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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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2016年7月

【季節の便り】

貴陽狩り体験
~南アルプス市発祥の世界一のすもも~

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 皆さん "貴陽" って知っていますか? すももの中でも世界一の重さを誇る"きよう"は美味しさも世界一!
 淡いクリーム色の果肉からあふれ出すジューシーな果汁は、甘さと酸味の絶妙なバランス。木で熟した貴陽をぜひ一度味わってください。
 
[受入期間]7月23日(土)~8月中旬
[受付時間]9:00~15:30
[入園料金]大人2000円 小学生未満1000円
 ※お土産に3個もぎとってお持ち帰り。(農園で試食をご用意いたします)
 詳しくは、こちらをご確認ください。



南アルプス市サマーフェスティバル

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 南アルプス市最大のイベント"南アルプス山麓サマーフェスティバル"が今年も開催されます。
 夏のフルーツ 桃・すもも・ぶどうなどが旬の時期に盛大に行われます。
 皆さまぜひお出かけください。

[開催日]7月30日(土)※小雨決行
[時 間]16:00~21:00
[場 所]南アルプス市櫛形総合公園
[内 容]新鮮な農産物直売・各種出店・アンパンマンショー・お笑い芸人ショー・花火他
 詳しくは、こちらをご確認ください。



平成28年度職員採用試験PR動画が完成

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 この度、南アルプス市では平成29年度に採用する職員向けにPR動画を作成しました。
この動画は、若手職員が中心となり作成したものです。
動画を視聴し、若手職員の熱い想いを感じてください。
 動画は、こちらからご覧ください。

[南アルプス市役所 秘書課]
「広報 南アルプス」はこちらから

【連載 今、南アルプスが面白い】

南アルプス市を駆けた武田家家臣 その6

■ 土屋惣蔵昌恒(つちやそうぞうまさつね)
  武田家と命運をともにした武将

 
 土屋昌恒は先月ご紹介した土屋昌続の弟で、南アルプス市徳永を拠点とした金丸虎義の五男として生まれました。成長すると駿河の武将土屋備前守の養子となり、土屋姓を名乗ります。信玄の病没後、その家督を継いだ武田勝頼の側近となりました。天正3年(1575)、武田軍が織田・徳川連合軍に長篠の戦いで敗れ、兄昌続が戦死したため、昌続の「土屋」姓も継承することになります。

 天正9年12月、武田勝頼は韮崎市七里ヶ岩の上に新しい府中である新府城を築き武田家の再建を目指しますが、翌年の1月末に美濃との国境を守る木曽義昌が反旗をひるがえして織田と結ぶと、伊那・飛騨から織田軍、駿河から徳川軍、伊豆、相模から北条軍の侵攻が一気に始まります。さらに信玄の娘を妻としている親族衆穴山梅雪までもが徳川家康に寝返るなど、武田軍は主だった反撃もできないまま総崩れとなり、勝頼は3月3日には完成したばかりの新府城を捨てて、譜代の家臣小山田信茂(おやまだのぶしげ)の薦めた郡内の岩殿城を目指すことになります。この時付き従う家臣は土屋昌恒はじめおよそ六百名でしたが、郡内へ向かう途中にも多くが離反し、さらに小山田信茂までもが裏切ったため、一行は笹子峠を越えることができませんでした。

 3月11日、昌恒ほか勝頼一行は五千もの織田軍に現在の甲州市大和町田野に追い詰められます。数万の軍勢を動かしてきた武田家もこの時まで勝頼に従った武将はわずか四十数人。その中には昌恒だけでなく弟二人も付き従っていました。昌恒は、すでに勝敗が決している戦いの中で大軍を前に弓で奮戦し、最後まで勝頼を守り続けました。昌恒の働きは、戦後織田方からも賞賛され、「よき武者数多を射倒したのちに追腹を切って果て、比類なき働きを残した」と『信長公記』に記されています。また、その活躍から、昌恒が崖の狭い道筋に立ち、片手に蔓、片手に刀を持って押し寄せる敵の大軍を防いだという「土屋惣蔵片手千人斬り」の伝説も生まれました。
 
 天正17年(1589)、徳川家康は鷹狩りの途上、静岡県清見寺を訪れました。そこで一人の子供と出会います。その子がお茶を出す姿に、家康は「尋常の者ならず、何者の子ぞ」と住職に問いました。住職が土屋昌恒の子と伝えるとあの忠臣昌恒の子かといたく納得し、家康が身柄を引き取ります。大河ドラマ「真田丸」で家康が信頼する側室阿茶の局を斉藤由貴さんが演じていますが、昌恒の子はその阿茶の局の養子となり、後に徳川秀忠に仕え(※3)忠直と名乗ります。慶長7年(1602)には千葉県久留里藩(くるりはん)を与えられ、初代土屋藩主となりました。 

 時は流れ元禄14年(1701)に起きた赤穂事件(忠臣蔵)に、忠直の子孫たちは深く関係します。一人は土浦藩主で事件当時老中職にあった土屋政直(まさなお)で赤穂浪士を裁く立場となり、もう一人は敵役吉良邸の隣に住んだ土屋主税(ちから)で、討ち入りを見逃すだけでなく高提灯を掲げ赤穂浪士を助けたといわれています。
 
 最後まで武田家と命運をともにした昌恒の血筋は、時を超え現在でも全国に広がっています。

Ahaka_3 【写真】昭和40年代土屋昌恒の墓(徳永)

A1280pxkatsuyori_died_at_m 【写真】『天目山勝頼討死図』歌川国綱

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

南アルプス開山祭が行われ、南アルプス林道も開通しました

 6月25日、南アルプスへの登山口、広河原で南アルプス開山祭が行われました。この、開山祭は、南アルプスの夏山シーズンの幕開けを告げる行事として、先駆者の偉業に感謝し、入山者の安全祈願、山岳観光の活性化を祈って、毎年この時期に開催されています。

 開山祭では夜叉神太鼓保存会が夜叉神太鼓を披露した後、出席者全員で、山で命を落とした先人達に黙祷を捧げ、献花が行われました。

 なお、この日は広河原に続く南アルプス林道も開通したため、多くの登山客がバスやタクシーで訪れていまいた。

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南アルプス林道のマイカー規制

山梨県では、自然環境の保全と通行の安全確保のため、マイカー規制を実施しています。南アルプス林道は、一般車両の乗り入れが芦安までとなりますので、芦安駐車場を利用し、そこからは路線バスまたはタクシーをご利用ください。
 
[規制期間]平成28年6月25日(土)から平成28年11月9日(水)
※この期間以外は冬期閉鎖のため全面通行止めとなります。
詳しくは、こちらをご確認ください。



山岳観光案内所がオープンしました

芦安地区市営駐車場内に「山岳観光案内所」が開設されました。登山の案内や宿泊、観光の案内などを行います。登山計画書の用紙もありますのでご活用ください。
 
[開設期間]平成28年6月25日~平成28年11月9日(期間内は無休)
[電話番号]055-288-2212
詳しくは、こちらをご確認ください。

[南アルプス市役所 秘書課]
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