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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

根方の魅力⑦~絶景の地に王は眠る~

 シリーズでお届けしている根方の魅力。山と里とを結ぶ根方地域一帯には歴史に裏付けられた魅力が満載です。
 前回までは7000年前の定住者や、祈りを込めたムラビトの様子など、縄文時代の根方のさまざまな一面を紹介してまいりました。
 市之瀬台地上には縄文時代後期の敷石住居や晩期、さらには弥生時代から古墳時代へと原始古代の暮らしのあとが数多く刻まれています。しかし、古墳時代後期以降しばらくの間ムラビトたちの暮らしの様子を知る手がかりは遺されていません。
 市内では、古墳時代後期には根方地域ではなく低地(原方や田方)でのみムラ跡が発見されているのです。ただし、その反面、実は根方にはムラではなく古墳が多く遺されているのです。特に見晴らしの良い市之瀬台地は古墳の宝庫なのです。
 本シリーズの始めに、扇形をした市之瀬台地には放射状に流路が流れ、谷を開析し、あたかも指を広げた手のような地形をしていると紹介しました(2011年1月13日号はこちら)。
 そのたとえを借りるならば、なんとその全ての指先に古墳が築かれているのです。
市之瀬台地のイメージ【写真】市之瀬台地のイメージ 
A市之瀬台地周辺の古墳【写真】市之瀬台地周辺の古墳

 訪れることができる保存状態の良いものだけを選んでも、北から御崎古墳(御崎神社の裏の林)、無名墳(伝嗣院の東、石造大日如来坐像の鎮座するたかまり)、六科丘古墳(市指定史跡・あやめが丘住宅地内の古墳公園)、物見塚古墳(県指定史跡)、熊野神社古墳(秋山熊野神社裏のたかまり)と挙げることができます。低地に広がるムラを見守る位置に王様は眠っているのです。

A無名墳 
【写真】無名墳

 かつての伝嗣院の境内にある無名墳の上には市指定文化財「石造大日如来坐像」が鎮座している。

A六科丘古墳
【写真】六科丘古墳(市指定史跡)

 あやめが丘の新興住宅街の開発字に発掘調査が行われた六科丘遺跡の一角にある円墳で現在は古墳公園として整備されている。

まずは中指の物見塚
 最も長い中指にあたる、一番甲府盆地に突き出している舌状台地は中野・上野地区にあります。この地に南アルプス市でもっとも古い古墳のひとつ「物見塚古墳」が築かれています。

A物見塚 
【写真】物見塚古墳

物見塚古墳の航空写真 
【写真】物見塚古墳の航空写真

 台地の縁辺部の地形に沿って築かれている前方公円墳の形がよくわかる。

児童手描きの説明板 
【写真】児童手描きの説明板

 櫛形西小学校の児童が地域の歴史を学んだ1年間の成果として、文化財課と連携して手描きの説明板を作成しました。

 物見塚古墳はかつて「銭塚」などとも呼ばれ江戸時代から知られていた古墳で、現存する唯一の前方後円墳で、4世紀末ごろのものとみられます。
 前方後円墳はどの豪族でも造れるものではなく、ヤマト王権にみとめられた者のみが造ることが許されたといわれます。つまり、南アルプス市の古代のクニはヤマト政権に属していたことがわかります。

 物見塚古墳は台地の先端、やや下った眺望の良い場所に築かれ、もともとは表面に葺石が施されており崩れにくく、また、遠めでも目立つ造りだったようです。明治期以降、開墾が促進されていく中で、古墳の一部も崩され、葺石の石は剥がされ畑の石積みへと転用されてしまいます。そのため、今では古墳の表面に地崩れが起きてしまい、緊急措置として取り急ぎ土嚢が置かれていますが、一刻も早い古墳整備とそのための調査が必要といえるでしょう。
 昭和54年には古墳のすぐ脇に農道工事が計画されたことから古墳の範囲確認調査が行われ、鉄剣や刀が出土しています。また、それよりさかのぼった江戸時代には「捩文鏡」といって4世紀代を示す銅鏡も出土したとされ、昭和18年の文献に写真で紹介されていますが、その時すでに現物は行方不明となっており、現在にいたっているのです。
 
 物見塚古墳のある、市之瀬川と堰野川に挟まれた舌状台地には古墳やそのほかの史跡が点在し歴史の散歩道として最適です。小学校の授業でもよく訪れるコースの一例を紹介しましょう。
 まずは別名「椿城」で知られる上野城跡から始まり、台地の最も高い場所には物見塚古墳の後の首長の墓とみられる上ノ東古墳があります。5世紀代とみられ、硬玉製の勾玉(まがたま)が出土しています。さらには物見塚古墳よりも下ったところには後期古墳の塚原上村古墳(つかはらわでむらこふん)がり、横穴石室が口を開けています。この一帯は「塚原」という地名で、かねてより塚(=古墳)が多かったことを示す地名といえます。
上ノ東古墳出土勾玉写真】上ノ東古墳出土勾玉

塚原上村古墳【写真】塚原上村古墳
 

物見塚古墳の前にウシが
 昨年冬より、物見塚古墳の前にウシさんが現れました。NPO法人南アルプスファームフィールドトリップによる遊休農地解消事業として実施されているもので、古墳群をめぐる小道の周りにある農地の草を食べてもらい環境を整備しようという取り組みなのです。
 このNPO法人はかねてより文化財課と連携しながら、観光農園の方が果物狩りのお客様をお連れして史跡などを案内できるようにするガイドの養成や、われわれが行う史跡めぐりに協力していただくなど様々な先進的な事業を実施している団体です。
 3月末には原子力発電所の事故で知られる福島県飯館村のウシ2頭もこの取り組みに加わりましたが、現在はこのウシさんたちは他の農場へ移動しています。また10月頃より同じウシかもしくはヒツジなど子供たちが喜びそうな動物たちが再び古墳の周りをきれいにしてくれる予定です。その頃には古墳と動物に触れる史跡めぐりツアーも予定しています(詳細はこれからです)。
 
ウシ 
【写真】物見塚古墳の目の前の畑で草を食べるウシさんたち
 
古墳をめぐる
 これら根方に広がる古墳群を巡るコースは「遺跡で散歩」シリーズのガイドマップvol2「眺望の大遺跡群 市之瀬台地を歩く」でも紹介しており、マップを片手に歩いてみてはいかがでしょうか?椿城跡など様々な歴史の足跡を辿りながら、王様目線で眺望を楽しめます。
 
物見塚古墳の前を歩く児童たち 
【写真】物見塚古墳の前を歩く児童たち

 このコースは小学校6年生の授業でも多く活用されています。

案内板 
【写真】児童手描きの案内板

 コースの途中にも児童による手描きのかわいらしい案内板があるので、散策をしながらほほえましい気分にさせてもらえます。

 
 今回も根方の魅力を紹介しましたが、山と里を結ぶこの一帯には歴史に裏付けられた魅力が満載なのです。次回も引き続き根方の魅力を紹介します。

 

[南アルプス市教育委員会文化財課]

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