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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプス市域を駆けた武田家臣団 その1

■真田昌幸(さなだまさゆき)
 
 今年のNHK大河ドラマは「真田丸」。大坂冬の陣の際、大坂城にいわゆる「真田丸」を築いて奮戦したことで知られる真田信繁(のぶしげ、通称:幸村)の活躍が描かれます。 
 久々の戦国時代モノです。そこで今回から数回にわたり、戦国時代に活躍した武田家臣団のうち、南アルプス市域にゆかりのある武将たちを取り上げてみたいと思います。
 
 第一回は、主人公真田信繁の父、大河では草刈正雄さん演じる真田昌幸です。後世の浮世絵に描かれるなど、息子信繁と共にとても有名な武将ですが、その昌幸が南アルプス市域にゆかりがあることは、あまり知られていないのではないでしょうか。

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真田昌幸(出典wikipedia.org)

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江戸時代の浮世絵に描かれる昌幸(真田昌幸筑摩川一番乗)

 
 昌幸は、天文16年(1547)、信濃国小県郡真田郷(現在の長野県上田市)の国衆、真田幸綱の三男として生まれました。三男坊ですので家督を継ぐ可能性は低く、当初は真田が武田家へ忠誠を誓う証(人質)として、信玄のもとに差し出されました。しかし、その才能はすぐに信玄に認められ、永禄4年(1561)の第四回川中島戦で初陣をはたし(15歳)、奥近習から後に侍大将に抜擢されたといわれています。
 『甲陽軍艦』には、同じ側近で、武田二十四将に数えられることもある、三枝昌貞、曾根昌世とともに、信玄に「わが両眼の如く」とまで称されたとあり、信玄の昌幸への信頼の厚さを垣間見ることができます。
 
 そんな、昌幸だからでしょうか、信玄の命により、当主が幼くして亡くなった武田親類衆の武藤家を継ぐことになります。外様の国衆の三男坊に過ぎなかったものが、武田家の親類筋の当主になるのですから大出世といえます。この当時武田家において、有能な家臣に断絶した名家を相続させる例は他にも多くあり、南アルプス市徳永を拠点とした金丸氏の昌続が土屋姓を継いだ例や、教来石(きょうらいし)景政が馬場姓を継いで馬場信春となった例などが知られています。
 昌幸が武藤の名跡を継いだ時期はよくわかっていませんが、史料には元亀三年(1572)から武藤喜兵衛尉として登場します(26歳)。
 
 武藤氏は、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の元暦元年(1184)の条に、甲斐源氏一条忠頼の甥として武藤与一という名がみえるので、この頃まで遡る可能性がありますが、戦国期の武藤氏は、武田信玄の生母大井夫人の実弟で大井信達(のぶさと)の息子、三郎左衛門尉信堯(のぶたか)が、絶えていた武藤の名跡を継いだことに始まるといわれています。武藤氏の本拠は、現在の南アルプス市落合~荊沢(ばらざわ)周辺と考えられることから、その屋敷がどこにあったのか、現在は必ずしも明らかではないものの、養子時代の昌幸が市域に居を構えた可能性は高いといえます。

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当時の昌幸の拠点


 昌幸はその後、天正3年(1575)の長篠合戦で真田家の長男信綱、次男昌輝が戦死したことを受けて、真田に復姓して武藤を離れてしまうため(28歳)、南アルプス市域に暮らしたのは、その間わずか数年かもしれませんが、若き日の昌幸と南アルプス市のゆかりをうかがうことができます。
 その後戦国時代を生き抜き、慶長16年(1611)に享年65で世を去った昌幸の後半生は、大河ドラマなどをご覧ください。
 ちなみに今回のNHK大河「真田丸」の時代考証をしておられる平山優(ひらやまゆう)先生は、現在南アルプス市内にご在住で、市の文化財保護審議委員もしてくださっています。
 
 平成28年2月、南アルプス市教育委員会は、昌幸と南アルプス市とのゆかりを示す説明板を南アルプス市荊沢の阿弥陀寺に設置しました。阿弥陀寺は、武田家の奉行を勤め、昌幸の後に武藤を継いだとされる武藤三河守が、甲斐源氏加賀美遠光の崇敬した阿弥陀堂を整備したものといわれる武藤氏の菩提寺です。(阿弥陀寺:南アルプス市荊沢339)

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阿弥陀寺

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説明板

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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