南アルプス市ふるさとメールのお申し込みはこちら

南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

南アルプス市ホームページへ

市役所便り・イベント情報

ふるさとニュース

山梨県内のニュース

プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

南アルプス市ふるさとメール閲覧ページのURLアドレスが変わりました。ブックマーク(お気に入り)やリンクのURLアドレスの変更をお願い致します。

https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/

2020年10月

【季節の便り】

重要文化財安藤家住宅「秋の紅葉ライトアップ」

A201 A202

 築312年を迎えた安藤家住宅の紅葉をライトアップいたします。晩秋の古民家の幻想的な雰囲気をお楽しみください。

期 間]11月21日(土)~11月23日(月・祝)
時 間]16:30~20:00(最終入館19:45まで)
場 所]重要文化財安藤家住宅(南アルプス市西南湖4302)
入館料]大人300円 小中高生100円

お問い合せ>南アルプス市文化財課 TEL055-282-7269
または 安藤家住宅 TEL055-284-4448


鷹尾山穂見神社 秋季例大祭

 櫛形山の高尾地区にある穂見神社では、五穀豊穣や商売繁盛を願い毎年11月22日~23日にかけて夜祭が行われています。今年は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、神楽の奉納は行われませんが、奉納金を納めると商売繁盛・家内繁盛の元手となる資本金を受け取れる「資本金貸し」などの伝統行事が行われます。

A_3 A_4

日 時]11月22日(日) 10:00~22:00
     11月23日(月祝) 9:00~12:00
場 所]穂見神社(南アルプス市高尾498)

お問い合せ>鷹尾山穂見神社崇敬会 TEL090-4020-8420

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【季節の便り】

沢登の六角堂切子祭り

A

 10月13日、沢登地区六角堂の例祭が行われました。新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、今年は、子ども神輿などのお祭りを中止し、密集を避け、神事と六角堂への切子の奉納のみが行われました。
 切子は「つきのみ」という刃物で、美濃和紙に図柄や模様を切り出していくため、とても繊細で高い技術が求められます。300年以上の歴史があり、今年も52点が六角堂に奉納されました。

 沢登切子保存会ホームページは、こちらから。

B

 

絵で楽しむ歌舞伎世界

 今から400年以上も前、出雲の阿国という女性の「かぶき踊り」という踊りが始まりとなり、江戸時代に人気を博した歌舞伎。当時歌舞伎役者は今でいうアイドル的な存在で大変人気があり、庶民の間で盛行した浮世絵にも様々な形で描かれ人々の間に溶け込んでいきました。
 今展では、当館所蔵の役者絵を、歌舞伎の演目ごとに展示します。浮世絵に描かれた役者たちが、どのような芝居の中で、どのような役を演じたのか、独特のポーズやお化粧方法・衣装などを紹介し、歌舞伎をより身近に感じながら、役者絵を楽しんでいただきます。

期 間]10月31日(土)~12月20日(日)
時 間]9:30~17:00(入館は16:30まで)
場 所]南アルプス市立美術館(南アルプス市小笠原1281)
休館日]11月2日(月)、4日(水)、9日(月)、16日(月)、24日(火)、30日(月)12月7日(月)、14日(月)
入館料]一般320円・大高生260円・中小生160円
※入館料には団体割引などがあります。小学生未満・65歳以上の方は無料です。
※小・中・高生は毎週土曜日無料です。

A_2

名取春仙《十五代目市村羽左衛門助六》
※無断転載禁止

A_3

山村耕花《梨園の花 市川猿之助(猿翁)の早見藤太》
※無断転載禁止

※新型コロナウイルスの感染状況により、臨時休館する場合もあります。開館情報につきましては当館ホームページでご確認いただくか、電話にてお問合せください。
※来館の際にはマスクの着用、入口での手指消毒等、感染防止へのご協力をお願いします。

詳しくは、南アルプス市立美術館ホームぺージをご覧ください。

<お問い合せ>
南アルプス市立美術館 TEL 055-282-6600

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【連載 今、南アルプスが面白い】

開削350年 徳島堰(2)

 前号に引き続き、完成して今年で350年の「徳島堰」についてご紹介いたします。
 今回は、この堰を作るきっかけとなった徳島兵左衛門の計画や、実際の工事に見られる特徴、工事に立ちはだかった難敵についてと、またよく耳にする徳島堰で舟運が計画されたという点についても、事実かどうか技術面と併せてみていきたいと思います。

 

徳島兵左衛門の計画

 徳島兵左衛門と徳島堰の開削については、これまで諸説が伝わり、通常は以下のようにまとめることができます。
 徳島兵左衛門が釜無川右岸の水利が乏しく広大な荒れ地が存在することを知ったことで、自身の発願により、甲府藩の許可のもと工事を実施したもので、上円井と鰍沢を結び、付近の芝地を開発し、且つ富士川の舟運を上円井まで遡上しようと計画したが、道半ばにおいて不遇の内に新田堰を藩主徳川綱重へ差出し、いずれかへ立ち去ったという内容です。
 最近では、工事が兵左衛門による発願ではなく甲府藩からの委託だとする説もありますが、いずれにしろ兵左衛門は、御勅使川の水量では御勅使川扇状地一帯に水を行き渡らせることができないと考え、韮崎市円野町上円井から釜無川の水を引くこととしています。

 

 取水口から最終地点の曲輪田新田までの17kmは、遠方まで水を届けるために緩やかな勾配で山裾を地形に沿ったルートを取っています。その分、西の山々からは何本もの川が流れ下っており、徳島堰を造るにあたって最大の悩みの種は、これらの川の存在でした。これらの川をいかに横切らせるかと、川が運び込む土砂の対策でした。

A_9

【写真】徳島堰絵図(慶応4年)

 

 堰が川を渡る方法は主に三種の方法が採用されました。「埋樋(うめどい)」、「掛樋(かけどい)」、「請込(うけこみ)」と呼ばれるものです。多くの川では川の下に木製の箱樋(はこどい)を埋め、トンネル(埋樋・暗きょ)にして水を流しました。他には川の上を木製の樋を橋のように渡して横断する方法(掛樋)や、後世になると山から流れ下る川の水をせき止めて徳島堰の水と一緒に堰に流す方法(請込)などが用いられました。しかし、請込の場合、山から絶えず土砂が運び込まれ堰へ流入してしまうため、請込のすぐ下流に土砂の排出口を設け、常に人力で排出する作業が必要でした。
 そのため、川を横切る方法として優先すべきは、川と堰とを立体的に交差させ、水や土砂が交わらないようにすることでした。ただし、山から流れ出る川は土砂を運び込むため、河床が高くなていきます(天井川化)。そのため、当初は、川の方が低いところを流れていた「掛樋」の場所が、数年後に河床があがったことで「請込」になり、さらにその後「埋樋」に変わってゆくというように、時間の経過につれて横切る方法も見直さなければいけませんでした。
 

A2

【写真】徳島堰絵図(慶応4年)に描かれた埋樋(下円井村入戸野村境)

A3

【写真】徳島堰絵図(慶応4年)に描かれた掛樋(上条北割村)

A4

【写真】徳島堰絵図(慶応4年)に描かれた請込(寺沢請込)

 ルート上、旧折居村の山吹沢など四箇所の大難場があったと言われますが、中でも最大の難所が御勅使川でした。御勅使川は川幅が六〇〇メートルもあり、天下の暴れ川として知られる河川です。兵左衛門が御勅使川を横断する最初の方法として採用したのが「板せき」と呼ばれる工法で、御勅使川の水を板を並べてせき止め、徳島堰の水と合流させて堰に流すという方法です。板せきは、徳島堰と御勅使川の河床が同じ高さであったことがうかがえますが、それから四十年あまりの間に御勅使川の河床が上がったため、埋樋に変えられ現在のように暗きょとして川の下を横断したものと考えられます。

A5

【写真】御勅使川暗渠入口(韮崎市側)

A_5

【写真】御勅使川暗渠出口(南アルプス市側)

 『徳島堰根源記』という記録には、江戸から連れてこられた技術者と考えられる人々の名前が見られます。大強力富野喜兵衛、大工頭中野作衛門、力者頭富野長兵衛などは専門技術者とみられ、起伏に富んだ地形に合わせ一定の勾配を保つ測量の技術と、これらの川を横断する高い土木技術は江戸から導入されたものと考えられます。これらの技術と、地元の人々の力によって通水が成功するのです。
 現在ふるさと文化伝承館で開催されているテーマ展「開削350年 徳島堰」には、富野長兵衛氏の末裔の方が見学に来られ、通水後も上円井に残り、その後の堰の管理などに携わっていたこともわかりました。

 

舟運計画は本当か

 徳島堰は耕作面積を増やす目的の他に、舟運の構想があったとされます。
 昭和34年に刊行された「徳島堰誌」(三枝善右衛門編)には「主目的は、上円井から鰍沢迄、幅2間、長さ7里余の運河開鑿の計画であった」とあり、またそれより前、文化4年に作成された「徳島堰由来書」には、当初は用水路の開削のみでなく「上円井村地内より釜無川を引き入れ、同州鰍沢迄里数七里の間用水引き通し、右堰筋通船致すに及び、信州より、、、、」とあります。
 実際のところ、着工する前年の寛文4年に兵左衛門が上円井の諏訪神社神主に宛てた証文中に「此度、巨摩郡上円井村より同郡鰍沢迄、巾弐間、長七里余新田堰堀渡し祈願に付、、、」とあるので、この証文の文言を引用したものと考えられ、確かに構想段階では、兵左衛門は用水路の終着点を鰍沢にしていたと考えられます。
 鰍沢は、十七世紀初頭に整備された富士川舟運における甲斐国の最大拠点でもありますから、兵左衛門は新たな水路と舟運との接続を想定していた可能性は高いでしょう。しかし、証文中にそのような言葉は無く、先述した由来書などを作成するにあたり、その可能性の部分が補足され、主な目的として語り継がれることになったものと考えられます。

 

 現実的には、先ほど紹介したように、ルート上には掛樋や埋樋などを二十箇所以上設置しなければならず、また、舟を通すには勾配が急すぎて舟を通すだけの水丈を確保出来ないことなどから、そもそも不可能といえます。
 徳島堰のルートは、先述した通り、緩やかな勾配を取ることでなるべく長距離先に水を運ぶよう設計されていますが、上円井から曲輪田新田までの距離約17kmで落差は約50mほどとなります。1mにつき約3㎜の勾配と言え平均勾配は約340分の1です。
 もし鰍沢まで通水した場合、曲輪田新田の標高が約400m、鰍沢の標高が約250m弱で、距離が約10kmですので、平均勾配はさらに急な約70分の1となります。
 通常、船を動かすための運河は、流速が遅く水深が確保できる1000分の1以下の勾配が望ましいそうです。ということは、現在完成している部分でさえも勾配はその3倍の急こう配といえ、鰍沢までとなると、そもそも船を通すことは不可能な斜面地といえます。
 それでも船を通す場合、水路部分の勾配は緩やかにしておいて各所に段差を作り、水位調整のための閘門(こうもん)を取り付けることとなります。江戸時代にも閘門の技術は生まれる(徳島堰よりも約60年後に見沼代用水において日本初の閘門が設置される)徳島堰でそれを行おうとすると何十か所と必要となるため、現実的とは言えません。
 ちなみに、昭和40年代から改修された現在の徳島堰の勾配は、約1000分の1といいます。そのかわり、ルート内に45か所以上の段差工が設けられているのです。

A_4

【写真】段差工の様子

 


 実際に設計をすれば、急勾配の問題と、山から流下する河川を渡る問題がすぐに判明するわけで、兵左衛門も、早い段階で鰍沢までの通水プランをやめ、予定よりも水路の幅も狭め、用水路目的の一本に絞ったとみられます。

 

矢崎家が受け継ぐ

 寛文七年、兵左衛門の後、事業を引き継いだ甲府藩より堰の復旧工事を命じられたのが、武田氏旧臣を出自とする有野村の矢崎又右衛門とその父佐治右衛門でした。矢崎父子はまず数ヶ月かけて測量・設計を行ったのちに復旧工事に着手しますが、工事開始早々の寛文8年5月には立て続けに三度も水害に見舞われ、釜無川の取水口や御勅使川の板せきなど各所に被害が発生します。徳島堰と交差する巨摩山地から流れ出る川の数々は、たびたび多くの土砂を含んだ洪水を起こし、堰を破壊してしまいます。そのため、埋樋のように川と堰とを立体的に交差させて対策するのですが、一筋縄では進められなかったようです。その後も損壊と修復とを繰り返し、寛文10年(1670)に完成へと漕ぎ着けるのです。
 それがちょうど今から350年前のことであり、その後も改良に改良を加え、現在まで、南アルプス市の暮らしを支え続けているのです。

A_7 A_8

 【写真】「開削350年 徳島堰」のチラシ

 

<参考文献>
「徳島堰誌」1959
「続 徳島堰誌」徳島堰土地改良区 2018

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

ふるさと人物室 第8回「博-ひろめる-廣瀬元恭」

A

 廣瀬元恭(1821-1870)は、藤田村(現南アルプス市)に祖父・父ともに儒医の医家に生まれました。弘化元(1844)年京都に蘭学塾「時習館」と蘭方医院を開業し、塾の門人には、陸奥宗光・佐野常民・田中久重らが名を連ねています。博識で医学のみならず、理学、兵学等の書を著しました。元恭が博めた医学・物理学史上の功績をぜひ、ご覧ください。

会 期]令和2年10月10日(土)~令和3年3月7日(日)
場 所]櫛形生涯学習センター ふるさと人物室(南アルプス市小笠原1060-1)

あわせて講演会も開催されます。

演 題]「蘭学医学者 廣瀬元恭」
日 時]令和2年10月18日(日) 13:30~15:00
場 所]櫛形生涯学習センター あやめホール
講 師]作家 鬼丸智彦氏
*要申込、受付は市内各図書館

 詳しくは、こちら(南アルプス市立図書館ホームページ)をご覧ください。

お問い合せ>南アルプス市立図書館 TEL 055-280-3300

 

秋の自然観察会

A_2

 冬が近づくエコパ伊奈ヶ湖にはどんな生き物たちがいるでしょうか。自然観察指導員と一緒に探してみましょう。

日 時]11月22日(日) 10:00~12:00
対 象]どなたでも(小中学生以下は保護者同伴))
定 員]10名
参加費]300円/名
申込期間]10月1日(木)~11月18日 (水)
※雨天中止。開催日時、定員等については、新型コロナウイルス感染拡大の状況によって変更する場合があります。

お問い合せ>エコパ伊奈ヶ湖 グリーンロッジ TEL 055-283-8700

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから