今回ご紹介するお像は、高尾の穂見神社の本殿奥深くに納められています。神社ですので、仏像の形をした神様の像というのが正しいのかもしれません。穂見神社については、2011年11月15日号、2011年12月15日号などで詳しく紹介しています。
全体を虫害により著しく損傷しているため、尊名は判別できず単に「菩薩形坐像」とお呼びしていますが、その構造や彫り方から11世紀頃の造立と推定されています。
秘仏とされながらも数十年に一度など、折を見て開帳されてきた仏像などとは異なり、神像は本来的に我々の前に現れることはありません。したがって、このお像の保存状態が悪いのは、決して疎かにされてきたからではなく、拝見することもはばかられるほど、畏れ敬われてきたということなのでしょう。それほど大切にされてきたのです。
現在県の指定文化財となっている穂見神社の本殿は、今から約50年前の寛文5年(1665)に再建されたものですが、おそらくそれ以降ほとんど人目にふれることは無かったのではないでしょうか。
痛々しいお姿ですが、しかし所々にのこる浅く鋭いノミ跡が往時の像容をわずかに教えてくれています。現在のままでも、信仰の対象としての価値はいささかも劣るものではありませんが、もし本来の像容が損なわれていなければ、山梨県の仏教美術史上の大きな財産となったことでしょう。
なお像底には「穂見神社 三体明神 源義光」銘があります。源義光(新羅三郎義光)は一般に甲斐源氏の祖とされる平安時代の武将ですが、近年の研究では実際に甲斐国守に補任された可能性は低いとされ、この銘文も後世のものと考えられます。
しかし穂見神社は、江戸時代の地誌『甲斐国志』には「三躰王子大福王子・大寿命王子・大智徳王子ヲ配祀ス俗ニ文殊ト称ス」とあり、少なくとも近世においては、本神社の信仰の中心は文殊菩薩の化身としての三躰王子とされてきたことが分かります。虫損により本像が何の尊像として造られたのかは明らかにできませんが、本像の宝冠を戴き、膝上に印を結ぶお姿は文殊菩薩の姿とは異なります。こうした姿で最も多いのは胎蔵界の大日如来ですが、しかしいつの頃からか文殊として信仰され、当社のご神体として本殿深く祀られてきたのでしょう。
※本像は、信仰の対象として大切に守られています。一般に公開されているものではありません。写真は文化財調査実施に際し、神社様のご厚意により特別に撮影させていただいたものです。
【南アルプス市教育委員会文化財課】