されている資料と似たものがあることを思いだされました。友人の方を通じて情報提供をいただき、文化財課が調査にうかがってみると、藍染の紺屋にかかわる新たな資料がいくつも残されていました。

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【写真】「藍と綿が奏でるにしごおりの暮らし」展

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【写真】後藤家調査風景

資料が語る紺屋の姿
 後藤家に残された資料と聞き取りから、これまで市内の調査では明らかにできなかったかつての紺屋の姿が浮かび上がってきました。甲斐市竜王新町の後藤家は、「明治30年営業名及課税標準届」によれば寛延2年(1749)創業と記されており、県内屈指の老舗の紺屋と言えます。証言では昭和初期まで紺屋が営まれていました。同届によれば、住家木造草葺平屋造42坪の中に工房を構え、藍瓶88本、倉庫2棟を持ち、従業員4人の内3人が職工として働いていたようです。後藤家は信州と駿河をつなぐ旧街道沿いに位置しており、農村部の紺屋より経営規模が大きかったことがわかります。

資料の構成
 後藤家に残されていた資料は下記のとおりです。
 藍玉通帳(あいだまかよいちょう) 19冊
 藍代金計算帳           5冊
 藍玉代金請取通          2冊
 愛染明王掛軸           1幅
 家相図              1枚
 色染法記覚・製薬々法調合記他   1冊
 鑑札               1枚
 版木               2個
 藍染旗「天満大自在天神 後藤氏」 1枚
 盃(才の銘入り)         5個

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【写真】後藤家藍染め関係史料

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【写真】愛染明王掛軸:「藍染」と「愛染」が似ていることから、多くの紺屋では愛染明王が信仰されていました


藍甕の工房を伝える家相図
 では資料群を見ていきましょう。まず注目されるのは『家境図解』です。この図は土地や家屋の間取りなどを吉凶を見るためのいわゆる家相図で、「紀元二千五百三十四年第二月」、西暦では1874年(明治7年)2月に作成されました。作者は東京神田で著名な易学者であった宍戸謙堂(名は富隣、別号東易館)。絵図には「東京 東易館貞翁男 宍戸易富 識」の文字が見られます。赤、青、黄色、緑に濃淡を付け、鮮やかな多色で描かれた豪華な家相図です。
 この家相図には大型の甕34個、小型の甕14個が土間に並んだ状態で詳細に描かれていました。山梨県内で藍甕が原位置で残されている紺屋が数例を除きほとんど現存しない現状では、江戸時代以降の紺屋の姿を伝える貴重な資料と言えます。また、2種類の規格の藍甕が用いられている点や工房にカマドが設えてある点など、これまで県内で知られていなかった紺屋の姿が浮かび上がりました。 

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【写真】家境図解

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【写真】家境図解に描かれた藍甕の工房

阿波の藍商とのつながり~藍玉通帳(あいだまかよいちょう)~ 
 次に注目されるのは「藍玉通」です。藍玉は藍葉を発酵させて作った藍染の原料、通帳(かよいちょう)は掛け買いの月日・品名・数量・金額などを記入して、金銭を支払うときの覚えとする帳簿です。市内では田島の小田切家に1冊だけ残されていて、阿波から藍玉を入手していたことを示す貴重な資料です。

関連URL(http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/09/post-3872.html

 後藤家には明治12年から大正13年まで、藍染の原料である藍玉を購入した記録である「藍玉通」帳が19冊保管されていました。明治から大正へ、藍と藍玉の生産業と藍染産業が隆盛した後、西欧からの人造藍の輸入により急速に衰退した時代を映すとても貴重な資料です。藍玉の買主は紺屋を営んでいた後藤長次郎、残念ながら市内で藍玉を生産していた川上の浅野家との取引を示す史料はありませんでしたが、藍玉の売主は阿波が5名、駿河が1名の藍商の名が確認できました。後藤家では主に阿波から藍玉を仕入れていたことがわかります。西野嘉右衛門や久次米兵次郎は阿波藍の有力者で、両名の名は明治27年『番附百種 一覧博識』の「持丸長者鑑」、今でいう長者番付の上段に掲載されているほどの日本を代表する富豪でした。

  藍商氏名       本拠地
 西野嘉右衛門     阿波(東京) 8冊
 中村邦三郎・増太郎  阿波     5冊
 石原六郎       駿州沼津   3冊
 久次米兵次郎     阿波(東京) 2冊
 久住平次郎      阿波(東京) 1冊

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【表】明治27年『番附百種 一覧博識』「持丸長者鑑」(国立国会図書館蔵) 西野保太郎は西野家15代当主。甲州財閥の雄、若尾逸平の名も見える】

後藤家と阿波の豪商、西野嘉右衛門家との縁
 阿波の藍商の中でも西野嘉右衛門家と後藤家の結びつきが強く、明治12年から大正13年まで藍玉を購入し続け紺屋を営んでいたことがわかります。西野家は江戸時代前期から阿波藍を扱う豪商で、屋号を「野上屋」と称し、明和期(1764–1771)には江戸に出店を構え、寛政元年(1789)8代目嘉右衛門は金毘羅大権現(現金比羅宮)の麓、琴平で酒造も始めました。現在も香川県の有力な酒造メーカーである西野金陵株式会社となっています。嘉右衛門の名は代々受け継がれ、15代目は1940年、阿波藍の歴史研究の基礎資料となる『阿波藍沿革史』を著しています。明治30年代以降西欧から人造藍が輸入され始めると藍玉の生産は激減し、人造藍を使った染めが主流となりました。明治30年代以降急速に化学染料への転換が図られる中、西野家では関東売制定以来の盟約を守って、大正6年まで阿波藍以外は取扱わなかったと言われます。同業他社に約20年近く遅れて大正7年から十五代目が西野染料店を開店し、化学染料を扱うようになりました。藍玉通帳は、この大きな転換点以後の大正13年まで後藤家では阿波西野家の藍玉を使い続け、伝統的な藍建てを行っていたことを示しています。

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【写真】明治12年藍玉通帳

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【写真】大正13年藍玉通帳

 後藤家と西野家を結ぶ他の資料も残されていました。なにげない5個の盃。現当主の後藤文次氏によれば、毎年正月に阿波の藍商が年始の挨拶に後藤家を訪れ、盃をおいていったそうです。盃に描かれた「才」の文字は、幕末12代目西野嘉右衛門が野上屋の大印を「才」としたことに始まりました。盃は西野家「野上屋」から送られた年賀の品であることは間違いなく、代々続いた結びつきの強さを物語っています。西野家では酒造も営んでいたことから盃が選ばれたのでしょう。清酒とセットで手土産とされていたのかもしれません。

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【写真】西野家から送られた盃。屋号の印「才」の字が書かれている

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【図「明治18年 東京商工博覧会 下巻 西野嘉右衛門」(国立国会図書館蔵) 右上の表題と左上の蔵に「才」の文字が見られる

草木染の染色法『色染法記覚』
 後藤家には漢方の調合法とともに近代の染色法が記載された帳面も残されていました。覚えには赤茶、柳茶、金茶、鶯茶、銀鼡(ぎんねずみ)、鼡、藍鼡、栗川茶、白茶、葡萄鼡、海老茶青茶、唐チリメン水浅黄、黄色、鳩羽鼡、深川鼡、港鼡(みなとねずみ)、鶴羽鼡、コビ茶、藍川、紫色、日色、萌黄色、薄竹色、小豆鼡、藤鼡法、藤色、引染黒、絹日赤、絹花色などの染色方法が詳しく記載されていました。例をひとつ挙げてみましょう。

〇葡萄鼡(ぶどうねずみ)染法ハ
先ツ ウスキヤシヤニ スホヲヲ加ヘテ成シ
次ニウスキ金水ヲ成スナリ

 解説すれば、ヤシャブシ(松笠状の実、黒染めに使われる)を煎じたもので薄く染め、次にスオウ(まめ科の小高木で赤染めに使われる)を加えて染め、次に薄い金水(硫酸鉄を混ぜた水)につけて媒染する。

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【写真】色染法記覚

新たな資料が結ぶ人と時間
 後藤家で発見された資料は、藍葉・すくも生産が盛んであった南アルプス市のみならず、県内の染色の歴史と文化を今後考える上で欠くことができない資料と言えます。またご来館いただいた多くの方々から新たな市内紺屋の情報をお寄せいただきました。ふるさと文化伝承館のテーマ展では地域に密着した題材を取り上げるため、これまでのテーマ展でも来館された市内外の皆様からのさまざまな情報が新たな資料の発見につながってきました。その資料や人々の記憶が響き合い、新たな地域の歴史が奏でられます。

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【写真】テーマ展最終の一週間、後藤家の新資料が公開され、多くの方が来館された

 資料を提供していただいた後藤さんは現在、さをり織りと草木染の教室を開かれています。紺屋だったことはご存知でしたが、ご先祖さまが草木でも染色をしていたことに驚かれていました。発見された「色染法記覚」を読み、現在の教室にも活かしたいと話されていました。地域に残されたなにげない資料は時に過去と現在の人も結ぶことができるのです。

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【写真】さをり織りの糸

関連URL
南アルプスブルーの足跡~市内を彩った藍染めの歴史~
2015年4月15日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/04/post-fe93.html
2015年5月15日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/05/post-d5b3.html
2015年6月15日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/06/post-af42.html
2015年7月15日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/07/post-d649.html
2015年8月14日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/08/post-2292.html
2015年9月15日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2015/09/post-3872.html

南アルプスブルーの歩み~藍色の広がり~
2019年9月17日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2019/09/post-0e1a.html

江戸時代の南アルプスブルー~村々の藍葉栽培と藍染~
2021年6月15日 http://sannichi.lekumo.biz/minamialps/2021/06/post-897b.html

参考URL
進め!阿波探検隊!http://awatankentai.blog133.fc2.com/blog-entry-41.html

 

◎『藍と綿が奏でるにしごおりの暮らし』展パンフレット販売中!
 南アルプス市の藍と綿の歴史を1冊にまとめました。100円です。

<お問い合わせ>ふるさと文化伝承館 TEL055-282-7408

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◎ふるさと文化伝承館テーマ展「"にしごおり果物”のキセキ」展開催中!
 全国でも有数な干ばつ地域である御勅使川扇状地。水田ができない故に様々な工夫でその環境を乗り越え、木綿やタバコ、そして養蚕や果樹栽培と暮らしをつなぎ、現在南アルプス市は全国でも有数の果樹王国となっています。
 本展覧会では、主に江戸期以降の果樹栽培への挑戦・開拓の物語を中心に、最近まで使用していた出荷箱やラベルなど、懐かしい品々までご紹介します。
令和4年6月24日(金)~令和4年12月21日(水)まで

詳しくは、南アルプス市ホームページをご覧ください。

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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