2015年春。北杜市武川町山高の実相寺。境内には満開に咲く桜並木。その中でもひときわ人々が集うのは、全国有数の古木として知られる山高神代ザクラ。大勢の人たちが桜を取り囲み、行き交い、草木花々を愛でながら、思い思いにアングルを変えて、咲き誇る桜と家族や仲間とのを思い出をフィルムに閉じ込めています。人々が桜の風情に目を奪われ、賑わいを見せる神代桜の傍らに、子どもの背丈ほどの石碑がひっそりと建てられています。この石碑には次のような歌が刻まれていました。
中巨摩郡落合村 藍玉商浅野長右エ門
神代の桜を見てよめる
名にしおふ みのりの寺の桜花
世も若木と 八千代おもえば
催せしわれもよろこび人々の
こころも花も そろい開けて
三十日にも
月夜と思ふ桜かな
大正九年三月
七十七翁 喜正
この石碑は現在の南アルプス市川上で藍玉商を営んでいた浅野長右エ門が、明治23年3月1日、実相寺近隣の紺屋15人を招いて花見をした時に詠んだ歌を刻んだものです。神代から続くと伝わる桜の木の下で、長右エ門と武川の紺屋仲間たちの心も花開き、笑みをたたえながら杯を酌み交わす姿が浮かんできます。
歌碑に刻まれた「藍玉」と「紺屋」。どちらも藍染めにかかわるキーワードです。藍玉は藍葉を発酵させたものをつき固めた藍建て染めの原料であり、その藍玉を基に藍染めを生業とする家が紺屋と呼ばれます。明治時代の山梨県統計書を見ると、中巨摩郡は明治30年代まで県内最大の藍葉の産地で、南アルプス市落合はとりわけその栽培が盛んな地域でした。さらに川上の浅野家は、藍葉を仕入れ藍玉を作り商う「藍屋」で、浅野家には明治~大正時代にかけて藍屋2代目の長エ門が県内各地の紺屋に藍玉を売っていた記録が残されています。長右衛門は藍玉を商う旅の途上で、春風にさらわれた散りゆく桜を眺めながら、この歌を詠んだのでしょう。
長右エ門が残したこの歌碑を足がかりに、市内を彩ってきた藍染の歴史を、次回以降ひもといていきます。
【南アルプス市教育委員会文化財課】