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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

山中に泊まり込みで炭焼き

 前回のふるさとメールは、野呂川上流からの木材搬出方法についてお話しました。今回のふるさとメールは、芦安地区で行われていた炭焼きについて紹介します。

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【写真】=木炭を運ぶ様子

 大正の頃の炭焼きは、村に近い御勅使川入りから夜叉神峠を越えてはるか野呂川入りまで行なわれていました。村に近い所で焼くときは家から通って焼きましたが、野呂川入りで焼くときは宿泊小屋を作って作業をしたといいます。小屋は丸太の掘っ立て小屋で2坪か3坪程。多いときは炭焼きのための宿泊小屋が30数棟建てられ、小屋の周辺は賑わいを見せたといいます。

 昭和になると次第に炭焼き区域が狭められ、御勅使川入りで行われるようになります。ここは大部分が県有林のため、秋になると炭焼きをする場所を入札で決めるようになります。昭和10年には木炭改良組合を結成して炭焼きをする場所を公平に分配し、終戦後は生産から販売まで組合が一貫して行ったそうです。

 ここで炭焼きの様子をのぞいて見ましょう。
 個人の割り当てが決まると、その中で集材に適した場所を選び、石を積み上げて炭焼き窯を作ります。周囲に石がなければ遠方から背負って運び、横1m、縦2mくらいの馬蹄形を作り、天井は細長い石をかみ合わせます。すき間には小石を詰め、外気が通らないように、その上から赤土を目張り塗りして仕上げました。
 木炭の元となる原木はナラや雑木が選ばれました。ナラは木炭にする過程での目減りが少なく、炭は硬質で火持ちがよかったそうです。このような木を長さ1mぐらいに切り、太いものはそれを二つ割、四つ割にし、窯の近くに積み上げます。その原木を窯の奥からぎっしり並べ火をつけます。最初は煙出孔から薄黒い煙が出ますが時間がたつと白く薄れ、ころあいを見計らい真紅の炎がメラメラと渦巻く釜からかき出し、消し床へ寄せて消化灰をかけると、木炭が出来上がります。

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【写真・左】=夜叉神峠登山道沿いに残る炭焼窯跡
【写真・右】=ドノコヤ峠沿いに残る炭焼窯跡

 戦中などは木炭の増産や技術の向上に励んだそうですが、時代の急激な変化により次第に生産されなくなります。夜叉神峠の登山道沿いには当時をしのばせる炭焼き窯の跡があり、そばには立て札があるので、ハイキングの途中で見てみてはいかがでしょうか。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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