南アルプス市ふるさとメールのお申し込みはこちら

南アルプス市は、山梨日日新聞社とタイアップして「南アルプス市ふるさとメール」を発信しています。ふるさとの最新情報や観光情報、山梨日日新聞に掲載された市に関係する記事などをサイトに掲載し、さらに会員登録者にはダイジェスト版メールもお届けします。お楽しみください!

南アルプス市ホームページへ

市役所便り・イベント情報

ふるさとニュース

山梨県内のニュース

プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

南アルプス市ふるさとメール閲覧ページのURLアドレスが変わりました。ブックマーク(お気に入り)やリンクのURLアドレスの変更をお願い致します。

https://sannichi.lekumo.biz/minamialps/

2007年11月

【季節の便り】

寒い冬は花で心をあったかく!

Malps071201_1_2Malps071201_2_2

 一年があっという間に過ぎ去ろうとしています。忙しい年の瀬になると、子どもや若者たちには心待ちにしていたクリスマスがやってきますが、市内で花卉栽培を手がけている飯丘地区では、クリスマスに向けてシクラメンやシンビジウムの出荷が忙しい時期を迎えています。
 深紅や白、ピンクの鮮やかな色彩のシクラメンが整然と並び、一鉢一鉢ていねいに手をかけ忙しそうに作業に追われていました。訪れた家では、今年のシクラメンは遅れているため、今月に入り1~2週間ほどが一番のピークということでした。
 窓際にひとつお花を飾ってみてはいかがでしょうか!きっと心を癒してくれるはずです。

大きなサツマイモが取れたよ!

Malps071201_3_2

 「畑で収穫したサツマイモがあまりにも大きく、珍しかったので」と、鮎沢に住んでいる市民からサツマイモが教育委員会へ届きました。早速、重さを確認したら、5.5キロと6キロ。ひとつが通常の6本分でした。小学生に持ってもらい、その大きさを比べてみましたが、いかがですか?

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

芦安の地に来た武将 名取将監

 南アルプス市芦安地区には、武田信虎に使えた名取将監(しょうげん)という武将の伝説が伝わっています。将監は信虎の家臣として直接進言できるほどの地位に上りますが、信虎の傲慢な振るまいに苦言を呈したことにより、武田家を去ることになります。その後、芦安地区に住んだと伝えられます。今回のふるさとメールでは、芦安地区に語り継がれてきた名取将監のエピソードを紹介します。

 信玄の生まれる少し前、永正年間に信虎は領内を統一し、その後、戦国大名として大きく前進します。このころから信虎は慢心して、傲慢な振る舞いが多く、家臣のひんしゅくをかうようになったと言われます。地元に伝わる話では、将監もまたこれをみるにつけ、心を込めて苦言を呈しましたが、信虎の機嫌を損じ、ついに武田家を去ることになったのです。
 その後血のつながりもあり、近郷にも名の聞こえていた郷士、名取弾正左衛門(なとりだんじょうざえもん)を頼って今の芦安地区大曽利に居を定めてこの村の住人になりました。

Imamina071201_01
【写真】=大宝寺にある名取将監のお墓

 芦安は耕地が少なく、村人は山に入って木を切り出したり、加工品を作ったり、炭焼きなどして生計を立てていました。もともとが武人であった将監は、山の仕事など知りません。日ごろから手馴れている弓矢を携えて、山野に鳥獣を狩って生業としました。
 ある日、将監は野呂川の奥深い山中に入りました。今でいう南アルプスの山に足を踏み入れたのです。この山中で「鹿を逐(お)う猟師、山を見ず」のたとえ通り、大鹿を追ってアザミ沢の渓谷深くに入ってしまいました。鹿を見事に射止めたものの、谷は深く、断崖絶壁、あたりの山谷から狼の遠吠えも聞こえる山中に、一夜を明かすことになりました。恐ろしい闇におののきながらもこの恐怖に負けまいと、日ごろから深く信仰している観音経を一心に唱え続けて救われました。今の野呂川林道、御野立所前の渓谷だったので、この谷を観音経渓谷と呼ぶようになったといいます。この谷は深く刻まれ、谷底が見えない恐ろしさがあり、南アルプス林道開削に当たっても工事の難所のひとつといわれたところです。

Imamina071201_02
【写真】=観音経渓谷より望む白根三山

 名取将監は、大曽利窪(おおそうりくぼ)区の山際に、多賀明神を祀って守り神とし、村の繁栄と家内安全を祈りました。他にも津島牛頭天王(つしまごずてんのう)を祀り、疫病に悩まされた人々の心を静め、旧暦6月15日には疫病退散を願い、祇園祭を行いました。

Imamina071201_03
【写真】=妙定寺(この周辺は殿屋敷と呼ばれています)

 名取将監は、文献などにあまり出てこない謎の多い人物です。しかし、芦安地区の誇りとして、祭りや信仰、諸行事は名取将監と結びつけて語り継がれてきました。芦安地区の大曽利には殿屋敷という地名があります。ここは名取将監の屋敷跡といわれ、現在はお寺がひっそりと建っています。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

あんぽ柿が最盛期を迎えています!

Malps071115_1Malps071115_2

 毎年、冷たい北風が吹く季節が訪れる頃になると、市内の西野地区では枯露柿やあんぽ柿づくりが盛んになってきます。今年は、春の気温が高かった影響で柿が不作ということでしたが、訪ねた家では毎日7千個余りの柿を乾燥させるなど、忙しそうに作業に追われていました。

今が見ごろ、里の紅葉!

Malps071115_03_2Malps071115_05_2
(2007年11月12-13日撮影)

 市内を回っていると鮮やかに色づいた木々の葉が目に映り、里の紅葉にも思わず感激してしまいました。櫛形総合公園内や市道の広葉樹も、周りの山々と融合して彩りを増しています。市内を車で走ってみてはいかがでしょうか。また、市役所から20分程のところにある伊奈ヶ湖の紅葉は、前回、その時期をお知らせしましたが、今が一番の見ごろを迎えています。最高の紅葉を楽しんでください。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

信玄を育んだ大井氏の血脈
その2 大井夫人

 前回、大井信達の文化人としての一面を紹介しました。このような教養を持った父に育てられたのが大井夫人です。大井夫人は子供の教育につとめます。長男・晴信は和歌に、三男・信廉は肖像画等でその力を発揮しました。今回のふるさとメールは、大井夫人を紹介します。

 大井夫人は信虎のもとに嫁ぎ、それにあわせるように甲斐の国は信虎の下、統一へ向かいます。大永元年(1521)、甲斐に攻め込んだ今川氏を飯田河原で破り、ちょうどこの時、大井夫人は積翠寺要害城で晴信を産みます。その後、次男信繁、三男信廉を産み、三男一女の母親となります。

Imamina071115_01
【写真】=古長禅寺 心字池

 大井夫人は子供たちの教育に心を砕き、幼い晴信を教育するため、晴信の手を引いて甲府から釜無川を越えて鮎沢にある長禅寺(後の古長禅寺)に足を運び、岐秀禅師から学問や兵法を学ばせたと、地元では伝わっています。大井夫人の帰依する岐秀禅師は、晴信出家の際、機山信玄の法号を与えており、晴信の人生に深く影響を及ぼした人物の一人です。
 甲斐国志によると大井夫人は信虎が駿河へ追放された後も甲府に留まり、出家して躑躅ヶ崎館の御隠居曲輪に住んだと伝えられます。

Imamina071115_02
【写真】=武田晴信朝臣百首和歌

 大井夫人を通して信達の血は、信玄に受け継がれました。
 戦国武将としてのイメージの強い信玄ですが、歌を好み自邸などにおいて盛んに和歌会や連歌会を開催していることが「為和集(ためかずしゅう)」にもあり、詩歌も収録されています。永禄2年(1559年)には、信玄直筆の和歌百首が若草地区法善寺に納められました。その中には切ない恋心をつづった歌もあります。原本は文化8年(1811)に庫裡の火災のため焼けてしまいますが、焼ける直前に書き写された写本が現在に伝わっています。
 三男信廉は逍遥軒とも呼ばれ、武人画家として特に人物画で才を発揮し、一周忌に当たる天文22年(1553)、母の「武田信虎夫人像」を長禅寺へ納めています。温かみのある夫人像からは母への思いを感じさせ、信廉の人柄が伝わってくるようです。

Imamina071115_03
【写真】=古長禅寺 大井夫人の墓

 こうして大井夫人は信玄、信廉を戦国武将として、さらには文化人として立派に育て上げます。2人の文化人としての教養は父信虎というよりも母の教育、外祖父信達という大井氏の血のなせるわざと言えるかもしれません。信玄の母、大井夫人は天文21年5月7日、55歳で没します。墓は生まれ故郷の古長禅寺、信玄が甲府に建てた長禅寺の2ヶ所にあります。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

見ごろを迎えている山々の紅葉

Malps071101_01Malps071101_02Malps071101_03
(2007年10月25日撮影)

 いよいよ花木が今年最後の美しい彩りを見せ、秋の深まりを感じさせてくれます。
 南アルプス市の夜叉神峠から広河原までの間、赤や黄に色づいた山々の景色がまるで青く澄んだ空をキャンバスにして絵を描いたように美しい色合いを醸しだしていました。途中、バスは写真を撮る人のために一時停止をしていました。のんびりとした風景に出会った気がしました。

※広河原に通じる南アルプス林道は、マイカー規制のため一般車両の通行はできません。路線バスまたはタクシーのみとなっていますが、11月4日(日)以降は全て閉鎖となります。

Malps071101_04
(2005年11月撮影)

 伊奈ヶ湖周辺にも赤く色づき始めた広葉樹がエメラルドグリーンの湖に映し出され、静寂な時間が流れていきます。11月初旬~中旬にかけて紅葉は見ごろを迎えます。
 晩秋の伊奈ヶ湖を、落ち葉を踏みながら家族や友人と散策してみてはいかがでしょうか。

 

【南アルプス市 広聴広報課】

【連載 今、南アルプスが面白い】

信玄を育んだ大井氏の血脈

 NHKの大河ドラマ「風林火山」では信玄の母・大井夫人がたびたび登場し、信玄に人として生き方を諭す場面がありました。
 大井夫人は戦国時代、甲西地区大井周辺を治めていた大井信達の娘です。この大井氏は武田氏の一族ながら嫡流の武田信虎と幾たびも刃を交えます。前回、西野姫伝説では明慶院を滅ぼすなど、血で血を洗う争いの時代を生きた信達ですが、文化人としての意外な一面もありました。今回のふるさとメールは文化人としての信達を紹介します。

Imamina071101_01Imamina071101_02
【写真・左】=椿城本丸跡
【写真・右】=古長善寺

 大井氏は南北朝時代に武田信武の子・信明が大井荘を領したことにはじまります。居館は椿城とも古長禅寺周辺とも伝えられます。時代は下って永正年間(1504~1521)、大井氏7代目信達の頃、国内統一を目指す武田信虎の前に立ちはだかる有力国人となります。
 信達は永正12年(1515)に信虎によって本拠を包囲されますが、信虎の軍勢は周囲の深田にはまり敗退します。抗争は翌13年も続き、その後和議が成立します。この時、信虎は信達の長女・大井夫人を娶り、政略結婚によって国内の安定を得ようとします。
 しかし、信達は信虎と政策をめぐって対立し、永正17年には今諏訪(白根地区)で信虎と戦い、敗れてしまいます。これを機に信虎の国内統一が大きく前進し、これ以後、信達も武田に忠誠を誓い信虎も親類衆として遇していきます。

Imamina071101_03
【写真】=大井氏一族の墓

 殺伐とした日々に明け暮れる戦国武将にとって、和歌や連歌は潤いの一つであり重要な教養としてとらえられていたようです。この時代、京都の公家が地方へ下向することもあり、甲斐の国にも和歌の名門冷泉為和が数度滞在したことがあります。「為和集(ためかずしゅう)」を読むと、武田家が積極的に和歌会を開いたり、信達の邸宅も会場になっていたこと、為和は信達のことを「歌道執心の法師」と賞し、和歌の贈答も行なわれたことなどが記されています。また大河ドラマ「風林火山」では信達、信虎、今川義元と3人で和歌を詠む場面が描かれていました。和歌の世界で信達の存在が有名だったことを示している場面でした。

 次回のふるさとメールは大井信達の娘、大井夫人を紹介します。

 

【南アルプス市教育委員会文化財課】