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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2021年11月

【季節の便り】

重要文化財安藤家住宅「秋の紅葉ライトアップ」

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 築313年を迎えた安藤家住宅の紅葉をライトアップいたします。夜の安藤家住宅は普段見ることの出来ない特別な空間。紅葉とともに、ライトアップされた古民家の幻想的な雰囲気をお楽しみください。

期 間]11月20日(土)~11月22日(月)
時 間]16:30~20:00(最終入館19:45まで)
場 所]重要文化財安藤家住宅(南アルプス市西南湖4302)
入館料]大人300円 小中高生100円

お問い合せ
南アルプス市文化財課 055-282-7269 または 安藤家住宅 055-284-4448

 

南アルプス市観光協会オリジナル甲斐犬グッズ販売中

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 南アルプス市観光協会の人気オリジナルグッズ甲斐犬シリーズにハンドタオルが新登場しました。南アルプス市芦安地区が発祥と言われる甲斐犬をデザインしたグッズは、トートバックもあり道の駅しらね内で好評販売中です。

 詳しくは、こちら(観光協会ホームページ)をご覧ください。

お問い合せ
南アルプス市観光協会 055-284-4204

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【連載 今、南アルプスが面白い】

駿信往還(西郡路)、荊沢宿の旅

はじめに
 令和3年8月29日(日)、山梨県と静岡県を結ぶ中部横断自動車道が開通しました。この開通によって、静岡県静岡市から山梨県南アルプス市を経由し、同県甲斐市まで高速道路で結ばれました。
 甲斐国は山(信濃)と海(駿河)を結ぶ地域であり、南アルプス市域はまさにそのルート上に位置しています。江戸時代、信州から甲府を経由し江戸につながる甲州道中(現在の国道20号線)の韮崎宿から南に分かれ、市内の六科村や在家塚村、小笠原村、荊沢村を経由し、鰍沢村そして駿河に至る道は駿信往還と呼ばれ、特に韮崎宿から鰍沢河岸までは西郡路(にしごおりじ)とも呼ばれていました。また、鰍沢に設置された富士川の河岸(かし:川の湊、船着場)からは静岡県の岩淵まで富士川舟運が通じていました。この山と海を結ぶ大動脈の西郡路で拠点となったのが荊沢宿です。今月のふるさとメール、江戸時代の荊沢宿を旅してみましょう。

 

1.駿信往還と下げ米、上げ塩
 駿信往還(西郡道)はいわゆる脇往還で、甲州道中のような公式な官道より物資が行き交う商業の道でした。慶長年間から富士川舟運が開通すると、信州から甲斐国内の年貢米がこの道を通り鰍沢河岸に集められ、舟で岩淵(当初は岩本)まで運ばれ陸路で蒲原へ、そこから清水港へ運ばれ、さらに大型船に積み替えられて、江戸浅草の御米蔵まで運ばれました。こうした年貢米やその輸送を廻米(かいまい)と呼びます。一方下った舟の帰りには赤穂の塩や海産物などが鰍沢河岸に引き上げられ、馬に積み替えられてこの道を通り巨摩郡各地や信州へ運ばれました。いわゆる「下げ米、上げ塩」です。このように甲斐国と信濃、駿河と江戸そして全国各地を結ぶ物流のネットワークのひとつとして駿信往還があり、その一番の宿場が荊沢宿だったのです。

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【図1】駿信往還(西郡路)・富士川舟運 荊沢宿位置図

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【図2】西郡路と富士川舟運 荊沢宿(伊能図に文化財課加筆)

 

2.荊沢村の始まり
 『甲斐国志』によれば、身延の過去帳に書かれた「西郡大市」が現在の古市場、新しくたてられた西郡今市場が荊沢村と言われています。つまり街道沿いの北大師村に市がたてられ、その南に新しく市がたてられたため、北大師村を古市場と呼ぶようになり、新しい市が荊沢村、そして荊沢宿となったと考えられています。荊沢の宿としての役割は武田氏による戦国時代からと推測されていますが、少なくとも元和3年(1617)には荊沢村が伝馬役を勤めていたと考えられています(註1)。

 

3.荊沢村の様子
 宝永2年(1705)の村明細帳から村の様子を見てみましょう(註2)。戸数は210軒、人数596人を数えました。農業のほか、酒屋4軒、糀屋1軒、紺屋5軒、大工一人、鍛治一人、たらゆい(桶屋)一人、医師一人という構成です。酒屋とそれに関連する糀屋が多いことが挙げられます。また注目されるのはこの他に商人が77人いたことです。8人が鰍沢へ買い出し、4人が駿河からの塩や茶を売買し、15人が棒手振りつまり行商、2人は薬を商っていました。多くが駿信往還に関連した商いをしています。そして最も注目されるのが、77人中48人が「塩糀在々へせおい出売申候」つまり塩や糀を村々へ売り歩く商人の多さです。塩は富士川舟運の上り荷として鰍沢河岸で荷揚げされた大量の塩が荊沢宿を通り、中巨摩、北巨摩、信州へと運ばれました。その塩の販売が荊沢宿周辺でも行われていたのです。

 

4.ちょっと寄り道 麹・糀の話
 一方江戸時代の糀、どうやってつくられたのでしょうか。ちょっと寄り道してみましょう。江戸時代の文献をひもとくと、糀の作り方はいくつか方法があります。(1)米を蒸したものを穴蔵に入れて作る、(2)炒った小麦と煮た大豆を混ぜて、麹蓋に入れて作る、(3)炒った大麦と挽き割った大麦と煮た豆を菰の上で作る方法などがあったようです。

(1) 『本朝食鑑』元禄10年(1697):食物本草書
一昼夜浸した粳米を取り出して乾かし、セイロで蒸して飯を作り、ムシロに広げて1日露にあてる。木盤に盛り、土窖(あなぐら)の中に置いてむらすと、大抵三日ばかりで白衣(しろかび)を生じ、これを取り出して用いるものを俗に白麹(しろこうじ)という。これは白醴(さけ)や一夜味噌の類を造るものである。白衣の後一両日を経て、外面に黄赤衣(きあかかび)を生じたらひっくりかえして、内側のまだ衣が生じていない処に黄衣(きかび)が生じるのを待って、それを数回行い、内側外側一様に黄衣を生じるまで置く。

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【写真】麹 (『本朝食鑑』国立国会図書館蔵)

(2) 『萬金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』享保17年(1732)刊:江戸時代商品学書
 小麦一石をよく焙って、ざっと挽き、白豆一石を味噌のようによく煮て、右の小麦と一つにかきまぜ、かうし蓋(麹蓋:麹を作るための木箱)に入れる。

(3) 『廣益國産考(こうえきこくさんこう)』天保15年(1844)刊:農学書
 五人家族の家では古い酒樽を三つ用意する。一樽に大豆を六升、ついた大麦を六升づつ入れてつくる。三樽の合計は豆一斗八升、麦一斗八升である。麦を炒鍋で炒って、半分は臼で粗く引きわり、残りの半分は炒ったままで豆を煮たものと一つにして、花を付ける。花を付ける時は、五月から十月上旬迄は、家の隅、物置杯の土間に菰(こも)を敷いて、その上に筵を引いて、そこへ豆と麦を合わせたものを一寸五分位の厚さにして広げ、夏場は上に覆いをすることなく置く。九月になったら菰一枚、十月上旬には二枚重ねて覆いをするようにする。覆いをする前にススキの葉を少し糀の上に置くとよい。

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【写真】醤油づくりのための麹づくり(『廣益國産考』国立国会図書館蔵)

 では、このようにして作られた糀を売る糀売り、どんな商売だったのでしょうか。江戸時代、南アルプス市域の村明細帳を調べたところ、「糀売」が登場するのは、荊沢村とその北に続く古市場村、鮎沢村の3か村だけです。古市場の宝暦明細帳に「稼 男ハ農業之間並平日ハ日用或ハ塩糀木綿種等」や天保3年には「一稼 男ハ農業之間日用或者塩糀木綿実等売買其外時々之品少々宛売買仕候女ハ木綿糸とり並織出申候」と書かれていて、農業の合間の余業として糀売が行われていました。江戸時代後期に刊行された『守貞謾稿』には「麹売」が掲載されています。それにも、麹売りは中秋以降冬に売りあるくと書かれていて、村明細帳と一致します。ではなぜ荊沢宿周辺で糀売が行われていたのでしょうか。確かな答えは不明ですが、甲西町誌によれば、近代では各家庭で糀や味噌、醤油などが作られていたことから考えると、宿場であった荊沢宿では糀作りが専業化され、街道の酒屋や各村々へ売りあるく伝統が形成されていったのかもしれません。

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【写真】麹売(『守貞謾稿』国立国会図書館蔵)

 

5.行き交う馬と物資
 ここで荊沢宿を通過したモノに注目してみます。増田廣實氏の研究によれば、嘉永7年(1854)の宿継荷物は2440駄で米を合わせると約1万1千駄を数えます(註1)。下り荷物、つまり信州方面から韮崎宿を通り、荊沢宿からさらに鰍沢宿に荷継ぎされたものは、年貢米のほか、太物、苧(麻)、薬、元結、紙、傘、笠、椀、箸、櫛などでした。特に紙、元結、椀、箸、櫛は信州飯田方面からの荷物で、飯田荷物と呼ばれていました。一方鰍沢宿から荊沢宿を経由し信州へ運ばれた上り荷物は塩や海産物のほか、阿波藍、武州藍、繰綿、篠巻、中綿などです(註3)。背に米俵や椀や櫛などを乗せた馬が鰍沢方面へ下り、一方塩や藍玉を背に積んだ馬が韮崎宿を目指す、そんな光景が目に浮かんできます。
 来月号では荊沢宿内を旅してみたいと思います。


註1 増田廣實 2005『商品流通と駄賃稼ぎ』 同成社
註2 甲西町誌資料編
註3 江戸時代の文献では現代でいう「塩糀」を掲載する主な文献は『本朝食鑑』に限られ、一般的な用語とは考えにくいため、「塩と糀」と解釈しました。
註4 連載 今、南アルプスが面白い 2021月6月15日(火)江戸時代の南アルプスブルー ~村々の藍葉栽培と藍染~

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【ふるさとニュース】

地方病との闘い、後世に

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 鏡中条村(現南アルプス市)出身で、日本住血吸虫病(地方病)の撲滅に尽力した医師小野徹(1875~1971年)の自宅や医院だった建物を宿泊施設などに改装する計画が進んでいる。やしゃごの藤巻佑理さん=東京都=が企画。施設では医療器具などを展示する予定で、小野が地方病撲滅に取り組んだことを伝える場にしたい考えだ。

 小野は鏡中条村で洗心堂医院を開業。地方病の原因究明に努め、県内の地方病撲滅推進に尽力した。県医師会長などを歴任した。
 小野の自宅と医院はいずれも木造2階建てで、廊下でつながっている。庭を含めた敷地面積は約2800平方メートル。医院は峡南地域を拠点に活躍した「下山大工」の技術を持つ職人が建てた。息子の修さんが医師として使用していたが、91年に亡くなってからは佑理さんの母美枝さん(59)が管理していた。
 都内でアプリ開発の会社に勤めている佑理さんは、小野の自宅を訪れるうちに「維持するだけでなく、高祖父の残したものを活用したい」と今年3月に改装を決意。両親や妹らと協力して、塀の修繕や医療器具の整理などを行ってきた。活動は写真共有アプリ「インスタグラム」で発信している。
 改装作業は来年3月までに行い、申し出のあった市民にパン店兼宿泊施設として貸し出す予定。地方病の流行の原因の一つだった宮入貝が入った薬瓶、小野が使用した聴診器やメスなどを展示する。

(写真)洗心堂医院で使われていた医療器具=南アルプス市鏡中条

【山梨日日新聞 11月13日掲載】

【ふるさとニュース】

和風ハロウィーン、子どもらが楽しむ 芦安でイベント

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 南アルプス市内の女性クリエーターでつくる「南アルプス!ロコ」は、市内の芦安交流促進センター周辺で「和ロウィンパーティーin芦安」を開いた。
 地域に伝わる妖怪やお化けの伝説にちなみ、和風のハロウィーンを楽しもうと企画。市を拠点に活動する演劇集団「森の劇場」や住民グループ「おばけをつくるぐんたい」、映像製作などを手掛ける「VLOO」、地域住民と連携した。
 市内外から60人が参加し、10月30日に開催。魔女や人気アニメ「鬼滅の刃」のキャラクターの衣装を身につけた子どもたちが懐中電灯を持って芦安地区を歩き、キツネやてんぐに扮したスタッフから菓子をもらったり=写真、プロジェクションマッピングを楽しんだりした。

【山梨日日新聞 11月10日掲載】

【市役所便り・イベント情報】

横断道沿線4県、地域振興で協力 南アでシンポジウム

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 中部日本横断自動車道(中部横断道、上信越道)の整備・利用促進と、沿線4県の地域振興や交流を図る「2021ROUTE 日本海-太平洋シンポジウム」(同南アルプス実行委員会主催)が5日、南アルプス市飯野の桃源文化会館で開かれた。
 南アルプス市、北杜市、新潟県上越市、長野県佐久市、静岡市の沿線4県5市が持ち回りで毎年開催していて、33回目。各自治体関係者ら約300人が出席した。
 南アルプス市の金丸一元市長があいさつ。中部横断道山梨-静岡間が全線開通したことを受け、沿線自治体が協力して地域振興に取り組んでいくことを呼び掛けた。
 甲府河川国道事務所の浜谷健太所長の基調講演や南アルプス市教委文化財課職員の講演、シンガー・ソングライターyosuさんの弾き語りライブがあった。

(写真)あいさつを述べる金丸一元市長=南アルプス・桃源文化会館

【山梨日日新聞 11月10日掲載】

【山梨県内のニュース】

高原、秋の色 八ケ岳南麓

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 北杜市の八ケ岳南麓で紅葉が進んでいる。
 川俣川沿いは、八ケ岳高原大橋周辺から上流側が色づいている。深い谷の斜面を埋める広葉樹などが赤や黄色のグラデーションを描いている。
 橋の東詰めにある駐車場付近では訪れた多くの行楽客が八ケ岳にスマートフォンのカメラを向けていた。さいたま市からバイクツーリングで訪れた会社員は「コロナで外出できない日々が続き、紅葉を心待ちにしていた。橋から見渡す秋色の高原は見応えがある」と話していた。

(写真)八ケ岳南麓を彩る紅葉。中央左は八ケ岳高原大橋=山日YBSヘリ「ニュースカイ」(NEWSKY)から(5日撮影)

【山梨日日新聞 11月10日掲載】

【ふるさとニュース】

あんぽ柿、みずみずしく 南アで出荷ピーク

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 南アルプス市で特産「あんぽ柿」の出荷が最盛期を迎えている。
 あんぽ柿は、ころ柿よりも水分量が多く、とろりとした食感が特徴の干し柿。農業を手掛ける企業「M.A.C.Orchard」(同市飯野、飯野公一社長)では「大和百目柿」の皮をむいて棚につるし、温度や湿度を管理した施設内で7~10日乾燥させて仕上げていた。作業は11月中旬まで続くという。

(写真)あんぽ柿の出荷作業を行う社員=南アルプス市飯野

【山梨日日新聞 11月9日掲載】

【山梨県内のニュース】

中部横断道上下線、点検で通行止めに
11月8~10日と11月15~19日

 中部横断自動車道六郷インターチェンジ(IC)-双葉ジャンクション(JCT)間の上下線が8~10日、新清水JCT-富沢IC間の上下線が15~19日、トンネル内設備や橋の点検などのため、午後8時から翌日午前6時にかけて通行止めとなる。
 中日本高速道路八王子支社と東京支社によると、六郷IC-双葉JCT間の予備日は11、12両日の同時間帯。新清水JCT-富沢ICの予備日は24、25両日の同時間帯。
 点検や補修のほか、道路の清掃も実施する。両支社は国道52号などの迂回路を使用するよう呼び掛けている。

【山梨日日新聞 11月6日掲載】

【山梨県内のニュース】

武田信玄生誕500年 記念朱印を発行

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 武田信玄が誕生して500年となる3日、県内各地で信玄をテーマにした講演会やゆかりの地を巡るツアーなどが開かれ、参加者が甲斐の名将に思いをはせた。

 甲州市塩山小屋敷の恵林寺は3日、武田信玄生誕500年を記念した特別記念朱印を発行した。
 恵林寺によると、記念朱印は2種類。軍配を高く掲げて采配を振るう甲冑姿の信玄公の切り絵や「風林火山」などと記した赤色の記念朱印と、信玄公が自身の姿を模して彫刻させたとされる不動明王坐像(武田不動尊)の切り絵や金色で書かれた「武田不動尊」の文字を組み合わせた紺色のデザイン。各200枚限定で発行した。

(写真)生誕500年に合わせてつくられた2種類の特別記念朱印

【山梨日日新聞 11月4日掲載】

【市役所便り・イベント情報】

クイズやゲーム、楽しみウオーク 南アでイベント

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 南アルプス市教委生涯学習課と市スポーツ推進委員会は、クイズやゲームを楽しみながら市内を回る「ふれあいウォークラリー大会」を開いた。
 10月24日に実施し、市内から230人が参加。3~5人のチームをつくって同市甲西地区の約5・5キロを散策し、古長禅寺や重要文化財・安藤家住宅などを回った。
 参加者は11カ所のチェックポイントで市内の名所にまつわるクイズ、空き缶釣りやグラウンドゴルフなどのゲームに挑戦した。
 大会は地域の自然や文化に触れながら歩き、健康づくりにもつなげてもらおうと企画し、19回目。

(写真)市内を散策する参加者=南アルプス市内

【山梨日日新聞 11月3日掲載】