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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

 南アルプス市ふるさとメールは、2023年3月末をもって配信を終了しました。今後は、南アルプス市ホームページやLINEなどで、最新情報や観光情報などを随時発信していきます。

【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプスブルーの足跡 その3 ~市内を彩った藍染めの歴史~

 旧川上村浅野長右衛門が製作し販売した藍玉。今月は藍玉にスポットを当ててみたいと思います。

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【写真1】すくも

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【図1】藍建て染めの流れ

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【写真2】浅野家で使用されていた藍玉用の石臼
 

Aimg_1905【写真3】荷物出入帳 
Aimg_1907【写真4】藍玉精藍売揚清算簿
Aimg_1901_2【写真5】「明治32年『荷物出入帳』」大井村の井上豊松の名称が見られる 

 

 明治時代初期、浅野家では、藍染めの原料となる藍の葉を現在の南アルプス市内域だけでなく、一桜村や竹居村、富士見村などの笛吹市域や徳行村などの甲府市域の旧村から仕入れていました(『甲西町誌』)。購入した藍葉は一度乾燥させ、その後、土蔵の中で水を打って発酵させて「すくも」(写真1)と呼ばれる土壌化した藍染めの原料を作ります。それを石臼と杵でつき、運びやすい形に加工したものが藍玉です。この藍玉が各集落の「紺屋」に売られ、土中の藍甕(かめ)に水、ふすまなどと一緒に入れられて発酵し、藍建て染めが行われていました(図1)。

 明治8~20年代の浅野家の藍玉販売先を見てみると、鳳来村や台ケ原村などの北杜市、向村や板垣村などの甲府市、上河東村などの昭和町、河内村や二宮村、竹居村、末木村、尾山村などの笛吹市、勝沼村などの現甲州市、上岩下村や岩手村などの現山梨市など国中地域全体に及んでいて、旧川上村が甲州の藍染めを支える藍玉生産の一大拠点であったことがわかります。   

 次に浅野家に残された明治31~32年の『荷物出入帳』(写真3)と『藍玉精藍売揚清算簿』(写真4)を見てみましょう。市内では塚原の深澤家、南湖の有泉家、田島の小田切家、湯沢の市橋家、三恵の河西家、大井の井上家、野々瀬の櫻田家、上高砂の穴水家など、市外では北杜市、韮崎市、甲府市、笛吹市、山梨市、甲州市域の多数の旧村の紺屋名が記録されています。依然として広く藍玉の販売が行われているように見えますが、注目されるのは、販売品が藍玉だけでなく、明治初期には見られなかったインドから輸入された「印度精藍」が加えられている点です。先月号でインド藍の輸入が日本の藍玉生産が衰退する一つの原因となったことには触れましたが、浅野家の帳簿にもその歴史が刻まれているのです。     

 この『荷物出入帳』でちょっと気になる名前を見つけました。明治32年9月1日、マドラス産(現チェンナイ)インド精藍と藍玉を大井村の井上豊松に販売しています。大井村の井上家と言えば、平成27年現在、南アルプス市内で伝統的な染物を営む唯一の紺屋です。幕末から平成まで7代続く井上染物店の中で豊松は3代目当主。そこで、次回は井上染物店の歴史をひもときながら、市内に残された藍染めの足跡をたどります。

 

 

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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