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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

平安時代の信仰(2)
―富士山信仰を表す日本最古の像―

A01_2【写真】木造浅間神像 
A02_3【写真】如来形の半身を三人の女神像が囲む 

 平安時代でも10、11世紀に遡る南アルプス市最古級の彫刻たちの中で、今回ご紹介するのは江原にある浅間神社のご神体として本殿の奥深くに安置されてきた「木造浅間神像(もくぞうせんげんしんぞう)」です。

 像の高さは40センチほど。彫り方の特徴などから平安時代、11世紀頃に造られたと見られています。浅間神社といえば、富士山を神格化した浅間大神(あさまのおおみかみ)に関わる神社として知られていますが、富士山の信仰に関わる彫刻としては現在のところ本像が日本最古の例ということになります。さらに、仏様のようなお姿を三人の女神が囲むその造形は全国的に見ても他にまったく類例がなく、古代における富士山信仰のかたちや、それに寄せた人々の想いを我々に教えてくれる貴重な文化財ということができます。

 この像の存在は以前から知られていましたが、市の教育委員会が平成18年度から22年度の5か年をかけて実施してきた市内の仏像や神像の総合的な調査によって改めてその価値が明らかになり、平成25年6月に国の重要文化財となりました。

A03【写真】浅間神社(江原) 
A04【写真】かつての御手洗池(昭和42年) 
A05【写真】浅間神社境内図(明治28年) 御手洗池が描かれる 
A06_2【写真】発掘された弥生時代の水田(油田遺跡 右上の○が浅間神社) 
A07【写真】古代大井郷の推定範囲 

 江原の浅間神社といえば、かつてその傍らには「御手洗池(みただしのいけ)」という豊富な湧水があり下流の村々を潤してきました。周辺には弥生時代の遺跡も数多く存在するので、おそらくは山梨県への稲作の伝播以降この地域の発展を支え続けた大切な水源だったのでしょう。

 古代、南アルプス市域の南半部は「大井郷(おおいのごう)」に属していましたが、その大井の名の元になったのは浅間神社の御手洗池といわれており、農業を支える神聖な水源を守る江原の浅間神社は稲作の神としても崇敬され、かつては「大井郷の総鎮守」とも呼ばれて御手洗池とともに信仰を集めてきました。

 このような歴史あふれる地域に人々の手で千年を超えて大切に守られてきたのがこの「木造浅間神像」なのです。
※木造浅間神像は浅間神社のご神体として、地域で深く信仰されているもので、一般に公開はされていません。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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