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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

堤の原風景(2) 現代に残る霞堤

 前回ご紹介した霞堤は、現在でも市内でわずかに当時の姿を見ることができます。今回のふるさとメールでは、霞堤を訪ねる散歩に出かけましょう。

 まず、霞堤に出合えるのは、国道52号線に架かる御勅使橋のたもとから御勅使川沿いの道に入り、東へ進んだところです。堤防と堤防の間には広く空き地が広がり、今でも遊水池が確保されていることが分かります。少し注意深く観察しながら歩くと、不連続に続く小高い盛り土が次々と現れ、途切れている堤防の形を実感することができます。現在の道は堤防を土台として造られているので、足の下に霞堤を感じながら、かつて遊水池であった低い土地に下り、そしてまた次の堤防の道上に上ることを3回ほど繰り返すと、信玄が開削したとの伝承が残る「堀切」にたどり着きます。

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現代に残る霞堤(御勅使川堀切付近)

 今度は、野牛島にある旧運転免許センター付近に足を延ばしてみましょう。旧運転免許センターの北側を東西に走る県道甲斐芦安線は、明治時代まで御勅使川の流路のひとつである「前御勅使川」であったことは以前ご紹介しました。その県道上にある野牛島の交差点の北西側の住宅の合間に、前御勅使川の左岸を守る霞堤の一部がひっそりと残されています。堤防の上には富士浅間神を祭る小さな祠(ほこら)が建てられ、かつては「富士講」が行われていたそうです。

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【左】野牛島に残る前御勅使川左岸の霞堤
【右】霞堤の上に祀られた富士浅間大神祠

 一方、旧運転免許センターの南側を見ると、こんもりとした土手が東西に続いていて、その上が道路となっています。この土手も御勅使川の右岸を守っていた霞堤から続く古い堤防の一つで、堤防がある徳永地区の旧村社熊野神社にちなみ、「お熊野堤(おくまんどい)」と呼ばれてきました。戦後、県道沿いの開発が進み、不要となった前御勅使川堤防はそのほとんどが削平され、道路や住宅に姿を変えました。その中で、御熊野堤は前御勅使川の堤防の姿を留めている数少ない遺跡の一つとなっています。

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【左】前御勅使川(旧運転免許センター付近)
【右】お熊野堤

 また、旧運転免許センターの北側に目を向けると、現在は平らな駐車場が広がっているだけで堤防の姿は見られません。しかし、発掘調査によって駐車場の地面の下から石積みの前御勅使川堤防が発見されました。現在、目にすることができるかつての堤防は多くはありませんが、まだ多くの霞堤が私たちのすぐ足元に眠っているかもしれません。

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発掘された前御勅使川左岸の霞堤(旧運転免許センター駐車場)

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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