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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

芦安の地に来た武将 名取将監

 南アルプス市芦安地区には、武田信虎に使えた名取将監(しょうげん)という武将の伝説が伝わっています。将監は信虎の家臣として直接進言できるほどの地位に上りますが、信虎の傲慢な振るまいに苦言を呈したことにより、武田家を去ることになります。その後、芦安地区に住んだと伝えられます。今回のふるさとメールでは、芦安地区に語り継がれてきた名取将監のエピソードを紹介します。

 信玄の生まれる少し前、永正年間に信虎は領内を統一し、その後、戦国大名として大きく前進します。このころから信虎は慢心して、傲慢な振る舞いが多く、家臣のひんしゅくをかうようになったと言われます。地元に伝わる話では、将監もまたこれをみるにつけ、心を込めて苦言を呈しましたが、信虎の機嫌を損じ、ついに武田家を去ることになったのです。
 その後血のつながりもあり、近郷にも名の聞こえていた郷士、名取弾正左衛門(なとりだんじょうざえもん)を頼って今の芦安地区大曽利に居を定めてこの村の住人になりました。

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【写真】=大宝寺にある名取将監のお墓

 芦安は耕地が少なく、村人は山に入って木を切り出したり、加工品を作ったり、炭焼きなどして生計を立てていました。もともとが武人であった将監は、山の仕事など知りません。日ごろから手馴れている弓矢を携えて、山野に鳥獣を狩って生業としました。
 ある日、将監は野呂川の奥深い山中に入りました。今でいう南アルプスの山に足を踏み入れたのです。この山中で「鹿を逐(お)う猟師、山を見ず」のたとえ通り、大鹿を追ってアザミ沢の渓谷深くに入ってしまいました。鹿を見事に射止めたものの、谷は深く、断崖絶壁、あたりの山谷から狼の遠吠えも聞こえる山中に、一夜を明かすことになりました。恐ろしい闇におののきながらもこの恐怖に負けまいと、日ごろから深く信仰している観音経を一心に唱え続けて救われました。今の野呂川林道、御野立所前の渓谷だったので、この谷を観音経渓谷と呼ぶようになったといいます。この谷は深く刻まれ、谷底が見えない恐ろしさがあり、南アルプス林道開削に当たっても工事の難所のひとつといわれたところです。

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【写真】=観音経渓谷より望む白根三山

 名取将監は、大曽利窪(おおそうりくぼ)区の山際に、多賀明神を祀って守り神とし、村の繁栄と家内安全を祈りました。他にも津島牛頭天王(つしまごずてんのう)を祀り、疫病に悩まされた人々の心を静め、旧暦6月15日には疫病退散を願い、祇園祭を行いました。

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【写真】=妙定寺(この周辺は殿屋敷と呼ばれています)

 名取将監は、文献などにあまり出てこない謎の多い人物です。しかし、芦安地区の誇りとして、祭りや信仰、諸行事は名取将監と結びつけて語り継がれてきました。芦安地区の大曽利には殿屋敷という地名があります。ここは名取将監の屋敷跡といわれ、現在はお寺がひっそりと建っています。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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