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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

御勅使川扇状地を飛び回る
真っ赤なかわいいSS(エスエス)

 桜の蕾もほころび、もうすぐ花が咲きそうです。市内の果樹地帯では、お馴染みの真っ赤な丸いフォルムのエスエスが忙しく行き交う季節が、またやってきました。通称エスエスと呼ばれるスピードスプレイヤー(以下、SS)は、果樹への薬剤噴霧を行う特殊な車両です。散水にも使用されますが、非常に細かい霧状にした液体が、後方についているノズルから180度放出され、樹のてっぺんから葉の裏までまんべんなく噴霧できます。市内で生産されるサクランボ、スモモ、モモ、ブドウ、キウイフルーツ、カキなどほぼすべての果樹の栽培に欠かせないマシンです。

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【写真】通称エスエス、「スピードスプレーヤー」

 SS大手販売会社社員へのインタビューによると、年間300台ほどが山梨県に納入されているそうですが、この台数は他県より抜きん出て多く、山梨県は全国一、SSの売れる県なのだそうです。山梨以外の日本の名だたる果樹栽培県では、集約した農地を持つ比較的規模の大きな農家が積載容量1000リットルキャビンタイプ等、大型のものを買う傾向にあるのに比べ、山梨は500リットルタイプの小容量が主流ですが、果樹栽培一家に一台ほぼ存在しているので販売台数が多くなるようです。

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【写真】SSの展示販売(百々にて)

 特に南アルプス市域の果樹栽培では一つの農家が多品目を栽培するという特徴があるので、一品目当たりの農地が比較的小規模になっているため、コンパクトなタイプのSSが重宝され、販売台数を押し上げています。
500リットルタイプのSSは、たくさんの支柱が林立するサクランボ栽培用のサイドレス施設内でも運転手が右へ左へとこまめにハンドルを切って器用に走り回って作業できます。

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【写真】サクランボ栽培のサイドレス内を器用に走り回る500リットルタイプのSS(上今諏訪にて)

 この事実を踏まえると、南アルプス市内の住宅地を歩けば車庫に乗用車と並ぶ流線型の真っ赤なSSを見かけるのが普通のことであったり、御勅使川扇状地の原方では、春先から晩秋にかけての朝方によく道路ですれ違ったり、交差点で信号待ちしているとSSに前後を挟まれたりすることが日常なのも、納得できます。

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【写真】飯野の給水塔からSSのタンクに薬剤を混ぜる水を入れているところ

 さらに、南アルプス市の果樹産業とSSには、ともに歩んだ60年の歴史があります。
 先人たちは、水の乏しい広大な御勅使川扇状地を創意工夫で土地利用し、煙草や麦から桑、果樹の栽培へと産業を変化させてきました。明治20年代から白根町西野を中心にはじまった果樹産業では、特に昭和20年代後半から地区をあげてのスプリンクラー網整備や作業効率化への様々な取り組みが本格化します。
 そのような情勢の中、昭和30年、北海道余市町のリンゴ農場にアメリカFMC・ジョンビーン社から輸入されたけん引式のSSが日本で初めて導入され、国内でのSS開発競争がはじまりました。それから間もなく昭和33年1月25日に西野農協が国内メーカの共立が開発したSS-1型を県内第一号で導入したのです。当時の新聞には、農作業効率化への期待を一身に受けたSSを前に、誇らしげな先人たちの集合写真が紙面を飾っています。

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【写真】昭和33年1月25日「入魂式」集合写真(「夢21世紀への伝言」白根町より)

「スピード・スプレーヤ西野農協え入る 知事『富士号』と命名」というタイトルの興味深い新聞記事には、この日、西野農協共選所そばの西野小学校校庭に天野山梨県知事を招いて、入魂式が行われたことが記されています。記事には、『神官による儀式の後、天野知事より「富士号」と命名された。この後、西野小学校校庭でエンジンの音も高らかに試運転が行われ、百ケの噴口から直径二十メートルに広がって噴き出される霧は晴れ渡った富士をもかくし、喜びのうちに式は終つた。』とあります。
※「スピードスプレーヤ」は共立の商品名です。

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【紙面】果実山梨の記事

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【紙面切り抜き】SS部分拡大

Photo_3【紙面切り抜き】天野知事画像部拡大

 西野の功刀幸男さんによると、最初に西野で導入した第一号のSSは、たいへん大型で専用運転手が雇われていたとのことです。記録によると、共立開発の3.63mの噴霧器を長さ2.921mのイギリス製のけん引車ファーガソン(軽油37馬力)が引っ張るもので、SS全体としての長さは7m近くにもなり、巨大だったことがわかります。昭和40年代から出回るようになったコンパクトで小回りが利くように設計された自走式SS500リットルタイプが、だいたい全長3m弱なので、なんと倍以上の長さ(大きさ)です。

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【紙面切り抜き】新聞記事に記載された富士号の性能

 南アルプス市域の初期のSS導入実態を、功刀氏の記憶と白根町誌の記述を合わせてまとめると、(1)まず昭和33年1月25日に第一号の「富士号」が西野農協によって導入され、農協管轄下で運用された後、(2)次に、西野で昭和37年から39年の間に2つのグループ(長谷部さんと功刀さんを中心とするグループ)が共立が開発に成功した直後の自走式をそれぞれ1台ずつ購入し、(3)昭和40年~42年にかけて旧白根地区内で新たに3台の自走式SS(西野:昭信製1台、在家塚:昭信製1台、今諏訪:メーカー不明1台)が導入されていき、ひろがっていきます。

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【写真】西野の功刀幸男氏へのSS導入期の聞取り調査

 功刀幸男氏は、昭和33年の西野農協のSS導入は山梨の果樹栽培機械化への幕開けを象徴するものだったといいます。知事を招いて大々的に行われた入魂式の報道は、県内の果樹栽培者たちに、大きなインパクトを与えたに違いありません。

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【写真】昭和38年富士号の雄姿(功刀幸男氏アルバムより)

 その10年後には自走式のSSが主流となり、昭和40年代後半には、御勅使川扇状地に点在する小規模農地での運用に便利なコンパクトボディが、市内各地を行き交うようになりました。かなりハードな仕事を短時間にこなす機能をもちながらも、丸っこくてかわいらしい個性的なフォルムを育てたのもまた、ふるさとの風土であるといえるかもしれません。

 真っ赤なSSが住宅と農地の間を行き交い、夕方には各家の車庫に乗用車と並んでコンパクトに車体が納まる様は、南アルプス市の果樹栽培を彩る歴史的景観の一つと考えられます。

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【写真】農地に出かけるSS(飯野にて)

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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