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プロフィール

 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

お知らせ

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2020年1月

【季節の便り】

旧正月行事が行われました

 1月12日(日)、市内では、各地域で獅子舞やどんど焼きなどの小正月行事が行われました。なかでも、西南湖の獅子舞は市指定無形民俗文化財に、下市之瀬の獅子舞は県指定無形民俗文化財に指定されています。地区内で結婚や出産、新築など慶事のあった家庭を回り獅子舞を奉納しました。各獅子舞保存会では、この伝統行事を絶やさず次の世代に繋げていけるよう、多くの人に魅力を知ってもらいたいと活動しています。
 また、夕方からはどんど焼きが行われ、正月飾りなどを燃やして無病息災を願いました。

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【写真】下市之瀬の獅子舞

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【写真】西南湖の獅子舞

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【写真】下市之瀬のどんど焼きの会場

 

市民活動フェスタ&ファミリーフェスタ 2020

 市民団体やNPOなどによる販売や体験ブース、親子で楽しめるステージなど盛りだくさん。市民が協力して作り上げ楽しめるお祭りです。ぜひ遊びに来てください。

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開催日]令和2年3月1日(日)
時 間]10:00~15:00
場 所]若草生涯学習センター、若草卓球場、若草体育館
   ※体育館は上履きが必要ですので、ご持参ください。
内 容]大友剛さん(南アルプス市在住)コンサート、おばけ屋敷やダンボール迷路のほか親子で楽しめる体験ブース、お菓子やハンドメイド作品などの販売コーナー、文化財体験コーナー、市内飲食店による出店など

お問い合せ
市民活動フェスタ実行委員会(市民活動センター) TEL:055-282-7325
ファミリーフェスタ実行委員会(子育て支援課)  TEL:055-282-7293

 

南アルプスクラインガルテン新規会員募集中

 令和元年度・2年度の新規会員を随時募集しています!
 南アルプスの麓でクラインガルテン(滞在型市民農園)を楽しんでみませんか?
 野菜作りが初めての方でも、農作業講習会やお世話役農家さんのサポートがあるので安心して楽しめます。また、年間を通じて交流イベントも開催されます。これまでの活動内容は、クラインガルテンのホームページをご覧ください。
 興味のある方、お申し込みを希望される方は、お気軽にお問い合せください。

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詳しくは、南アルプス市ホームページ、または南アルプスクラインガルテンホームページをご覧ください。

お問い合せ>農政課 TEL 055-282-6207

[南アルプス市役所 秘書課]
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【季節の便り】

芦安中学校の登山活動が
第18回トム・ソーヤ-スクール企画コンテスト優秀賞受賞

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 芦安中学校(委託:NPO法人芦安ファンクラブ)が、公益財団法人 安藤スポーツ・食文化振興財団の「第18回トム・ソーヤ-スクール企画コンテスト」学校部門の優秀賞を受賞しました。
 安藤財団は、創設者である安藤百福が掲げた「食とスポーツは健康を支える両輪である」の理念のもとに、青少年の健全育成と食文化向上のための事業を行っています。このコンテストは、全国の学校や団体から自然体験活動の企画案を公募し、その実施を支援するとともに、優秀な活動団体を表彰するものです。
 芦安中学校では、今年度全校生徒(19名)で鳳凰三山を縦走する登山を実施しました。表彰理由としては、郷土の自然環境を活用し、事前トレーニングに十分な時間をあて、目標を達成するために綿密な計画が立てられている点などが評価されました。
 なお、授賞式は、1月25日に横浜市の安藤百福発明記念館・横浜(カップヌードルミュージアム横浜)で行われます。

 活動内容の詳細は、安藤財団・自然体験.comホームページをご覧ください。

 

南アルプス市に春を呼ぶ 十日市祭典2020
 甲府盆地に春を呼ぶお祭り「十日市祭典」が今年も開催されます。「十日市で売っていないものは、猫のたまごと馬の角」と言いわれ、市に出そろう品数の豊富さを物語ります。
 臼などの木工製品や甲州だるまなどの縁起物を販売するほか、多くの露店が並び大勢の人で賑わいます。また、市神(いちがみ)として信仰されている安養寺の鼻採地蔵尊(はなとりじぞうそん)にも多くの参拝者が訪れます。

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多くの露店が並ぶ十日市

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安養寺を訪れる参拝者

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甲州だるまや杵・臼を販売する露店

日 時]令和2年2月10日(月)9:30~16:30
     令和2年2月11日(火・祝日)9:00~16:30
場 所]南アルプス市南部学校給食センター交差点から三田駐在所まで
    (県道韮崎南アルプス中央線:約1.1キロ)

※交通規制について
2月10日(月)
6:00~8:00/甲西バイパスから南部学校給食センターまで西進一方通行
8:00~18:00/全面通行止め
18:00~翌日8:00/甲西バイパスから南部学校給食センターまで西進一方通行、甲西バイパスから三田駐在所まで東進一方通行

2月11日(火・祝日)
8:00~19:00/全面通行止め
19:00以降/規制解除
 
※新産業拠点施設の駐車場(中部横断自動車道 南アルプスIC南側、会場まで徒歩5分)が利用できます。
 
 詳しくは、南アルプス市ホームページをご覧ください。

お問い合せ
若草窓口サービスセンター TEL 055-282-3100

[南アルプス市役所 秘書課]
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【連載 今、南アルプスが面白い】

ヤギの原風景2

 明けましておめでとうございます。本年もふるさとメール、「今、南アルプスが面白い」をよろしくお願いいたします。

 先月は山梨県および南アルプス市におけるヤギの足跡を記録を手がかりにひもときました。今月は多くの人々に残っているヤギの記憶から、ヤギとともにくらした風景を描いてみたいと思います。

1.昭和初期~昭和20年まで
築山地区 市川さん 
 まず太平洋戦争以前(以後戦前)の様子を見てみましょう。築山地区の市川家では昭和の初めから牡、牝一頭ずつヤギを飼っていました。朝起きると小学校に登校する前に、田んぼの畦や山裾まで行って餌となる草を刈るのが市川さんの日課でした。この頃、近所では牛や馬も飼っていたので草は貴重な飼料で、草刈りはまるで競争のようだったとか。他の人の田んぼの畦草を刈り取っていたら「そこはおらんとこじゃないか!」と叱られたこともあるそうです。ヤギを飼うには毎日新しい草が必要となりますが、除草が問題となっている現代から考えると、環境をうまく利用した循環した生活であったことは確かです。
 朝の乳しぼりは母親の仕事で、市川さんは小学校4・5年生頃から夕方の乳しぼりを任されました。鍋にしぼって、それをサラシで濾し、殺菌のため沸かして飲みました。さてその味はどうだったのでしょう。市川さんの場合は、においがあって、あまり好きではなかったそうです。

落合地区 新津さん 
 落合地区の新津家では昭和10年ごろ牝を1頭を飼い始めました。朝の餌となる畑の草刈りは父親の仕事で、乳しぼりは小学校3年生ぐらいから任されました。今から考えると子どもにとって乳しぼりは難しそうですが、慣れればすぐにできたそうです。しぼった乳は鍋に入れます。1回で4~5合ぐらいの量があり、やはりサラシで漉して違う鍋に入れ換え、沸かして温かいうちに飲みました。ポイントはこの時に塩を少し入れること。そうすると乳の濃さがより引き立ったそうです。乳の味は餌によって変わり、青い草ばかりだと青くさくなり、ワラやこぬかを与えるとおいしくなったのよと話されました。クセはあったけれど平気で毎日飲んでいたそうです。そういえば南アルプス市出身の俳人、福田甲子雄さんも「山羊乳に青草の香のしみてをり」と詠んでいます。太平洋戦争末期の昭和19年頃、ヤギが弱ると専門の業者が買い取りに来て、ヤギは新津家から一時姿を消しました。

2.昭和20年代:太平洋戦争後(以後戦後)
 太平洋戦争直後は食料が不足したため、前号で書いたようにヤギの飼育が全国的にもすすめられました。ヤギが最も普及した時代です。

飯野地区 飯野さん
 昭和16年頃、牝を1頭飼い始めました。飯野さんは奉公先から徴兵検査のため昭和18年に飯野にもどり、その時実家で飼い始めたヤギに出会いました。その後飯野家では、太平洋戦争を経て昭和30年代中頃までヤギを飼い続けたそうです。他の方と同様、朝餌となる草刈りをして、乳をしぼり、沸かして飲む流れです。飯野さんは「ヤギ乳は大好きだったなあ」と懐かしそうに話されました。昭和26年に生まれた息子さんもヤギ乳を飲んで育ち、小学校に入るとヤギの餌となる草刈りと乳しぼりが朝の仕事となりました。
 飯野さんの記憶で注目されるのはヤギの餌の変化です。終戦直後の飯野では桑畑が広がっていて、田んぼの畦草以外の畑の雑草も餌とすることができました。しかし昭和30年代に入ると地域の農業が養蚕から果樹へと次第に変化し、果樹畑では消毒が行われるようになりました。必然的に安全な餌は水田の畦草に限られ、その水田も次第に果樹畑と変えられていったため餌が不足し、とうとうヤギの飼育を諦めることにしたそうです。

3.昭和30年代以降
 日本経済が高度成長期に入り、社会が大きく変わっていく時代です。山梨県の山羊飼育頭数も減少の一途を辿りました。

落合地区 新津さん
 前述した新津さんは嫁ぎ先でも昭和32・33年ごろ再びヤギを飼うことになりました。それは昭和33年に生まれた長女にヤギ乳を飲ませたかったからです。その後長男にも恵まれ、子どもたちは山羊乳を飲んで育ちました。毎朝の草刈りと餌やり、乳搾りは母親である新津さんの役割でした。昭和42年頃にヤギが弱くなって知人の人に引き取られ、新津家でのヤギ飼育は終わります。農業が養蚕から果樹栽培へと切り替わりつつあり、その忙しさで毎日の餌やりや乳搾りができなくなったことが理由でした。昭和40年代初め頃にはまだ近所でヤギ乳をわけてくれる人がいて、ヤギ乳は飲み続けられました。ヤギ乳で育った娘さんは現在でもあの味が懐かしいと話されています。

有野地区 河西さん
 有野の河西家では昭和40年ごろから牝を1頭飼いはじめました。子ヤギの時はかわいくて、河西さんが徳島堰沿いを散歩させたそうです。やはり朝はまず乳しぼりから始まります。これは子どもの仕事で、小学校4年生ぐらいから高校卒業まで河西さんの毎朝の日課でした。一升瓶に直接乳をしぼり、それをサラシで漉して、アルマイトの鍋に入れます。その乳を沸かして毎朝飲んでいました。夕方も同じです。冬には乳量が減るので、12月頃で乳しぼりは一度おしまいになります。有野から飯野まで種付けに行ったことを覚えていて、春になると子ヤギが生まれ、再び乳しぼりが始まりました。
 河西さんは子どもの頃からカメラが好きで、中学校の修学旅行に際してカメラを買ってもらいました。そのカメラでヤギを撮影したのが次の3枚の写真です。戦前戦後はカメラを持っている人など稀で、一般的に普及し始めた40年代にはヤギの飼育が減少し、さらに日常風景を写す人がほとんどいなかったため、市内でもヤギを写した写真はほとんど残されていません。その中でとても貴重な写真です。

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【写真】有野地区 河西さん撮影

4.ヤギ乳レシピ
 ヤギの思い出を多くの方からお聞きしましたが、ほとんどの方はヤギ乳は飲むだけで、他の料理に使うことはなかったと記憶されています。源地区愛育会史料の昭和22年度山羊計画書の中で、「山羊の利用化 チーズやバター等への加工研究」が掲げられていますが、乳製品として完成するには至らず、ほとんどの人は作ったことも食べたこともなかったようです。一方で、わずかながらヤギ乳を各家庭で工夫して料理に活用していました。そのレシピをご紹介します。

(1)ヤギ乳パン
 先月号で昭和25年の愛育会史料でも「山羊乳は一般にパンを作る場合に使用」とあり、沸かして飲む以外にパンの材料として利用されたことがわかります。ではどうやってパンを焼いていたのでしょうか。
 まず電気パン焼き器があげられます。前述した新津さんは、落合に疎開してきた東京の建具屋さんが木の板と鉄板で電熱のパン焼き器を作ってくれて、山羊乳入りのパンを食べた記憶があるそうです。このパン焼き器は電流をパン種に直接流し焼き上げるもので、戦後、配給された食料粉で作ったパンを焼く道具として普及、流行しました。
 別のパン焼き器をみてみましょう。戦後に製造が禁止された戦闘機の素材ジュラルミンを加工して作られたのが、円形のパン焼き器です。器内部は円筒形になっていて内部にも熱が伝わる構造です。荊沢地区の仙洞田さんはこれを模した鉄製のパン焼き器を持っていて、七輪で温めて焼かれたヤギ乳入りのパンを食べたことを覚えています。見せていただいたパン焼き器の表には「文化パンヤキ 特製」とあり、その内部は真っ黒に焦げていて、何度も使われたことがうかがえました。

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【写真】荊沢地区仙洞田さんとパン焼き器

(2)ヤギ乳入りうす焼き
 ヤギ乳は飲むだけという人が多い中、山梨県の郷土料理であるうす焼きに入れた記憶を持つ人は何人もいました。小麦粉を水で練って、各地域各家庭それぞれの具材を入れて焼いたもので、生地にヤギ乳が混ぜられました。

(3)ヤギ乳のほうとう
 当時の主食の一つほうとうにヤギ乳を入れて作りました。

(4)ヤギ乳味噌汁
 味噌汁にヤギ乳を入れて作ります。味噌とヤギ乳の相性はよかったようです。現代でも牛乳にも味噌を入れるスープレシピがありますよね。

(5)ヤギ乳カルピス風
 有野の河西さんは雑誌の付録だったか、ヤギ乳にクエン酸と砂糖を混ぜて、カルピスに似た味の飲み物を作ったことがあるそうです。

(6)ヤギ乳プリン 
 日本女子大学家政学科で栄養学も学んだ矢崎きみよさんが作ったことをお孫さんが覚えていました。当時プリンはハイカラな食べ物で矢崎きみよさんならではのレシピだったのでしょう。

(7)ヤギ乳ごはん
 早川町出身の佐野さんはごはんに味噌を少し加え、ヤギ乳をかけて食べたそうです。懐かしい味で今でもよく覚えているそうです。

5.ヤギの名前
 今回調査した方々の中で、ヤギに特別な名前を付けていた人は一人もいませんでした。名前はあるものと思い込んでいましたが、乳を利用する「家畜」として飼っていたことと、ほとんどが一頭飼いのため、みなさん「ヤギ」と呼んでいたようです。

6.ヤギとともに
 現在でも少ないながら南アルプス市内でヤギの姿を見ることができます。文化財課とともに史跡のヤギによる除草に取り組んでいるNPO南アルプスファームフィールドトリップでは、サクランボ観光でもヤギを活用し、訪れた子どもたちに人気だそうです。また西野地区の保坂家では、昔のヤギが懐かしくペットとして飼い始め、近所の人々からも可愛がられているそうです。その他、有野地区や江原地区でも再びヤギを飼う家がでてきました。また、ほとんど口にすることがなくなったヤギ乳は、牛乳と比べてアレルギーの元となる物質が少なく、タウリンも豊富で、栄養面から再評価されています。山梨県内ではヤギを育て、ヤギ乳のヨーグルトを製造販売する全国的にもめずらしい会社もあります。一度私たちのくらしから姿を消したヤギですが、人と新しい関係を結びながら少しずつ日常の風景にとけ込みはじめたのかもしれません。

【南アルプス市教育委員会文化財課】

【季節の便り】

新年、明けましておめでとうございます

今年は、“令和”最初のお正月。皆さまにおかれましては、輝かしい新春を、
健やかにお迎えのことと心よりお喜び申し上げます。
 
今年も、南アルプス市ふるさとメールをよろしくお願い申し上げます。
 

小笠原流礼法で迎えるお正月
 
 南アルプス市とゆかりの深い小笠原流礼法は、“相手を大切に思う心”が基本です。
 例えば、贈るものの形にあわせて、包む紙を「折形」。白い紙は清浄をあらわし、白い紙で包むことで送り主の心も清らかであり、また、中身をけがれから守る役目もあると言われています。贈る“もの”も、贈る“相手”も大切に思う心が込められています。

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 柳箸のように両端が細い箸は、一端は私達人間が、もう一端は神様が使用するものと考えられていました。歳神様をお迎えするわけですから、その箸を包む「箸包み」や、箸を置く「箸置き」にも心を込めるといつもと違うお正月が迎えられそうです。

 

第18回 南アルプス桃源郷マラソン大会参加者募集!

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 今年は、ゲストランナーにスズキ浜松ACヘッドコーチの藤原新さんをお迎えします。皆さまのご参加をお待ちしております。なお、定員を設けていますので、お早めにお申込みください。

開催日]4月12日(日) 雨天決行
場 所]櫛形総合公園 日世南アルプススタジアム
申込期間]1月7日(火)~2月14日(金)
     ※郵便振替は1月31日(金)まで
種 目]ハーフマラソン・10キロ・5キロ・3.5キロ・キッズレース
申込方法]申込用紙に必要事項を記入の上、郵便局でお申込みください。電話やインターネット等でもお申込みできます。昨年参加された方には、申込用紙が送付されます。

詳しくは、桃源郷マラソン大会ホームページをご覧ください。

申し込み>エントリー事務局 TEL 0570-039-846 
お問い合せ
南アルプス市桃源郷マラソン実行委員会事務局 TEL 055-236-8555

[南アルプス市役所 秘書課]
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