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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

山中に分校ができるほどの賑わい 芦安鉱山

 南アルプスに鉱山があったのをご存知ですか。早川左岸の高台にあり、大正3年から昭和30年代の初めまで金や銅を産出し、早川側からドノコヤ峠(1586m)を越えて御勅使川の芦安地区まで運び出していました。鉱山のあった場所は、町村境が未確定で当時は芦安村分と考えられていました。昭和11年、芦安村と西山村(現早川町)の境界線画定により現在は早川町にあります。現在、芦安からこの峠を越え、早川町側の沢沿いにしばらく下ると、右手側に住居用に造成した石積み等が見えてきます。ここが芦安鉱山の跡です。従業員の住宅や学校跡などがあり、一升瓶や陶磁器など当時を偲ばせるものを今でも見ることができます。ほとんどの建物は朽ち果て、坑道も塞がれていますが、当時の面影を残しています。

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【写真・左】=鉱山の発掘風景
【写真・右】=コンクリートで塞がれている坑道入り口

 鉱山開発は大正3年、東京の実業家が「土ノ木屋」(注1)山の金銅鉱石の採掘を県に出願し鉱山局より許可が下りたことにより始まります。鉱山では銅と少量の金が採掘され、地下を坑道が縦横に走っていたといいます。鉱山への道は険しく山道は未整備だったため、桃の木温泉まで索道(空中に架け渡したケーブル)が作られ、鉱石や物資が運搬されました。
 最盛期には250名ほどが鉱山で暮らし、芦安小学校の分校も設置されるなど大変な賑わいを見せました。
 戦後は外国からの良質で安価な鉱石におされて採算が取れず閉山します。その後、昭和20年代終わり頃、小規模ながら鉱山が再開されますが30年代初めに再び閉山し、現在に至っています。

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【写真・左】=ダイナマイトの入っていた木箱
【写真・右】=住居跡の風景

 芦安地区のお年寄りの話によると、この芦安鉱山の他、金山沢、下梅津沢でも一時期銅鉱石を掘ったことがあるそうです。

注1:ドノコヤには「土ノ木屋」「土ノ小屋」「銅之古家」等の漢字が使われました。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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