南アルプス市ふるさとメールのお申し込みはこちら

南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

南アルプス市ホームページへ

市役所便り・イベント情報

ふるさとニュース

山梨県内のニュース

プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

南アルプス市ふるさとメール閲覧ページのURLアドレスが変わりました。ブックマーク(お気に入り)やリンクのURLアドレスの変更をお願い致します。

https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/

2010年12月

【季節の便り】

今年もあとわずか 良いお年をお迎えください

 早いもので今年もあとわずかとなりました。年末恒例の今年を象徴する漢字一文字は、予想どおり「暑」でしたね。「今年の10大ニュース」も新聞やテレビなどで報じられていますが、皆様にとってこの1年はどんな年だったでしょうか?
Malps101215_1 南アルプス市では、先日(12/12)、1年を締めくくる恒例の「かきまつり『まいもん朝市』が盛大に行われました。姉妹都市の石川県穴水町から、新鮮な岩がきをはじめとする多くの海産物が直送され、多くの市民で賑わっていました。会場は、岩がきやホタテ貝などを焼く煙と、磯の香りと醤油の焦げる香ばしい匂いに包まれ、ノドを鳴らしながら取材をしました。
 これから、寒さも一段と厳しく、空気の乾燥した日が続きます。そこで、私たちの生命・財産を守るため、日夜業務に励んでくれている消防隊員の訓練の模様を紹介します。

▼広報こぼれ話[2]

Malps101215_02 火災現場で勇猛果敢に、ドアや窓ガラスを突き破り、煙と火の中を冷静な行動で見事人命救助を行う消防隊員の活躍を、テレビのドラマやドキュメンタリー番組で見たことがあると思います。かっこ良く、勇敢なヒーローみたいですよね。普段から厳しい訓練を積んでいると思いがちですが、実は建物や自動車などの取り壊し訓練は、そんなに頻繁にはできないのが実情です。
 都会ではどうか分かりませんが、南アルプス市のような小さな市では、訓練のため自由に取り壊せる物件がなかなか見つかりません。今回は市の消防庁舎が新築移転したため、今までの古い庁舎を利用することができました。また、鉄やコンクリートを切り裂く、エンジンカッターの替え刃も非常に高価で、訓練で頻繁に消費することもできないそうです。そこで、普段はイメージトレーニングを行い、いざ実地訓練をする際は、若い職員が交代で、同じ1枚のドアを利用して、何カ所も穴を開けたりします。
Malps101215_03 しかし、少ない機会でも確実に技術を身につけようと取り組む職員の真剣なまなざしを見ていると、思わず応援したくなります。訓練の成果を出す機会がないことを祈りますが、いざというときのため、これからも自分の安全を確保しながらも、人命を助ける技術と状況判断の習得を期待するとともに、市民のみなさんも火の元には十分気をつけましょう。

 

[南アルプス市 秘書課]

【連載 今、南アルプスが面白い】

御勅使川扇状地の物語 ~扇状地で培われた西郡魂~

 これまで6回に渡り、扇状地の成り立ちや人々のくらし、信仰などを紹介してきました。私たちの足元には、様々な物語や歴史がまだまだ眠っていますが、今回は明治時代から現代まで続く扇状地の歴史を俯瞰することで、一度物語の区切りにしたいと思います。

Imamina101215_1Imamina101215_2
【写真・左】飯野専売支所跡石柱
【写真・右】大正時代の商家。「たばこ」の文字が見えます(『夢 21世紀への伝言』 白根町より)


 江戸時代から明治時代に入り、明治30年(1897)、飯野に県内唯一の集積場となる煙草の専売支局が作られると、付近では煙草栽培が一層盛んになり、国道52線沿いには煙草を貯蔵する倉庫町が形成されました。煙草を栽培する農家のほかにも、刻(きざみ)煙草を生産する加工業者が乱立し、その数は100社前後あったとも言われています。しかし、明治37年(1904)、日露戦争の戦費調達のため政府が煙草専売法を実施し、煙草の生産から販売までが国営事業化されると、市内の煙草産業は急速に衰退しました。変わりに養蚕が主要産業となり煙草畑から桑畑に転作され、扇状地の景観が一変します。その一方で、西野村ではいち早く果樹栽培に取り組む人々も現れ、現在のフルーツ王国の嚆矢(こうし)となりました。その後輸出産業の花形であった養蚕業も、昭和5年に起きた昭和恐慌時の生糸価格の暴落を機に衰退し、現在の主要産業である果樹への転換が図られました。

Imamina101215_3Imamina101215_4
【写真・左】倉庫町にあった製糸場 大正初期(『夢 21世紀への伝言』 白根町より)
【写真・右】製紙工場 大正~昭和初期(『夢 21世紀への伝言』 白根町より)

Imamina101215_5
【写真】ロタコの滑走路跡(飯野)

 第2次世界大戦末期には、乾燥した広大な土地が陸軍から飛行場の適地と判断され、暗号名で「ロタコ」(御勅使河原飛行場)と呼ばれる秘匿飛行場の建設が昭和19年(1944)に始まりました。ロタコ建設も乾燥した扇状地であるがゆえ歴史に刻まれた1ページです。

 戦後の昭和35年(1960)、駒場に御勅使川の伏流水を水源とする駒場浄水場が建設され、扇状地に暮らす人々の悲願であった飲料水の問題がほぼ解消されました。昭和41年(1966年)には釜無川右岸土地改良事業が着手され、徳島堰のコンクリート化によって安定した水量が確保されるとともに、その水を利用したスプリンクラーが扇状地全体に張り巡らされ、扇状地全体の灌漑(かんがい)化も一気に進むことになります。現在ではスプリンクラーを通じ、散水された徳島堰の水が、サクランボやスモモ、モモ、ブドウといった南アルプス市を代表するフルーツを育んでいます。

Imamina101215_6Imamina101215_7
【写真・左】昭和30年代の徳島堰と桑畑
【写真・右】昭和31年、野呂川上水道起工式に参列した地域の人々(『夢 21世紀への伝言』 白根町より)


 これまで見てきたように、先人たちは「お月夜でも焼ける」といわれるほど極度に乾燥した扇状地を舞台に、古くから海岸地域とも交流し、麦や雑穀などの畑作物を作りながら、遠方から水路を引いて一部では水田を営み、さらに畑作物の生活を補うため外の広い世界に糧を求め作物を野売りし、過酷な環境を生き抜いてきたのです。先進的な技術を取り入れながら活路を見出す西郡の人々の開拓者精神は、「西郡魂(にしごおりだましい)」と呼ばれます。この「西郡魂」の物語は、産業・経済の低迷や少子高齢化、農家の後継者不足など多くの問題に直面する現代でこそ、語り継がれる歴史ではないでしょうか。

Imamina101215_08Imamina101215_09
【写真】扇状地に育つ桃
 

[南アルプス市教育委員会文化財課]

【季節の便り】

心に余裕をもって一年の締めくくりを

Malps101201 12月になると街のあちらこちらで、クリスマスの電飾を目にします。先日(11月26日)も市内の温泉宿泊施設「樹園」で、毎年恒例になったイルミネーションの点灯式を行いました。5m以上の大きな木々に、色とりどりの灯りがともされると、それだけで幻想的な雰囲気を味わえます。

 ニュースでも全国各地のイルミネーションの話題が取り上げられますが、いずれも一度は行ってみたいスポットばかりですね。でも、年の瀬となり、仕事や家事、クリスマスに忘年会、さらに年賀状もあり、何かと気忙しいのも事実です。ついつい余裕をなくして、思わぬ事故を起こしてしまうことも少なくないようです。

 だからこそ、どんなに忙しくても、気持ちに余裕を持って、この一年を締めたいものです。

 

[南アルプス市 秘書課]